脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 拒食専門カウンセラーと内科医

2014年08月22日 11時27分20秒 | 拒食症との戦い
診察室の外で暫く待ってる最中、廊下の向こうから女性の大きな声が聞こえてきました。『今度、いつ?○日に来たらエエのん?今日は薬だけでええわ!!』思わず妻と声のする方向へ目をむけると40代半ばくらいの女性・・笑っている顔は、とても痩せており頬骨gさ浮いていました。目が異常にギョロギョロしていて髪の艶もありません。Gパンも、かなり細いタイプで袖から見える腕は木の枝を思わせるほど細く・・しかし声も大きく元気に笑って看護師に話しかけているのです。(この人も拒食症?摂食障害や・・)私も妻も、この時、同時に、そう心でつぶやいていたのでした。数分後、診察室から私達が呼ばれ中に入ると医師の正面に座っている長女の後ろ姿を見て思わず声にならない声が口からでてくるのでした(こんなに・・)とても高校生とは思えない・・老女のような背中に言葉を失っていました。『お父さん、お母さん、どうぞ座ってください。』医師は言葉柔らかく続けて話しました。『少し、お嬢さんと話をしました。点滴では太らないこと、食べたくなければ食べなくていいと伝えています。まず、話を聞いてあげてください。カウセリングは私の先輩であるY心療センターでいいと思いますし連携は取っていきます。今日のところは、お嬢さんの状態を知るため血液と尿検査を行い併せて点滴をします。身体の状態は見た目でも、かなり悲鳴をあげてると感じます。』医師は通院を指示せず来れるときに来ていいとのことでした。点滴治療を終えクリニックを出たとき私の気のせいでしょうか・・長女の顔が少し晴れて見えました。
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心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 拒食専門カウンセラーと内科医

2014年08月22日 11時27分20秒 | 拒食症との戦い
娘の体重も異常に減り学校への通学も車での送り迎えになるまでに体調は悪化しました。階段も上り下りも困難となり自宅でも何度も倒れる・・長女が学校を休んだ、ある日の午前中・・『A香、病院行こう・・』そう言うと言葉を遮るように『病院は行けへん!!食べろ!食べないと死ぬゾ!!ハイ点滴・・やろ?もうええわ!!』娘の反応は病院拒否。妻が『今度は拒食症の患者も大勢、診てきた先生やねん。そやからA香の気持ちを理解しようとしながら診てくれるから・・』そう言ったそうですが『ウチは食べられへん・・食べるのが怖い・・太るくらいなら死んだ方がマシ!!』なんとか説得し翌日、大阪の上本町にあるTクリニックへブッチョウ顔の長女を連れに阪神高速 法円坂出口を下り鶴橋方面へと車で移動しました。法円坂は上町台地で天王寺へ向かう道には寺も多く大阪市内でも少し落ち着いた街並みでもあり天満橋へ向かう方向は大阪府庁・造幣局・中之島公園・・谷町筋には雑居ビルにマンション・学校と混在しています。上本町駅は近鉄大阪線終着駅で駅北側はラブホ・・南側には赤十字病院・近鉄百貨店に新歌舞伎座とあり梅田や難波のような華やかさはありませんが、どこか大阪らしい文化が漂う街です。上六交差点を左折し鶴橋方面に少し坂を下った途中に、そのクリニックがありました。高層マンションが立ち並び公園もあって昔は市内から郊外へと流れた人口も今では郊外から市内への人口移動が多いらしいですが、まさに象徴的とも言える街づくりを思わせる環境でした。あるマンションの1階にあるクリニックへ入ると予想以上に患者がいて受付にて『インターネットで初診予約した○○です』と妻が言いながらバッグよりY心理療法センターのカウンセラーからの紹介状を手渡すと『はい・・お預かりします。』事務的な受付・・当たり前と言えば当たり前ですが妻も私も何か別な反応を心のどこかで期待していました。長女は既に不機嫌な顔でソファに座りつつ携帯に集中。『病院では・・やめ・・』そう妻が言いだすと”パタッ”携帯を閉じ黙ってポケットに仕舞うのでした。初診のためか待ち時間も長く、漸く『○○さ~ん』長女の名前が呼ばれ尿と血圧・・そして体重・・体重計に乗るとレシートみたいなのが出て重さが、そこに記載される・・血圧計と同じ仕組み。長女は体重を目の前では測らずレシートをGパンのポケットに仕舞いこみ黙ってソファに座るのでした。そして暫くして『○○さ~ん』診察室から長女の名前が呼ばれ妻と私・・そして長女が診察室のドアを開けると40歳半ばの医師が座っていました。医師は『あ、お父さんとお母さんは少し外で待っていてください』そう言い看護師より入室を拒まれつつ診察室のドアが閉まるのでした。
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心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 拒食専門カウンセラーと内科医

2014年08月18日 12時43分19秒 | 裁判
今日は2回目のカウセリング。妻は長女と会話した記録レポートを片手に助手席に座っている。『お父さん、A香と会話せぇって言われてたけど・・結局、大した会話できへんかった。』表情は暗い、どうやら妻が話しかけても『うん』くらいしか長女から返ってこなかった様子。『殆ど口きけへんけどバイト帰りの車の中と帰ってきた時は結構、喋るけど・・すぐ途切れるねん。』話がかみ合わない・・いつものよに阪神高速から新御堂を走り淀川が見えてきた。『会話で拒食症・・治るんやろうか?』妻は不安気に聞いてきた。『治ると信じるしかあらへんやろ?』実は・・治るのではなく私達が治す・・その意識が私達には無かったのです。長女は医師やカウンセラーに依存し親である私達の、その依存してる意識に抵抗していた・・今なら、そう思えるのですが、この時は全く理解していませんでした。緑地公園駅近くの駐車場へ停めカウンセラーのマンションへ・・3回目で慣れているはずなのに扉のノブを握る手は重く、ゆっくり回しドアを開けました。待合のソファに腰かけると先約が未だ終わらず暫く待っていると、ふとソファの横に目をやると、ここのセンターのカウンセラーが著者である本が何冊か置いてありました。そのうちの1冊を手に取り読んでいると【過食嘔吐の摂食障害】になっている少女の治療場面が記載されていたのです。おそらく・・ここのセンターの部屋でのシーンでしょう・・このシーンでは少女もカウンセリングに来ていて両親と4者面談でした。興味深く読んでいると『○○さん』私達夫婦をカウンセラーが呼ぶので私は読んでいた本を置き妻と、いつもの部屋へ入りました。カウンセラーはお茶をテーブルに置きながら『お嬢さん・・何か話してくれましたか?』そう声をかけ、お茶を置くと自身の席に座りパソコンの電源を入れました。『なかなか会話らしい会話ができませんでした。』そう妻が言うと『そうでしょうねぇ。えっと・・レポート頂けますか?』妻はレポート用紙を渡すとカウンセラーは受け取るなりパソコンのスキャナーへセットした。『では・・これから始めます。以前も言いましたが拒食症は必ず治りますが、お父さん、お母さん次第です。私はブラックホールに落ちたお嬢さんを助け出す手伝いだけです。お嬢さんを拒食から助け出すのは、ご両親しかいません。』そう言い妻の書いたレポートを大きな画面に写し出した『今日、お客さん多かってん・・これお嬢さんの話ですね?それで・・お母さんは・・ふ~ん、そうなんや・・と・・そして・・』レポートを全て復唱し終えると『もう少し問いかけてあげてください。そうなんや・・じゃなくて・・多くて忙しかった?とか、どんな商品がたくさん出たの?とか具体的に聞いてあげてください。そして娘さんが、もっと話したくなるような話題を投げかけてください。今日のところは、こんなもんでいいでしょう。』約1時間半のやりとりの後、私達から『とにかく体重を言いませんし見た目の痩せていきかたが異常です・・近所の病院へ点滴に行くのも拒否する始末・・毎朝、起きられず学校も遅刻・欠席も増えて・・』そう言うと『40キロありますかね・・先日、申し上げたT先生のクリニックに行ってください。私からは通してあります。』そうカウンセラーが言うのは理解しても病院と聞くだけで拒否する長女を、どう説得して連れて行けばよいのやら・・『お嬢さんは”死にたい”とか言いますか?』カウンセラーが静かに尋ねた。『はい・・時々・・言います。』妻が答えると『それなら大丈夫です。お父さんとお母さんが諦めず説得すれば必ず行くはずです。死にたいと行ってる間は生きたい気持ちが強いときもあります。バイトは行くのでしょう?であれば大丈夫です。T先生のところで体重も測ってください。では今日は、このへんで』カウンセリングを終えマンションを出ると外は暗く・・もう勝手知ったる道を妻と歩いていると道沿いにある小さなスーパーのガラス戸の向こうに母と娘であろう二人が仲よく買い物をしている姿が目に飛び込んできた。『私・・あの子と笑って買い物したこと・・あったかな・・あの子が大きくなってからは・・無いような気がする。』妻も買い物している母娘の姿をみていたようでした。私は言葉を返すことなく『E香が待ってるし・・早く帰ろう!』そう言い足早に駐車場へと向かいました。帰りの車中・・『私・・A香と話してへんかってんなぁ~』妻は一言、そう言うと車の窓から見える風景を見てるだけで、その日は二人とも黙ったまま帰り路を急ぐのでした。
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心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 エピソード3 学校の暖房

2014年08月17日 09時58分41秒 | 裁判
ある冬の日・・高校3年生の長女が学校から帰ってきて『今日、授業中に教科の先生に、ひざ掛けとられてん・・規則や・・言うて・・りょうちゃん先生にはウチの病気の事言うてあってウチだけひざ掛けOKやねん。クラスの子もみんな知っててくれて授業中に””A香ちゃんんはひざ掛けOKや””言うて教科の先生に言ってくれてんけど・・””何言うてんの?規則や!!””言うて取り上げてん』病気前の長女の性格なら声高に・・訴えるように言うはずなのに、この日は顔を俯かせ小さな声で妻に言ったそうです。更に・・『学校・・暖房の温度低いねん・・みんな寒いって言ってる・・ウチは寒さ半端ないし授業どころやあらへん・・おまけにひざ掛け取られて・・言い返しても無理やし。』そう言ってバイト先へと妻が車で送ったのです。以前も言いましたが長女はアルバイトが生きてる自分自身の実感でした。出席日数もギリギリ・・成績も低下し何とか課題と及第点を取って”りょうちゃん先生”からAOで幾つかの大学・短期大学を薦められてました。関西大学は夢のまた夢・・ひざ掛けのことを仕事を終えて妻から聞いた私は『わかった』一言だけ返しただけでした。娘の病気のことで頭がいっぱいな私は学校、いや教科担当の無配慮さが腹立たしく感情が先走り、翌日、自分の携帯から電話したのです。今、思えば親バカとしか言いようがありませんが毎朝のように息をしてるか?妻が確認したり起床したらトイレにも抱えて連れて行き息苦しい呼吸をしながらサラダ・キウイ・メロンにフォークを刺して食べる娘の痛々しい姿を見ていると・・学校や教科担当のルールという言い分に憤りしかありませんでした。Prrr♪『はいY学園でございます。』男性の声に『○○教科の先生、お願いします』私は感情を抑え言うと暫く待たされた後、教科担当の先生が電話口に出ました『○○ですが・・』不愛想な一言が更に私の感情えを逆なでしました。『○組の○○の父親です。お世話になっています。』定番の挨拶を済ませ私は、すぐさま本題を伝えたのです。『娘の病気のことは担任のH先生(りょうちゃん先生)から聞いておられますでしょうか?』そう聞くと『はい聞いています』あまりに淡々と答える、この教科担当に私は開いた口がふさがりませんでした。『では・・なぜ?ひざ掛けを取り上げたんです?校内のルールだからですか?』声を震わせ怒りを抑えながら聞くと『はいA香さんだけ特別扱いはできません。他の生徒も寒いのですから・・』まだ続けようとする言葉を私は遮り『教室の暖房温度が適温でないと聞いてますし教室の他の生徒さんも寒い寒いと言ってるそうですが何度で設定してるのですか?』そう聞くと少し黙って小さな声で『○度です』そう答えるので『それは寒いでしょう!先生、あなたも寒かったでしょう?教室内が適温であれば確かにひざ掛けを取り上げルールと言うのは理解できます。しかし適温でなく肌寒い教室に学校側がしておいては納得いきません。一般的に室内温度の適温を採用した上でルールを語るべきではないでしょうか?』その後・・私は、この教科担当を責め続けてしまいました・・たぶん・・娘の拒食・・精神的に私も疲れ追い込まれていたかも知れません。責め続けたあと教室内の暖房を適温にするよう依頼すると『わかりました・・私のやったこと・・お嬢さんへの無配慮はお詫びいたします・・お父さん、少々、お待ち願えますか?』教科担当は、そう詫びた後、電話口に出てきたのは教頭先生でした。教頭も私に詫び今後、教室内を適温にすると約束してくれ私は一安心しました。そして、その2~3日後アルバイト先へ迎えに行った妻と帰ってきた長女が、いきなり『お父さん・・学校に電話した?今日、学校で他のクラスの子がウチのクラスに来て””うわッこのクラス、ムッチャ暖かい!!ウチのクラス、寒いのに!!なんで!!って騒いでた・・ウチのクラスだけ暖かくなってんの、おかしいやん。ひざ掛けのこと、お父さん、電話したんやろ?』そう言うので黙って頷くと『お父さん・・ありがとう。』長女がボソッと答えてくれました。
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心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 エピソード2 長女の土産

2014年08月15日 14時01分29秒 | 拒食症との戦い
私達家族は北海道に縁がありまして・・私自身が高校の修学旅行で東北~函館~札幌へ行きましたし平成9年~平成13年12月まで転勤で札幌に家族全員で住んでました。関西に戻り長女・次女ともに中学の修学旅行で北海道・・長女が高校に進学し長女の1年前まではシンガポールだったのに長女の年度から・・またまた北海道・・長女が修学旅行に行った頃は激ヤセまっしぐらの途中・・体力も衰えて担任からも旅行中の引率には特に見守ってくれると連絡も受けていました。せっかくの修学旅行なのに美味しいものが全く口にすることも出来ず北海道といっても未だ雪が降る前・・秋ごろでした。約1週間の旅行を終えて帰ってきた長女はお土産いっぱいでした・・久しぶりの笑顔を、この日、見ることができたのです。『これこれ・・ジャガポックル今、人気やねんで。それと・・生キャラメル・・大通り公園で売ってて学校のみんなで取り合いして買ってんで・・定番の白い恋人にロイズの生チョコ・・懐かしいやろ?』得意げに鞄から土産を出す長女が愛くるしく、本当に久しぶりの我が家に『笑い声』が聞こえたのです・・『ウチ・・食べられへんやん・・友達・・札幌のラーメン食べたかったのに、ウチに気を使ってくれて・・ラーメン横丁行かへんかってん・・でも悪いやん?そやから千歳空港で山桃桜とケヤキのラーメン買って友達にあげてん・・』山桃桜(ゆすら)のラーメンは札幌地下鉄東西線琴似駅を下りて徒歩5分・・平成9年当時、地元では評判のラーメン店で行列が絶えない人気店でした。長女が3歳のころ食べに行きカウンターしかない席で私の膝の上に座らせながら食べたのです。あの時『とうと、おいしいね♪』そう言ってラーメンを食べる長女のことは忘れません・・その山桃桜のラーメンの味を覚えていて『友達にな・・ここのラーメンむっちゃ美味しいねん。お土産用やけど・・お父さんと行ったラーメン屋さん・・一押しやでって言って買ってあげてん♪』私は思わず胸をつまされました・・3歳の頃に食べに行ったラーメン屋のこと・・私と行ったこと・・さらに・・『ロイズ・・E香はホワイトチョコ、お母さんは普通のミルク、お父さんはヘネシー・・売っててんヘネシー・・ハイ♪』札幌に住んでいた時・・自宅から環状通りを走り豊平区役所を右折・・羊ケ丘通りに『ロイズ平岸店』があるのですが、娘達二人ともロイズの生チョコが大好きで良く買ってあげてたのです。その時の家族の好みの味を覚えていて修学旅行の土産にと買ってきてくれたのです。『ノーザンホースパークにも行ってん・・あの小人のオブジェ。。まだ、あるで♪ウチが滑った滑り台・・まだあった!!懐かしかった♪馬にも乗った・・お父さん、よく馬にも乗せてくれたやん♪』とにかく笑顔を絶やさず話す長女。妻も驚き『お姉ちゃん、楽しかってんや♪よかったね。』身体も細く顔も激ヤセ・・『でも寒かった・・とにかく寒かった・・この身体やろ?友達は制服で十分やけどウチは・・マフラーぐるぐる巻きで手袋してんねん。北海道の人でも、そこまでしてへん・・チョット恥ずかしかったけど楽しかったよ♪』この日の夜は長女の土産話で本当に久しぶりの家族団らんの夜でした。
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