アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

58 アチャコの京都日誌 再びの京都

2017-05-18 09:52:47 | 日記

58 アキレス腱つながった でも歩けない

 

 眞子内親王殿下が、婚約との報道。誠におめでたい事であり日本人であることの誇りを感じる。何しろ皇室関係の話には、誰しもが関心を持っているし、同様に親愛の念がある。この点においては政党も思想背景も関係がない。

 しかし、この機会に現在の皇室の危機は、神武以来の存続の危機であることを国民共有のことにすべきと思う。現在、天皇の皇位継承順を改めて確認する。皇太子殿下のあとは、秋篠宮殿下、悠仁親王殿下、そして常陸宮殿下、以上である。誠に恐れ多いが、悠仁親王にもしものことがあれば、あるいは悠仁親王の御誕生がなければ、我々が生きているうちに皇室の存続の危機を見てしまうことになっていたのだ。皇室の系図を改めて眺めると、なんと女性(内親王)ばかりが生まれている。これは現在に始まったことではなく、昔は男子が育ちにくい事と、そもそも天皇家にはなぜか女性が多い。

 そこで明治以前までは、中宮や皇后を頂点とする「妃」と呼ばれる女官を多く抱え周辺に侍らせていた。もし子をなしそれが、男子ならばしかるべき高位の女性の養子としその子が、登極(天皇になる)すればその女性を皇后としてきた。つまり天皇の後嗣を多く受け入れる態勢があったのだ。それでも皇位継承の危機はあった。今上陛下のわずか六代前、光格天皇は前天皇の後桃園天皇に適当な継承者がいなかったので、4代遡った中御門天皇の弟君の系統から選ばれた。現在はその直系でつながっている。しかし現在は一夫一妻制の時代なので血を繋ぐにはさらに困難な時代だ。

 従って、女性天皇の議論や、宮家創設(以前の宮家男子にお戻りいただく)、女性宮家創設などいろいろ議論が出ている。私は個人的に、以前の宮家男子に皇室にお戻りいただくしかないと考える。理由はとても複雑なので後述するが、今は悠仁親王殿下にお健やかに成長いただくことのみを真剣に見守りたい。

 

 赤山禅院に行って来た。数年前だ。

 京都には、〇〇巡りと言われるものがいくつもある。洛陽33か所観音霊場巡り、六地蔵巡り、洛陽6阿弥陀巡り、また西国33か所観音霊場の内12か所は京都府内にある。そして赤山禅院は、都七福神めぐりの福禄寿のお寺となっている。日本最古とされる都七福神めぐりは、恵比寿神が恵比寿神社、大黒天が松ヶ崎大黒、毘沙門天が東寺、弁財天が六波羅蜜寺、寿老神が革堂、布袋尊が萬福寺。そしてここが福禄寿となっていて車があれば一日で回れる。

 

赤山は、東山36峰の三番目の山である。また御所の鬼門に当たる為、王城鎮護の寺とされ、本尊を赤山明神とし神仏混淆のお寺である。

特に、中秋の名月に当たる日には、天台宗秘法の喘息封じの「へちま加持」があり賑わう。また鬼門封じの猿の置物が拝殿の屋根の上にあるのが可愛い。御所の鬼門の角には「猿が辻」として金網の中に猿がいるなど、鬼門封じの猿が京都のあちこちで見られるのも注目したい。因みに、鬼門は丑寅の方向。その逆方向が猿未の方向なのだ。虎を猿で封じるのだ。

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狭い境内だが、当日は出店も出ていてひと昔前の気分を味わえる。

 尚、「五十払い」(ごとばらい)はココが発祥と言われる。申の日でしかも五日に当たる日(めったにない)に赤山をお参りすると特に吉運に恵まれるとされ、そこから商売の集金支払日を、5と10のつく日にしたというのだ。今は自動決済が多くなったが、以前は京都市内は五十日(ごとび) には交通渋滞がひどかった。

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