「天の監督を仰がざれば凡人堕落 国民監督を怠れば治者盗を為す」(田中正造 明治35年8月)
正に国民一人ひとりが政治に目を向けることによって政治は良くなるのではないでしょうか。誰かがやってくれる、政治家がやってくれる、このような姿勢では政治はよくなりません。政治が良くなられければ、国民の生活は良くなりません。
「天の監督を仰がざれば凡人堕落 国民監督を怠れば治者盗を為す」(田中正造 明治35年8月)
正に国民一人ひとりが政治に目を向けることによって政治は良くなるのではないでしょうか。誰かがやってくれる、政治家がやってくれる、このような姿勢では政治はよくなりません。政治が良くなられければ、国民の生活は良くなりません。
「すべて世の中を治めるには、大量寛宏でなくては駄目さ。八方美人主義では、その主義の奏効にばかり気を取られて、国家のために大事業をやることは出来ない。」(勝海舟「氷川清話」より)
都知事選挙も近づいてきましたが、政策論議も行われず、ただ選挙民の顔色をうかがっているようでパフォーマンスばかり。まずは都民、庶民の小さな一人ひとり声を聞き、どうあるべきか信念を持って語るべきでしょう。
インターネットの交流サイトでフェイスブックというのがあり、もちろん私の活用しています。フェイスブックの中で友達をたくさんつくって、自分が情報発信して友達が見て同感すると「いいね」とクリックすると同感した友達の名前と数が出てきます。この数に多ければ満足し少なければ気が落ち込むようなことをフェイスブック症候群というそうです。私も少し患っているのかもしれませんが、やはり相手の表情が見えないインターネット上でのこと、同感といっても相手の気持ちなど分かるはずもありません。
私は薬害エイズの出会いから薬害エイズ被害者や薬害肝炎や様々な薬害被害者、そしてエイズや肝炎、難病患者と様々な人々と顔を合わせて交流してきました。もちろん顔を合わせても初めてのときは、相手の気持ちなど分かりません。会う機会を重ねるうちに相手の気持ちや置かれている状況が分かってきます。知識だけで相手を理解しようとするとかえって気を使って、お互いが知り合うことはできません。もちろん意に反して傷つかせることもあります。顔を突き合わせて寄り添い分かち合いながら、少しずつ人間的なふれあいが生まれてくるものだと思います。正にこれが人間力なのではないでしょうか。
インターネットで情報交換が便利な現代ですが、人と人とのふれあいから同感して共に生きる共生社会を実現するには人間力が必要です。
今日は御茶ノ水のクリスチャンセンターで月1回行われているがん哲学外来メディカルカフェに参加してきました。今年最初のメディカルカフェとあって尺八の演奏ではじまりました。いつものように5~6名のグループに分かれてがん患者さんと自由に語り合いました。今日はがん患者さんとの接し方やがん患者さん自身の対応についてざっくばらんに話し合いました。自分ががん患者であることを告げることでかえって相手が気を使い普通に話が出来なくなったという話を聞かされ考えさせられました。頭だけの理解で相手を判断せずに人間的なお付き合いのなかで理解していくことが、がん患者に寄り添い分かち合うことであると、普段から知識だけにたよらず人間的な付き合いの中で感じていくことの大切さを気付かされた一日でした。
「勝海舟伯も見識の高い人であったが、前の三人(木戸・西郷・大久保)の傑物に比べると、どちらかといえば道具に近い面があり、『道具ではない』とまではいかなかったと思われる」(渋沢栄一の「論語講義」より)
この道具とは論語の「子曰く『君子は、器ならず』」=孔子が言った。「君子というものは、特定の用途だけに役立つ道具のような人間であってはならない」(渋沢栄一の「論語講義」より)
人によって人物評価も変わってくると思いますが、勝海舟を尊敬する私にとってはちょっと首をかしげてしまいました。同じ時代に生きて幕末明治の激動の中で様々な立ち位置から見方も変わってくるでしょう。大変興味深く読みました。現代に振り返ってみてみると器が小さいというか、自分の名誉や地位ばかり気にして、世のため人のため働く人が少ないように感じます。