76 アチャコの京都日誌
我が家の刃傷松の廊下。
長い闘病生活であった。弱者に成り下がった吾輩は、わがままも言わずじっと耐えた。いろいろ不便はあったがじっと耐えた。途中、配偶者による小さな攻撃にもじっと耐えた。かの生物兵器(蜂に刺された)の時も耐えた。
しかし、昨夜帰宅時、誰もいない。あれおかしい。様子がおかしい。配偶者の帰宅が遅い時はある。そんなときもある。もしかしたら吾輩が聞き逃したか?飯がない。飯がなければ出前でも取るか。
いつもの中華屋に電話を入れていたら、ちょうどご帰還だ。
「あれ。帰ってるの?帰るって言ってた?」「今日は早く帰るって前から言ってたやろ?」「・・・・?」
遂に、内匠頭(吾輩)は、上野介(配偶者)に、「遺恨覚えたかっ!」右手を大きく振り上げて威嚇した。しかし悲しいかな、筋力衰えた内匠頭は、足元が定まらず上野介に完全にかわされる。
もう一度、拳を振り上げたその時、我が家の名犬茶々丸、内匠頭の前に後ろ足だけで立ち大きな声で吠える。「うーうーっ!わんわん!」
ええっ?吠える相手は上野介ちゃうの?
長い闘病生活中の散歩の相手は、上野介。餌の世話も上野介。いつの間にか犬における一番の序列は相手に移っていたのだ。遂には、アキレス腱に噛みつかん勢い。振り上げた拳を下ろさざるを得ない。
とうとう、内匠頭は切腹覚悟で、その場に膝をついた。場所は玄関すぐの廊下、約2メーターしかない。逃げ場所もない。上野介が、チャチャ丸を抱いて誇らしげにほほ笑んだ。
自室に蟄居閉門のうえ沙汰を待った。
「風誘う 花よりもなお われはなお 春の名残を いかにとやせん」
わたしには、内蔵助もいない。