自宅でネットを見ているときリビングの電話が『prrrr♪』何度か鳴り出てみると『○○さんの、お宅でしょうか?』どうも聞き覚えのない男性の声だったので黙っていると『私T高校でE香dさんの担当のOと申します。』非常に丁寧な口調に、こちらも恐縮し『あ!いつも、お世話になっております。』お決まりの挨拶を交わし担任からの話が、およそ30分・・結構の長電話である。内容は娘が退学を希望し通信制の高校へ編入したいと言っていたので懸命に引き止めたが力が及ばず申し訳ないとのお詫びに加え編入手続きも機嫌までにすれば2年次から可能なので書類を娘に渡したいとのことであった。次女が長女の家に居候する直前に私に通信制への編入を、ほのめかしていたので、ほぼ内容は知っていたが編入と言っても『お金』である。なんだかんだと全日制私学ほどではないにせよ年間数十万円は必要で余裕のない状況の中、大きな出費・・・県立の高校に行くまで塾・・モデルレッスン・・長女の退学までの学費・・歯の矯正・・大きな大きな出費を続けてきて・・別に単位が取れず落第するわけでもなく精神的な問題とクラスメートとの関係で退学とは・・本来なら叱り飛ばしてでも行かせるところなのは十分にわかっているのですが、これまでの経緯からと次女の頑なな意思もあって退学を受け入れることにsたのです。担任は一度、学校にきて欲しいとのことで夫婦で後日、伺う約束をしたのです。
急性期の病院から回復期リハビリ病院へ転院したのは去年H25年の7月22日病室も決まり脳外科医師との初対面・・車いすで外来待合で待っているのですが診察室前の廊下に待合用の長椅子とかあり、その横で妻と二人診察を待っているのですが午前診療は込み合っていて廊下は行きかう人が多く、入院患者が点滴しながら目の前を通ります。整形外科で有名らしく、とにかくギプスや杖・車いすの患者が多く狭い廊下では、お互いが道を開け気を使いながら通行しなければなりません。ガヤガヤとしている中『○○さ~ん』と脳外科診察室の看護師に呼ばれ妻と二人で診察室へ・・医師は初老の男性で眉毛もボウボウと手入れなく髪の毛もトップが薄いわりの横から強引にハゲを隠している体つきは細い医師でした。少しシャガレた声で『脳出血でしたね?最初の病院で撮ったCT、MRIはありますか?』と質問され『CTはありますがMRIは撮ってませんのでありません。』と答えると『MRIが無い?普通、撮りますけどね!』少し強い口調で言われ私も少し気分を害しましたが『閉所恐怖症でして、一応、撮る準備までしたのですが、やはりダメでしてCTを2~3度撮ってます。』と答えると『それでは仕方ないですね。ひとまずウチでもCTを撮ります。薬は同じものを続けて飲んでください。』医師との、やりとりの中、ふと気づくと・・(この先生、患者の顔見て話してへん・・・パソコンに向かって喋ってる)診察室を出て、いきなり『何なん?あの医者!!ぜんぜん、お父さんの顔見んと、パソコンに向かって話しして!!パソコンが患者か?んで、あの話し方、ど~も気にいらんッ。思いっきり上からやん!!そら?医者はえらいし賢いかも知れんけど・・なんか腹立つッ』妻の言う通り私も、なんとなく、この医師、腹立つと思っていましたが、やはり・・・その後の半年の入院中、何度かムカツク事がありましたし極め付けは障害者手帳の診断書のときでした・・その件は後日、お伝えいたします。ホンマ、おおざっぱでプライドだけは高い爺さん先生・・・リハビリ中でも作業療法の先生も『あ~ T医師ねぇ・・もう一人の若い先生の方がいいんですよ。イケメンだし♪』そっちか?と思わず心の中で呟く私でした。
5月のある日、インターネットで障害者関連のサイトを見ていると障害者には障害に応じた年金を受給できると書いてありました。申請には中々、事務手続きや社会保険庁・市役所へも行かないとダメみたいで私の身体の状態では、とても無理・・・何とか方法はないものかと調べていると社会保険労務士に依頼すれば代行してくれる・・報酬は勿論、必要ですが・・早速、ネットで問い合わせしたところ三重県??の社労士さんが対応してくれることになりました。自宅に招き、一通りの説明を受け、私の場合は国民年金からの受給は困難とのこと。国民年金の場合は障害者手帳1級~2級、状態によって3級が目安らしく杖をついて歩行できるレベルは受給は、ほぼ無理・・厚生年金の2級~3級であれば可能とのこと。学校を卒業し、これまで30年以上の厚生年金保険料の支払額は1000万円を超えていることを伝えるも『上限があり障害等級に加え年数と掛け金の複雑な計算で決定されるので現時点で幾ら支給されるか・・また不支給決定される場合もあり何とも言えません。まずは医師の診断書次第なんです。』とのこと・・・医師は病気を治すのが仕事であって事務屋ではありません。私の場合、訴訟もあり弁護士が労災後遺症の診断書作成に関与するので年金も併せて医師に弁護士を通じ、お願いすることにおなりそうです。障害年金は癌になってしまった場合も申請できることを知り、この病気を通じ、いろいろと勉強になりました。社労士は早速、私が救急搬送された病院に行き書類を取り寄せ年金履歴も確認・・あとは症状固定されてから行動してくれると連絡がありました。障害年金が受給でき、労災も一時金でなく年金になれば、ひとまずは安心できます。働けない私が家族にできる事は最大限、していきたい・・全国に脳卒中で私と同じくらい、もしくは、それ以上の苦しみ、辛さを感じている人・・そして、その御家族様に私のブログが少しでも何らかの励みになれば。。そう思っています。
今朝のニュースでビリーバンバンの兄が脳出血で倒れたそうです。トイレに入って40分経っても出てこないので94歳の母が救急車を呼び一命をとりとめたとの事・・ビリーバンバンは昭和40年半ばから後半に活躍したアーティストで『さよならをするために』『白いブランコ』等のヒット曲があります。そのニュースを聞き私も平成25年6月16日・・・職場で倒れ救急搬送され昨年の今時分は、やっとベッドから車いすに移る練習が出来て右足で車いす前進させる事が出来るようになり平行棒4mがやっと歩ける状態で大半はベッドの上で寝ているだけ・・妻も毎日のように来てくれリハビリ中にも、付き添ってくれることもありました。倒れる直前の、あの何とも言えない・・頭の中が雲で覆われる感触と『フ~ッ』と体中の空気が抜けていく・・力が入らず・・周囲の人達が、しきりに『大丈夫ですか?』『おい!救急車呼べッ』とか聞こえるのですが喋ろうとする気持ちだけで・・口が動かないのです・・・やっとの思いで『らい・・ようぶです・・』(大丈夫です)と言うのが精いっぱいでした。今、思い出すと、一瞬でしたが『死』を覚悟しましたが一方では生きるんだという気持ちも強くありつつ、何とも言えない心地よさで倒れたのを覚えています。痛さとか苦しさは全くなく、とにかくふわッと・・そしてスーっと体中の力が抜けていく、あの感触は心地よいのです・・しかし・・今でも時々、怒りの感情が高ぶると似たような感覚が頭に来るのですが、その時は恐怖しかありません。心地よさなど全くなく『死』or『再発』の恐怖のみが頭の中をぐるぐる回ります。何度か経験するうち『怒り』やイライラ・・はしないよう気持ちや考え方を変えるように心がけています。ある本を読んだのですが『怒り』の多くは些細な事が原因で自分の思い通りにならないことや自分の価値観や行動パターンを狂わされたときのようです。ようするに頑固さや自己中心、他人を受け入れる器の大小で怒りの分岐点に違いがあると書いていました。本当に怒らなければならない時・・それは、そう多くないようです。何度か再発の恐怖を味わいながら『己』の小ささに思い知らされ1年が経過し・・やっと少し感情の高ぶりは出ないようになってきました。夫婦喧嘩は犬も食わないと申しますが私は夫婦に限らず『喧嘩そのものは犬も食わない』と思います。頭に血が上り理性を失い怒鳴ったり、がなったり・・時には暴力や殺傷事件になる・・双方、後味も悪く意外に気まずくなったり・・周囲の人達にも嫌な思いをさせる・・失うものは決して少なくないのに・・私が倒れたのも電話中に感情的になった時でした。あれから1年、多くのことを学び『感謝』『反省』『謝罪』の大切さを知り、病気になる前は『傲慢』『見栄』『自画自賛』『自己中心』等・・振り返れば顔から火が出る思いを経験し、その度、胸の奥が『キュン』と痛みました。もっと人を大切に相手の気持ちになって考え、欲しいと思う倍以上、与える気持ちにを持って接することができたら・・・謙虚で人の話に、もっと耳を傾けていたら、幸せな人生であったのではないかと1年前の悲劇は、今の私にとって、お金では買えない人生の教訓を神様が与えて下さったのだと、しみじみと思えるのです。不幸な出来事であるのは確かです。でも不幸を経験しないと幸せも掴むことはできない・・不幸から這い上がり努力すれば幸せは必ずあると。今は信じることができます。幸せは人の『愛』を感じたときではないでしょうか?お金や役職・・贅沢も幸せかもしれません。でも妻と知り合えた時、娘が生まれた時、苦楽を共にした友人・・この人達さえ居れば、それだけで十分に幸せを感じた、あの時、あの瞬間を・・時が過ぎると出世やお金・・贅沢する事が幸せと・・そこに愛が、どれほどあったのでしょう・・サラリーマンの平均年収を大きく上回りそこそこ出世し多くの部下を持つと知らず知らずに傲慢になり王様きどり・・気が付いたら『リストラ』され転職,転職先では前職の自慢ばかり・・謙虚さもなく自分の経験を周囲に押し付ける。
人にやさしくする心・反省する心・感謝する心・ごめんなさいを言えない自分が、そこに居ました。上から目線・・そんな私に1年前、神様は、やむなく・・お灸をすえたのかもしれません。死んだ方が楽かも・・でも、あえて生かされたのは、それなりに理由がある。半年の入院中・・最初は『なんで俺が?』病気を恨んだのも事実です。でも入院中に人の優しさに触れ、人は決して一人では生きていけないことを思い知らされました。病気を発症したのは悲劇かもしれません。しかし病気になって理解できたことは、お金では買えない多くの大切なことを学び心に刻むことが出来ました。もし1年前に病気になって、そのまま死んでしまったら、私は、あの世へ持っていかなければならない大切な心を持たずに逝ってしまっていたかと思うと、今、こうして生きて、ありがとう・・ごめんなさい・・が素直に言えることは幸せに思います。1年前の悲劇は決して悲劇ではない。そう本当に思えるには1年かかりました。今では労災休業補償と妻のパート収入で何とか食べておりますが、もう出世とか全く望まず、高級ブランドとか良い衣服・物は全く欲しくありません。お金は生活に足りる丁度よい金額があればいい・・そう思っています。労災で裁判をすれば多額な、お金が入るかもしれません。この、お金は、これまで尽くしてくれた妻と大切な娘達に残せたらと思っているだけです。私個人は、とにかく穏やかに暮らし妻と一緒にいられれば、それだけで十分。病気の、おかげで妻とも話す機会も増え・・『お父さん、9月に・・これ・・この日帰り旅行行かない?』チラシを指さし私に話しかけてきた旅行は岡山への日帰り旅行 1人8980円。『これさ、おみやげも沢山あるし・・バス旅行やから・・観光で歩くことも少ないみたい。ね♪行こ♪』妻の笑顔を見てると久しぶりにいいかも?値段もリーズナブル♪『ええなぁ。行こうか?』1年前の悲劇・・私は今では悲劇とは思わずとても感謝しています。
人にやさしくする心・反省する心・感謝する心・ごめんなさいを言えない自分が、そこに居ました。上から目線・・そんな私に1年前、神様は、やむなく・・お灸をすえたのかもしれません。死んだ方が楽かも・・でも、あえて生かされたのは、それなりに理由がある。半年の入院中・・最初は『なんで俺が?』病気を恨んだのも事実です。でも入院中に人の優しさに触れ、人は決して一人では生きていけないことを思い知らされました。病気を発症したのは悲劇かもしれません。しかし病気になって理解できたことは、お金では買えない多くの大切なことを学び心に刻むことが出来ました。もし1年前に病気になって、そのまま死んでしまったら、私は、あの世へ持っていかなければならない大切な心を持たずに逝ってしまっていたかと思うと、今、こうして生きて、ありがとう・・ごめんなさい・・が素直に言えることは幸せに思います。1年前の悲劇は決して悲劇ではない。そう本当に思えるには1年かかりました。今では労災休業補償と妻のパート収入で何とか食べておりますが、もう出世とか全く望まず、高級ブランドとか良い衣服・物は全く欲しくありません。お金は生活に足りる丁度よい金額があればいい・・そう思っています。労災で裁判をすれば多額な、お金が入るかもしれません。この、お金は、これまで尽くしてくれた妻と大切な娘達に残せたらと思っているだけです。私個人は、とにかく穏やかに暮らし妻と一緒にいられれば、それだけで十分。病気の、おかげで妻とも話す機会も増え・・『お父さん、9月に・・これ・・この日帰り旅行行かない?』チラシを指さし私に話しかけてきた旅行は岡山への日帰り旅行 1人8980円。『これさ、おみやげも沢山あるし・・バス旅行やから・・観光で歩くことも少ないみたい。ね♪行こ♪』妻の笑顔を見てると久しぶりにいいかも?値段もリーズナブル♪『ええなぁ。行こうか?』1年前の悲劇・・私は今では悲劇とは思わずとても感謝しています。
次女は学校もバイトも放り投げ大阪にある妻の実家へ身をよせることになり、夜、妻が車で大阪へ次女を送りました。次の日、学校へは妻が連絡し事情を担任に話をしました。担任のO先生は娘の事を大変、心配していたようです。実のところ担任と娘は、それ以前に何かと携帯で、やりとりをし退学を、ほのめかしていたようで先生も説得してくれていたようです。とにかく学年末テストだけでも受けるよう言ってくれてて・・担任として進級すればクラス替えもあって環境も変わるので在学する期待を込めて言ってたようです・・・しかし・・友人とのトラブルで次女の気持ちは固まったようでした。担任は年度末まで在籍し単位を確定し編入に少しでもと、一度、本人に学校へ来るようお願いされたのでした。そんなことも、どこ吹く風の次女・・・その後は梅田のコンビニでバイトが決まり、おばあちゃんの家で居候・・さてさて・・その後は、おばあちゃんが結構、厳しい人なので門限とか・・言葉使いとか・・次女は息苦しくなり、ある日・・私の懈怠にラインしてきたのです。『お姉ちゃんの家に行く』それだけでした。