長女の転校希望を猛反対し数日後の夕飯時 妻がご飯を茶碗に入れ長女のところへ持っていくと『ご飯多いし、こんなにイラんッ!!』少し怒った口調で言うので『え?いつもの量やん・・食べ盛りやのに身体の具合でも良くないん?』と聞く妻に対し『いらんもんは、いらんねんッ』ムキになった長女に、こりゃアカンわと私に目で言ってくる。この時の長女の行動には単に体調を壊し食欲がないんやろ・・そう夫婦で思っていたのですが次の日の朝『行ってきま~す。』と朝食も食べずに学校へ行こうとするので『A香!朝食は?パンだけでも食べな、勉強もできへんよ!』大きな声で長女を呼び止めるかのように妻も言ったが・・どこ吹く風のように玄関を出ると『ブルルン』原付のエンジンを始動させ、さっさと駅へと向かいました。『まだ体調悪いんかな?』妻は多少、不安そうに私を見つめるのですが私も身支度を整え会社へ行こうとしていたので『たぶん、そうなんやろ。』そう言って自宅を出ました。その日の夜、仕事に疲れ自宅に帰ると、妻が『お弁当、全部食べてやった。安心したわ♪』後で、分かったことですが、この日の弁当を娘は食べておらず捨てていたのでした。長女は近所の飲食店で、アルバイトをしていたのですが辞めてコンビニでのバイトに変わったのです。『お母さん、明日から18時インで23時までのバイトやから夕ご飯いらんから・・』そんな、やりとりが有ったらしいのですが私は仕事で遅く長女のライフスタイルの変化には気にしていませんでした・・そんな生活が続いて数週間が過ぎたころ妻が『なんか最近、A香 痩せてきたみたい。本人に聞いたらダイエットって言ってるけど・・今日も何も食べんとバイト行ったし・・あの子バイト先で食べてるから・・って言うけど・・痩せてきたと思わない?』と不安気な妻に『痩せてきた?ダイエットしてるんやったら痩せてええんとちゃうか?そういえば少し顔のふっくら感がないな』まだ全く気にもせず私は妻に言ってみたのですが妻が一言『あの子、今日の弁当・・食べてるんやろうか?』少し重い空気になり『あーー飯・・俺の飯!』と気をそらすように言う自分自身も、まだ『まさか!?』自分の娘が大変な事態になり家族を巻き込んでいくなんてことは思っていませんでした。
長女が高校2年生になった5月のゴールデンウイークの頃、リビングでテレビを見ていた私のところに長女が2階の部屋から下りてきた・・何か言いたげな、その表情は瞬間に感じたのですが、あえて何も聞かずテレビを見ていたのです。ソワソワ長女も落ち着かない様子で私の顔を見ているのも感じました。(何やろ?何か、とても話したいことでもありそうやな)そう思ったのですが、何とも言えない重い空気が流れていたのです。妻は何か感じているのか、感じていないのか、無言でキッチンで何やら用事をしていました。時間の経過とともに空気の重さは増幅し、とても会話ができる雰囲気ではなかったのです。テレビの画面がCMに変わった時、私はトイレに立ちました・・トイレで(何やろ?)そう思うだけでしたが用を済ませリビングへ戻るや『お父さん、学校、転校したい!!』意を決して言った、その言葉が出た長女の表情は悩み苦しみ勇気を振り絞り言ったぞ。という表情でしたが思いもかけない言葉に一瞬、絶句し ぽかんとしていると妻が『え?今、あんた、何て言うた?転校?』妻の言葉に反応した長女は『いややねん・・今の学校・・県立N高校に転校したい!!友達でMちゃんもおって誘ってくれてるし・・』真剣な表情で、ゆっくり話す長女に対し、ようやく平静を取り戻した私は『あかん!!』一言言うと『なんでやのん?高校さえ出たら大学も、ちゃんと受けて行くし・・とにかく今の学校・・クラス替えなってウチの居場所ないねん。』長女は高校受験で希望高校に失敗し大阪の私立高校へ入学したのですが偏差値は、さほど高くないものの一応、特進コースで入学していたのです。2年になり偏差値別にさらにクラス替し、もう一方の偏差値の高い特進コースへのクラスに入れなかったことが大きく影響していたようです。クラス替から1か月・・新しいクラスメートとも合わない、今のクラスだと希望大学も無理との理由を、今度は早口で私や妻に訴えてきたのですが本人が転校したいと言う県立高校は今の学校より10以上も偏差値が低く、つじつまの合わない転校理由に当然、納得できるわけもありません。妻が『N高校なんか行ったら大学なんか名ばかりの大学しか無理やんか?あんた?もしかしてイジメられてるん?』ストレートに聞く妻を制御し『ホンマのとこは、どうや?お父さんは基本的に転校は反対や。もし・・イジメられてるとしてもや。』今、思うと、なんと冷たい言葉であったか、この一言が後々、私にとって大きな後悔と反省になるとは・・この時点では全く思いもよりませんでした。『わかったよ』そう言って2階に戻った長女は、その日、全く私達と話さず部屋にこもり妻が『そら、そうやん・・』希望高校の合格発表を一緒に見に行った妻が『背伸びしたからやねん。T高校が妥当やと先生が言ったのにK高校を受けた・・あの子自身が選んで不合格になり大阪の私立に行ってる・・いったん入学した以上、卒業せな・・これから、どれだけ似たような事があるか?そやろ?その都度、逃げたら、あの子のためにも良くないやん。だから私も反対や。』そういう妻に全く同意の私でしたが、この時、大切な忘れ物をしていたのです。それは長女の話を、じっくり聞いてあげること。世間体や常識だけを、おしつけ反対してしまい長女の『心の声』を聞かなかったこと。それが、大きな穴へ長女を追いやったとは・・気付かなかったのです。
平成24年11月1日の夜のことです。原因は忘れましたが津亜と長女が言い争い長女が急に『この家にはウチの居場所なんか・・・あらへん!!出ていくッ!!』そう泣け叫びリビングから出ていきました。バンッ!!玄関扉が大きく鳴りひびくと同時に『うわーーーッ』妻も大きな声を出したかと思うと、その場に崩れるように、しゃがみこんで泣きました・・『お父さん・・どうしよう?私・・また、あの子を叱ってしもうた・・なんで叱ってばっかりなんやろ?』妻にも自分自身が長女への愛情が一体どう感じているのかが、わからないほど心が疲れていたのです。私は、この時に、やっと妻の心が壊れかけているのではないかと・・と気づく自分がいるのでした『少し放っておいてあげたら・・どうや?少ししたら帰ってくるやろ?』なんと無責任なことを言っているんや?心の中でつぶやく私に『なんで?なんで放っておくん?私・・探しに行く!!』今度は私と妻が言い争いになり『もう!やめてや!!』次女が、そう叫んだ、その時『prrrr♪prrrrr♪』リビングの電話が鳴りました。受話器を取った次女が『警察・・』伏し目がちに、そう言い受話器を私に渡すので受け取り『はい○○ですが・・』ぶっきらぼうに言うと『警察署の者です。お父さんですか?今、お嬢さんが川に飛び込もうとし近所からの通報でかけつけました。すぐ来てください。場所は・・・』なんと、その場所は自宅から、ほんの2~300mの場所でした。『あーーっ生きてたっ・・すぐ行く』妻が泣いていいました。なぜ?生きてた?家を出た瞬間に自殺する?そう妻は予感していたのでしょうか。『母』だからでしょうか?次女が『ウチも行くッ』妻と3人で現場付近に近づくと橋の近くから『死んだる~ッ!!もう死ぬねんッ!!』長女の大きな声が私達3人の耳に飛び込んできました。現場へ急ぎ達到着すると4~5名の警察官、婦警さんもいました川にかかる小さな橋の周辺は、野次馬が群がり周辺は人だかりでしたが警察官のそばへ行き妻と二人、『お騒がせして申し訳ございません。』頭を下げお詫びを言っている時に『死なせろ~っ!!』大きな声で叫んでいる長女の声が耳に入ってきました『ひとまず、お嬢さんを警察まで連れていきますので後で署まで来てください』別の警察官と婦警さんが叫び暴れる長女を抑えパトカーに乗せて連れていきました。私達も一旦、自宅に戻り車で警察署へ・・私が運転する横で『私が悪いねんっ・・私が・・』そういう妻に次女は黙って後部座席に座り暗い景色に目をやっていました。車内の空気は重く、もう誰も口を開こうとはしません・・クルマのエンジン音だけが耳をかすめるだけでした。警察に着き玄関の自動ドアが開いた瞬間『放せぇ~ッ11もう死ぬねん!!何が警察じゃーーーっ!!』もの凄い大きな声で叫び警察官の背中を叩いて暴れてる娘がいました・・『あの・・すみません・・○○ですけど・・』と名乗るとカウンターの向こうから婦警さんが来て『ご両親ですね?どうぞ、こちらへ・・』別室へ通され婦警さんと男性警察官との面談が始まりました。
脳出血で倒れ退院直前に障害者手帳の申請手続きをしておいた。入院中、可動域の測定とかし主治医から4級の身体障碍とし診断が出たので、そのまま役所へ届けていたのですが・・年が明け2月のある寒い日・・自宅のポストに役所からの封筒が入っていたので開けてみると6級の認定でした。私は目を疑いました。ネットで調べてみると医師の診断が、ほぼ決定すると大抵のサイトに記載されていたので思わず役所へ電話すると直接の認定は本庁で行っているとのことで再度、本庁の社会福祉へ連絡。電話口に女性が出てきたので担当に代わってもらい『医師の診断が4級であるのに何故、行政で変更しているのですか?』と問うと行政担当が診断書と測定項目を見て再度、主治医に連絡し級が変更となったとしか言わず、どうも納得がいきません。どうして私が問い合わせたか、その理由は、その等級が労災後遺症等級にも影響するのでは?労災後遺症等級は今後の年金金額は勿論、裁判での慰謝料にも大きく影響するからです。不服申し立ても考えましたが、ひとまず弁護士へ相談のメールを送信し翌日、主治医のところへ妻と向かったのです。主治医に身体障碍の等級について質問したところ『あ、あれね・・双方で話し合って決めました。』と例のごとくパソコンに向かって話す、その姿に少しイラッと来た感情を押し殺し『でも先生の診断では4級ですよね?なぜですか行政の人は私と会ったこともないのですよ!!』と言うも『とにかく決まったんですから不服なら不服申し立てしてください。』と全く話になりません。(医師のプライドあるんかな?)そう心に呟きながら『そうですか!!』・・と言い少し文句を言おうとしたら横から妻が『お父さんッ』と言い首を横に振ったので、そのまま診察室を出ました。帰宅しメールボックスを開けると弁護士からのメールがありました。クリックして開くと『身体障害手帳等級と労災後遺症等級は別物で労働喪失力が重要です。念のため高次脳機能障害検査を受け別の医師に労災では診断書を書いてもらうことを、おすすめします。』とあり少し安堵したものの主治医への不信感は募るばかりでした。
2月下旬、まだ寒さも厳しく冬の日差しは私たち夫婦にとって、とても悲しく目に写りました。自宅から車で30分程走ると、学校の正門の前に着いた。門に入り車を一旦、停止させて『去年の3月・・一緒に合格発表見にきたのに・・あの子・・泣いて喜んだのに。まさか、こんな事で学校に来ると思わへんかったワ』静かに運転席で独り言とも言えない寂しい口調で話す妻に私は何を言っていいのか思いうかばず黙っていると妻も黙って来客用スペースに車を停車させた。夕方のせいか生徒の姿はほとんどなくグランドで幾人かの生徒を見かけるくらいであった。そういえば私自身、次女の高校の校内に入るのは、その日が初めてなのが何とも皮肉である。正面玄関を開けると既に担任の先生が迎えてくれていた。あらかじめ連絡もしてあったとはいえ礼儀の正しい人だと・・容姿はスキンヘッドで少し強面の顔、身長は170センチあるかないかであるが体格は、がっしりしてる。日頃から担任の噂を次女から聞いていたので、それとなく人柄は想像がついていた。『お父さん、お母さん、わざわざお呼び立てして申し訳ありません。どうぞ、こちらへ。』と職員室とは反対の廊下を歩き案内される。妻と二人で廊下を歩いていると何とも言えない懐かしい匂いが漂う・・そう・・学校の匂いが鼻先をくすぐるかのように自分の高校時代を思い出させる。部屋に通され妻と二人椅子に腰かけると対面に担任が座り『このたびは誠に残念です・・私の力不足で申し訳ございません。先日、書類はE香さんに渡しておきましたが・・』と額の汗を拭いながら話す担任に『いえいえ、こちらの方こそ、お世話になり、ありがとうございます。』担任は、先日、わざわざ自宅近くまで書類を持ってきてくれたようで娘から預かっている。書類は1年次の単位修得と編入手続きの書類であった。娘自身は担任に対し心は開いていたようで、よく相談していたようであった。約1時間ほど退学の手続きや修学旅行費用の返還など事務的な話以外に次女の学校生活を話してくれて妻も私も何とも言えない気持ちがこみ上げてきたのです。担任にお礼とお詫びを申し上げ学校を後にする車の中で『ええ先生やん・・あの先生に何で・・あの子は・・』と涙を浮かべる妻に『そうやな・・ええ先生や。ウチの子を気にかけてくれてたのに・・』少し重い空気が車の中に立ちこみはじめたので気が付いたら、そのあとは会話もなく自宅についた。その夜と言っても深夜に・・次女から電話が入り『もう!あかん・・我慢できへん!!』と泣きながら話す次女に対し妻が『どうしたの?お姉ちゃんと喧嘩したん?』話の内容は、とにかく『食べろ!食べろ!』と煩く言い油っこいモノやカロリーの高い食べ物を買ってきては煩く言い食べさせられるらしく次女にとって大きなストレスになっているようで部屋の掃除・・鍵も1つしかないため外出もできないと、とにかく妻に訴えてくるので『わかった・・明日、おばあちゃんのトコで待機しとき。お母さん、迎えに行くから実家に帰っておいで。』と返すと次女も素直にそうすると答え翌日、迎えにいくことになったのです。長女は拒食症になっていらい『食』に関しては異常なのです。妹に食べさせて太らせることで心が安定するんです。拒食症は単に食べられない病気ではありません。精神的な病気で、長女が高校2年から3年の2年間は家の中は地獄そのものでした。大学に行き一人住まいしてから少し落ち着いたと思っていたのですが・・無理だったようです。話はそれましたが次女は結局、退学し大阪にある通信制高校への編入が決まったのですが・・それからも一波乱あるのです。