よく幕末の動きをペリー来航の1853年から見る人が多いようです。海外からの圧力によって開国を迫られたことは確かでしょう。また尊王攘夷運動が盛んになり攘夷派志士たちの動きを幕末の動きと見る人も多いのは確かです。私はもっと前の1837年の大塩平八郎の乱を幕末の起点と見ています。それは人の動きからです。庶民が苦しんでいるのを救済しようと元大坂町奉行与力の大塩平八郎が救民を訴えて乱を起こしました。この事件そのものよりも幕閣の動きや各藩の人の動きからー時に幕閣の人々は己の出世ー大坂町奉行は出世コースで勘定奉行や老中へと上がってゆくー江戸に目が向き大坂の庶民を忘れてしまうーそして大塩平八郎が怒り乱を起こすわけですが、一地方の乱にしては全国の有力武士が注目していました。もちろん幕府もお庭番という隠密に調べさせていますし、伊豆韮山代官の江川太郎左衛門も剣客を大坂に送っています。彦根の井伊家も大塩平八郎の私塾洗心洞に藩士を入塾させています。人の動きから幕府という組織が傾きかけている時こそ幕末の起点と思えるのです。
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