瑞饋祭1日~5日 北野天満宮
京都の名だたる神社の例大祭を整理すると、賀茂の葵祭、八坂の祇園祭、平安神宮の時代祭が京都三大祭りだ。それに男山の石清水八幡宮の放生会。今宮神社のやすらい祭。鞍馬の火祭りは由岐神社の大祭(今年は中止)。鞍馬神社は水祭。さて、北野天満宮の例大祭がずいき祭である。
以下は、北野天満宮HPより引用
祭の始まりは、村上天皇の時代にさかのぼる。菅公自らが彫ったご神体を持ち帰り奉った事に始まるのだが、要は、怨霊封じ込めの神社である天満宮だが!道真公も一年中本殿の奥深く閉じ込められるのは我慢できないと、氏子地域を巡回する。西ノ京のお旅所で一泊し北野に戻る。そのお旅所では、瑞饋御輿と共に鎮座するのである。
この御輿に特長がある。収穫祭であるこの祭は、田畑からの収穫物を乾物にして御輿にするのである。
まず初日は、出御祭という。鳳輦に「御霊」を移し西の京の御旅所にお連れする。ハイライトは可愛い女の子たちの「八乙女舞(やおとめまい)」の奉納だ。そこから4日まで、鳳輦はずいき神輿と共に過ごす。その間、表千家宗匠による献茶祭、西ノ京七保会による甲御供奉饌(かぶとのごくほうせん)などが行われる。そして最終日には、北野天満宮まで氏子地域を巡回する。最後に天満宮でも「八乙女舞」が奉納されて終える。
随行する「ずいき神輿」の起源は、かって北野祭(例祭)にお供えとして奉られた野菜を、慶長の頃から一基の大型御輿として作り飾りつけるようになったものだそうだ。特に屋根はずいき芋で葺き、神輿の各部はすき間もなく穀物や乾物類で覆われている。江戸時代には八基ほどが各町から出ていたが、今日では西ノ京の2基のみだ。
しかし、なぜ瑞饋なのか?我々世代は「瑞饋の涙」と言う、
「いもの葉に置く白露のたまらぬはこれや随喜の涙なるらん」夢想疎石作
これは明らかに「白露」を精液の暗喩として、「肥後ずいき」の効能を詠んだものだろう。性行の歓喜を表している高尚な歌だが、瑞饋には、ハポニンという粘膜刺激効果があるとされる。これを行為時に使用すると一層性感が高まったとされ、昔の人は誰でも知っていたのである。それを祭の神輿に奉る事は如何なる意味があるのか?子供でも知っていたはずだ。現代社会ではこのように奥深い祭の意味を説明する必要があるのが残念だ。(一部筆者の想像を含む。)
なお、「肥後ずいきの使用方法」については恥ずかしくてさすがに筆者も説明できない。(恥)