脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 太る恐怖

2014年08月08日 10時26分02秒 | 拒食症との戦い
『お父さん!!』私は、いつものように出勤前の支度をしていると妻が大きな声で言いました。昨日・・9月1日 原因は忘れましたが長女を叱り感情が高ぶり・・それまで娘に手を上げたことはなかったのですが・・娘の身体を揺さぶり叩いてしまっていたのです。その時に娘も痛がり体調を崩し救急車を呼んで病院に行った・・その翌日でした。1階の客間へ行くとグッタリとした長女が息を荒く苦しそうに『痛い・・胸が・・痛い・・』傍に居る妻の表情は険しく『お父さん・・病院に連れてって!!』そう妻が言った瞬間『病院は行かへんッ!!』物凄い大きな声で叫ぶ長女に一瞬、私も驚いたのですが『この前行った総合病院に電話してみる・・この前、若い先生やったけど何かあったら電話くださいって・・』その場から立ち去り携帯を持った時『行かへんッ言うたら行かへんのじゃーーボケッ!!』娘の口から信じられないほど汚い言葉が耳に飛び込んできました。見ると妻は長女胸に濡れタオルを当て『しんどいんやろ?な?A香・・病院・・行こうな!!』泣きながら長女に病院へ行くよう懇願していました。私は長女の叫び声に構わず携帯電話を開きプッシュした・・”Prrrr♪”『ハイS総合病院です』娘の状態を伝え先日お世話になった医師の名前を告げると『あ!あの時の方ですね?今日・・先生は当直明けでいらっしゃいますので聞いてみます。』暫く電話口で待っていると『お父さん・・医師の○○です』医師自らが出てくれたのでした『今から来れますか?私、お待ちしていますから、お嬢さんを連れてきてください。』何とも嬉しかった。私達の事を覚えていてくれ当直明けの疲れで疲労困憊のはず・・私は感謝のみでした『ありがとうございます。でも娘が病院を拒んで・・説得に時間もかかりそうです。』そう伝えると『かまいません・・お待ちしています。説得できなかったときは連絡くれませんか?』私は『もちろんです!』そう言い電話を切ると『病院なんか行けへんからなーー!!』そう叫ぶ長女・・(もう強引にでも連れていくしかない)そう思い黙って長女を抱きかかえると『ボケー!!下ろせぇーー!!行けへんのじゃーー』棒のようになった腕せ私の頭や背中を殴りつけるのですが不思議と痛くなかったのです。(こんな細くなった腕)本人は力一杯のつもりでしょうが、その力は頼りなく動きも遅く私の腕の中でジタバタしてるのですが私の力で十分に抑えることが出来てしむのです。女の子とはいえ身長163センチ・・普通なら暴れられると下ろしてしまいそうにもなることでしょう・・叩かれたら痛みも感じるはずです。娘は泣き叫び叩いているのですが・・そんな娘を見て(こんなに窶れ枯れてしまっているのか?)そう思うと涙が自然に出るだけでした。車に乗りこむと観念したのか急に黙り込み一言も話そうとしないまま病院に着きました。時計を見ると7:30AM・・エントランスには人はいなく夜間出入口から入ると看護師が『先生がお待ちですよ。』と診察室へと案内された。妻と長女が診察室へ入り私は廊下でまつことにしました。暫くすると診察室から妻が出てきて『お父さん・・体重・・40キロ・・服着てやから実際は40あらへん・・心電図とレントゲン・・点滴するって・・』もう40キロも無い・・そんな状態・・一体どうすればいいのか・・暗いトンネルに入りこんでしまった私達家族・・廊下の椅子に妻と二人腰掛けていると奥の方から『点滴なんかいらーーン!1太るッーーー!!ウチを点滴で太らせる気ィかぁ==!!』娘の叫び声が廊下に響き渡りました。思わず妻と顔を見合わせ点滴室に行くと『A香ちゃん!この点滴は太らないよ。胸の痛みを取る点滴やからね。安心して。』そう若い医師が宥め看護師が点滴の針を刺すと『やめろーー太るーーー』叫ぶ長女を複数の看護師が抑え込み『大丈夫!!太らないから!!先生を信じて!!』強引に病院へ連れてきた私は娘が可愛そうで・・連れてきたことを後悔しました。『お父さん・・連れてきて良かったんよ・・あれ栄養剤やねん。A香・・死なせたくない・・だから強引に連れてきてくれてよかったんよ』目に涙をためながら言う妻に『そうか・・良かったんかな?』点滴を終わらせ自宅に戻ると長女は黙ったまま・・客間に入り茫然と外を眺めているだけでした。この日から殆ど会話らしい会話は暫くありませんでした。私は会社へ出勤し上司には長女の病名を伝え現在の状況も話をしたところ会社として出来る限りのサポートをすると言ってくれました。このころから長女は学校も休みがち・・アルバイトは妻が車で送迎する日々となるのでした。
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心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 娘の変化

2014年08月08日 10時26分02秒 | 拒食症との戦い
平成23年 娘の『摂食障害・・拒食』が始まった年でした。あとから娘から聞いたのですがキッカケはダイエット。細身のスキニータイプのジーパンが欲しくて同級生と学校帰りのショッピングを楽しんでいたそうです。気に入ったジーパンを試着したとき結構、窮屈で友人から『痩せないとね♪Aちゃん』この何気ない一言が娘の心にスーーッと入り込み(こんな細いジーパン履けるようになりたい!!)そう思ったそうです。その日を境にダイエットを始めたそうです。それと・・高校2年に進級したときにクラス替があり仲の良い友達と離れてしまい・・クラスの雰囲気にも馴染めず大きなストレスを抱えていたのです。それが原因で私に県立高校への転校したい・・そこには友達もいるからと・・勿論、妻も私も反対し長女は転校を諦めたのですが・・長女の『拒食』の根っこは、そんな事ではなかった。今になって私達夫婦も、やっと長女の胸の内・・それも、ほんの一握りの理解をしたと思っています。平成25年5月・・女子高生として『おしゃれ』に目覚め当時人気の『アンクルージュ』というブランドが大好きな普通の女の子・・とても話し好きで明るく食べることも大好き。そんな普通の女の子・・『お父さん、せっかく特進クラスに入学したからウチ関西大学に行きたい!!』そんな意欲も見せてくれていたのに・・どこで歯車が狂ったのか私達夫婦と長女との距離がドンドン離れて行ってしまったのです。朝食はサラダ・果物・・昼食は弁当・・でしたが『お母さん、友達と食堂のモン食べるから、お弁当いらんよ。』そう言い弁当を持っていかなくなりました。多分、昼は抜いてるか本当に軽い物で済ませていたのでしょう・・夕飯は『お米』は食べなくなりました。野菜・魚中心で肉に揚げ物は一切、口にしなくなりアルバイトの時は夕飯を食べずコンビにで廃棄されるサラダを食べていたのです。夏が過ぎ秋の香りがし始めた頃・・長女の身体は誰が見ても痩せており体力もなくなり修学旅行に行くのも不安な健康状態でした。わずか4か月で53キロあった体重が42キロ・・あーーッという間に痩せ未だ夏の余韻が残っているというのに『寒い・・』といい冬物の制服を着てマフラーを巻きマスクをして学校に行くようになりました。体力が無いのにアルバイトだけは欠かさず学校から帰りバイクでバイト先のコンビニまで15分~20分かけていくのです。22時までレジや品出し・・何か動くことでカロリーを消費している・・そんな風にも見えました。この年9月1日までは未だ学校にも行きバイトにもバイクで行ける状態でした・・9月1日までは・・
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