八瀬八幡宮の摂社である、秋元神社は江戸時代の中期、秋元但馬守喬知を秋元大明神として祀ったものである。八瀬村は比叡山との間で長く境界線争いを行っていた。命を懸けて但馬守に訴え出たところ幕府側が村民側の主張を認めてくれたのである。
この八瀬童子と天台座主との争いは、皇族である公弁法親王の時代であった為に江戸幕府の力がうかがえる。また、秋元但馬は綱吉に進講するなど学問にも長けた名老中であった。家宣の代まで長く幕閣の中心にいた。
その事を記念して300年以上に亘って但馬守に感謝する「赦免地踊り」を催している。大変地味なお祭りで、八瀬八幡は地元でも有名だが摂社「秋元神社」と尋ねても知っている人は多くない。
場所も叡電からも遠く離れたところにあり車の便も悪い。時間的な余裕を持って出かける事にする。
決して人に見せるお祭りではなく地元の皆様で継いでいる。民族芸能