⑬ 行動再開
テイクアウト外食が大流行りだ。先日、行きつけの料理屋さんが「持ち帰り会席弁当」始めたと言って来た。助けてあげるつもりで注文したが、2度目には満員御礼で断られた。確かに、家に籠っていたらたまに料理人のおいしいものを食べたくなる。
昨日は、仕出し屋の高級弁当を注文して、京都の息子、奈良の娘それぞれ孫の顔を見に行きがてら、(いずれも家には上がらずソーシャルディスタンスで見ただけ)そして世話になっている知り合いの家にと自家用車で配り歩いた。
京都の繁華街を車窓から見たが、ゴーストタウン化している。GWの最中に四条通がシャッターだらけで、あたかも地方都市のアーケード街のようになっている。指示を無視して開店しているパチンコ屋が話題になっているが、大半の日本人はちゃんと自制している。
しかし、経済格差、教育格差は、モラル格差につながる。大きく道徳観念が劣る人たちが現れる。国家規制に罰則は必要だと思う。殺人罪は死刑としても、大半(ほぼ全員)の人は人を殺さない。罰則規定は決して我々常識人には邪魔にはならない。
一部の人間が、多くの常識人の命に関わる行動違反を行う事は避けたい。一方、民衆主義の世の中では大数の論理で、少数の意見は常に通らない。よくある例が、喫煙者の権利は常に無視される。多数決では喫煙者の意見は通らない。しかしながら性的少数者の権利は最近とみに寛容となっている。
このように生まれながらの資質には寛容で、後天的に趣味や趣向に関わるものには厳しい。今日は支離滅裂だったが、結論は国家的な制限には罰則が必要との結論である。