アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

888 新シリーズ 令和神社探訪 ① 文子天満宮 

2022-01-11 09:05:56 | 日記

第1番 文子天満宮

下京区間之町通花屋町下る天神町400 

御祭神 菅原道真 文子比売(乳母) 伴氏(母君) 菅原是善(父君)

ご利益 合格祈願 学業向上  お守り 文子まもり

人はなぜ神社にお参りするのでしょうか。人は努力に正比例して成果を得るとも限らないので、一生懸命頑張って最後に神頼みに行きます。そのような人は一心に祈ります。一方、さしたる努力もせず、飛びぬけた才能もないにもかかわらず人並以上の幸福を望む向きも多い。筆者は当然、後者でありお賽銭も少額5円に限ります。

京都の神社には怨霊封じ込めの神社が多い。御祭神(祀られた主たる神様)が生前強い恨みを持って亡くなった為にその憎しみの対象へ祟ります。さらに広く世の中に天変地異など災害をもたらすと怨霊のせいと言われます。現代のわれわれは人災はもちろん自然災害についても科学的根拠を持って判断できますが、明治以前は「怨霊」が「祟り」をなすと信じていた。怨霊は、その方の地位の高さと恨みの強さとが決め手となります。天皇や皇族が冤罪や讒言により地位を失うか命を絶たれた場合多くが怨霊となります。

皇族でもない右大臣の菅原道真ですが、左大臣である藤原時平の讒言により延喜元年(901年)失脚します。左遷された地にて死んだ後、数々の天変地異が起こり時平も命を落とします。朝廷は恐れをなして道真を太政大臣に追贈し怨霊を鎮めようとしますが、御所に落雷するという決定的な事件が起こり天暦元年(947年)北野の地に「天神さま」として篤くお祀りすることとなりました。

実は、それに先立つ天慶5年(942年)、道真公の乳母でありました多治比の文子に御宣託がありこの地に祠を建てておりました。従って当神社が『天神信仰発祥の神社』とされています。ご利益は、入試合格祈願と学業上達祈願がまず挙げられますが、創建当時の以上のような経緯からすれば「国家(朝廷)の平和」と「天変地異終息」だったはずです。まずは日々の生活の安定・安寧を願ったものです。学業の向上などは命があってこそなのですね。いつの間にか平和な時代が来てより良い生活水準を求めて、道真の類まれなる文章博士の能力への尊敬から「学業向上」の神様になって行きました。

落語のまくら(本題の前に話す与太話)で、昼間から寝ている息子に親が、「勉強しろ。」と言う。息子は、「なぜ?」と聞く。「勉強して良い学校に行く為だ。」と、「なぜ?」「良い学校を卒業したら良い会社に就職できる。」「それで?」「良い会社に入ったら出世して良い給料をもらえる。」「それで?」「沢山の退職金で楽に暮らせる。」「そうなるとどうなる?」「あとは寝て暮らせる。」「だから寝ている。」???現代は、楽に暮らすと言う価値観が揺らいでいますね。

境内は狭く、正月の書初めの展示があちこちに掲げられ晴れやかでした。「登る」と「正月」が課題のようですが、小学校5年生あたりで明らかに筆者のレベルを超えている。やはりご利益はありそうです。

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