若一神社に行って来た。
西大路八条にあるが、この神社の為に西大路通りがまっすぐなっていない。
京都は、碁盤目に東西南北まっすぐ通りが通ていると思うが、2か所ゆがんだ場所がある。京都駅から堀河通りを7条通りを北に行くと、大きく東に膨らむ。西本願寺がある為だ。もう一つがここ若一神社で、北から南下すると道の行く手に大楠が見えてくる。清盛が太政大臣になった時に記念に植えた楠が大きくなったものだ。平家滅亡の焼亡の中でも焼け残ったことから道路整備の時も移植できなかった。
近年創られたような清盛像。清盛は六波羅に政庁を置きここで生活しまた、政治の指揮を執った。山陰道・西国街道に通じる街道沿いにあり、丹波口と言う京七口に近い為、西方面からの最先端の情報が入る要所である。宋との貿易を最優先する清盛の政策実現の為には絶好の場所だった。
清盛が熱病に苦しんだ時、この神水で体を冷やした。効なくうなされつつ死ぬ。
狭い境内に多くの見学スポットがある。正月明けなので、お守りやご利益グッズがテーブルに広げられ身動き取れない程だった。
次回は、800回記念。
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