アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

682 生きてるだけで丸儲け! ㉜ 桂 枝雀 平成の爆笑王

2020-03-11 07:47:02 | 日記

㉜ 桂枝雀

 

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筆者は、「桂枝雀の18番(おはこ)」というDVDを持っているが、友人に貸すばかりで自らは見る勇気が出ない。生きている時は、進歩の過程であると思って枝雀の落語を聞いていた。オーバーアクションの独特の爆笑落語は、世に出る為の手法であり成長・進化の過程だと思うしかなかった。

いずれ、60歳を超えた頃から芸風がどう変わるかを楽しみにしていた。座布団に座ったまま着物の裾を乱さず演じる枝雀を見たかったのだ。しかし、まさにその直前の59歳で、自殺した。彼自身が、芸風の変化に悩んだはずだ。天才であるが故に自分の変化を受け入れなかったのか、もっとすごい変化を目指したのか。

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彼は、三枝・仁鶴・可朝の上方落語の復活期の若手三羽烏とは、一線を画していた。はっきり言って「完璧」を目指したのだと思う。その点、弟弟子のざこばとは真反対だった。常にネタを繰っていた枝雀には、ネタを飛ばす(忘れる)事は考えられない。ざこばは、いつもネタ通り演ずるかどうかの危うさが魅力だった。枝雀は自分に厳しく他人には徹底的に優しかった。内弟子時代いつも寝坊するざこば(朝丸)が師匠に叱られた。ざこばが、枝雀(小米)に「にーちゃん。寝てるワシをおこしてよ。」それに対して、枝雀「眠たかったら寝てたらええ。」ざこば「そやけど、寝てたら師匠に叱られるやんか。」答えて枝雀「怒られんのがいややったら、起きたらええ。」さらに、ざこば「師匠もあんなに怒らんでもええのに。」答えて枝雀「怒りたいから、怒るんや。怒りたいなら起こったらええ。まーまー。」他人のええ加減さは許せる。しかし自分にはええ加減には出来ないのだ。

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米朝の内弟子に入る前に、神戸大学に合格するなど自頭がいい。(因みに1年で行くのを辞めた。理由は大学も思ったほどの所ではなかった。)SF落語(通称SR)や英語落語など異色の挑戦を行っていたが、枝雀襲名以降は、初代桂春団治を強く意識して爆笑落語に専念した。落語以外のテレビ番組にはほとんど出ず独演会や勉強会に常に挑戦していた。

枝雀襲名直前に、最初のうつ病発症を経験しているが数か月で復帰してその後ブレークしている。その後、「わしもうつ病や。」と言い出す落語家が続出した。大阪芸人の「しゃれ」である。しかしざこばが、一時本当にうつ病を発症した事は意外だが事実である。枝雀は、何故落語は面白いのかや、おち(落語の最後の結末)の類型を分類したり、一般人にはどうでも良いことを突き詰めて考えたのだ。

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その結果、2度目のうつ病発症が命取りになった。筆者は、当然の結末とも考える。ホームラン王がヒットだけ打ち続けて長生きするのは許せないのだろう。しかし、笑いを取らずとも、淡々とした人情噺をする枝雀を聞きたかった。同時襲名した福団治はいまや人情話では至芸の域である。仁鶴も最近は見ないが、落ち着いた芸風で晩年を過ごして良い味を出している。

まだまだ、枝雀のDVDを見る気にはなれない。

 

 

「吾妻ひな子」の画像検索結果

 

 

 

 

 

以前、吾妻ひな子の稿で、千日劇場で「お笑いとんち教室」と書いたのは、「お笑いとんち袋」の間違いだった。その頃から他人とは違う意表を突いた回答が印象的だったと、先代の桂文紅が答えている。

また、人間国宝の米朝は、明らかに自分の後継者を枝雀だと思っていた。米團治の名跡は息子に譲ったが、上方落語会を託していたことは間違いない。残念な事だ。

 

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