脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

消費者金融会社に勤めて勉強になったこと(借金中毒)

2015年11月25日 09時37分03秒 | わが半生
お金・・人の心や社会で影響の大きいものはありませんね。でも時々、お金の無力さもすごく感じます。お金をめぐる人とのコミュニケーション・・私が未だ若く営業店社員・支店長をしていたとき。ホンマ、いろいろな人がお客様として来店されました。例えば・・『店長!悪いねんけど俺の枠を上げてくれへんかな?』枠というのは融資枠とか借り入れ限度額を言います。30万円の融資枠のお客様はATMからカードで30万円を限度とした融資枠の限度契約をしているリボルビング契約なのです。私は店頭のパソコンに備え付けてあるカードリーダーにカードを差し込むと画面にはお客様の属性や過去の入出金など全ての情報が映し出されるのです。このお客様、既に天井いっぱいの借り入れをして1000円も引き出しが出来ない状態でした。『W様、いつも、ご利用、ありがとうございます。現在30万円のご利用枠ですが、おいくらまでご希望でしょうか?』笑顔で尋ねると『50万までイケルかな??』少し照れながら言うお客様。やはり【借りる後ろめたさ】を出しています。画面には最新の他社での借り入れ情報も出ていますが3か月前の情報であり新たに情報センターへの問い合わせが必要です。これまでは他社1社50万の借り入れだけで変動はなかったのですが・・・当時は未だ情報端末が別だったので社員に『W様・・LE頼む』そう指示をし女子社員がバックヤードにある情報端末に行き照会をかけ結果の用紙を私に渡すときの表情が(増えてます)と言っているのがわかりました。用紙を見るとレ●クを含め4社180万にもなっています。(え?他社は全部50万貸してる・・)確かに属性は良好で中小企業とはいえ勤続も10年以上、自宅も持ち家で安定はしている。年収は・・550万かぁ・・微妙なところ。年収550万といっても申告であり源泉徴収を見たえわけでもない。もちろん、奥様に内緒で借りている。『W様。どうぞ、おかけください』私はカウンターに座って頂くよう声をかけると・・『アカンの?アカンかったら他で頼むからええねんけどな。』急に表情を変えて言うお客様。『いえ決して・・・ところでW様・・現在、弊社以外で融資を受けられているところ増えていませんか?』私の質問に多少、たじろぎながら『どうせ分ってるンやろ?増えたよ・・でも1件だけや!』少々、投げやりな言い方になっていて来店したときとは全く表情は変わっていました。『そうですか。1件ですね。』ここで、違うやろ?と言うと顧客に恥をかかすことになる。『今回、弊社での50万枠は何にお使いですか?』資金使途を尋ねても大半は正直に言わず嘘が多い。大抵はギャンブルや遊興費用に消える。『ちょっとな・・入用ができてん。』答えになっていない。ここで本当に顧客の事を考えたら断るべきかも知れない。でも断れば他社に行くと宣言しているこのお客様は相当、せっぱつまっていると思われた。他社に行くと30万の枠すら限度引き下げをせざるえなくなる。今月の融資残高を伸ばさないといけない目標もある。支店長として微妙な判断をしなければなりません。貸し倒れリスク・・このW様はレ●クと取引して3年。一度の延滞もなかったのです。(この人の人柄は何度か来店もあったし変な人じゃない。大丈夫。カウンターで雑談しながら『わかりました。失礼ですが会社、辞めてませんよね?』最終確認をした。W様は辞めてないというので在籍の電話をする了承を取る。顧客が私達の言うことをきくのは借りれるとわかった時である。『あ・・女の子は電話やめてや。』W様が言ったので男性スタッフに指示し顧客の目の前で会社に友人のように電話をする。『あ・・そうですか外出されてるんですか?・・・』男性スタッフの対応に聞き耳を立てながらW様と話し融資を了承した。『いやぁ助かったわぁ。』顧客は喜んでいる。借金が増えているのに喜んでいるのである。(もう・・この人は借金に対しなんの抵抗もないねんな)4社200万。おそらくクレジットカードに住宅ローン・・感覚が麻痺し目先の何かを達成するための借金。『W様、ないとは思いますけど・・これ以上、もし件数や金額が増えたら枠が減ったり最悪、貸出できなくなりますから・・』この一言は言っておかないと思わぬトラブルになることがあるので必ず、増加傾向の顧客には釘をさすように言います。でも増えるんです。
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もうすぐ労災等級の認定通知が来ます。

2015年11月24日 09時35分44秒 | 過重労働
脳出血で倒れたのが平成25年6月でした。労災の休業補償を申請し認定されたのが翌年1月上旬。脳疾患は時間がかかると聞いたのですが本当に待ったのです。そして平成26年2月に症状固定の診断を医師より頂き、後遺障害の申請をすぐに行いました。あれから9か月・・先週の金曜日、さすがにシビレを切らしてしまい労基署へ電話したのです。Y課長を呼んで頂き経過を伺いました。『Yさん。大変、お待たせして申訳ありません。漸く来週には通知出来ることになりました。郵送しますので・・扱いは年金になります。電話で等級をお伝えすることはできませんが・・』私は胸につかえていたものが一挙に降りていくのが実感できました。(やっと決まった)脳疾患は本当に時間がかかるらしいのです。労基署の医師の診断は、とにかく私が罹った病院からの画像とカルテで診断という、あくまで机上での診断です。それに等級認定で年金金額も決まりますし損害賠償請求において1等級違うと慰謝料・逸失利益の請求金額に何百万・・場合によっては1000万単位で変わるため労基署としても慎重に判断しなければなりません。労災年金と厚生年金に加え行政から特別障害手当が少しですが支給されることは確実になり、これで漸く家族を経済的に守ることは可能になりました。私個人としては住宅ローンもありませんし食べられる分だけあれば、それで十分ですが娘2人のためには、そうも言ってはおられず結婚するまでは出来る限りのことはしてあげたいのです。厚生障害年金も消費者金融時代の高い給与のおかげで24年間の保険料は結構、大きい金額でしたが、おかげさまで年間受給もそこそこ頂け、プラス労災年金ですので介護してくれてる妻に少しは恩返しも出来るのではないかな?これらの収入は決して私が贅沢してはいけない、お金だと私は気づいています。妻も、どちらかと言えば倹約家です。『お父さん・・それなりに貰えるけど私は使わないからネ♪もう性分やし・・』そんな事を言う妻に『もう5年以上、旅行も行ってへんし・・いろいろと、ありすぎたなぁ~。年明けたら九州にでも旅行せぇへんか?』私が言うと『・・・う~ん・・そやね。少しくらいは、いいか?どこがいい?』笑顔で言う妻に答える私でしたが、まだ、どこか寂し気な妻の表情を見て・・(娘のことなんかな?)その予感は当たっていました。
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消費者金融会社に限らず・・

2015年11月23日 09時52分11秒 | わが半生
今の時代、よく耳にするのが【ブラック企業】主に過重労働や未払い残業・・経営者が王様気分で従業員をコキ使う・・従業員をマインドコントロールし統制する経営・・昔々は結構、普通に存在してたし、いたるところがブラック企業であったのでは??マルチまがいの営業とか、わkwのわからない会員権の販売とか布団とか金・・経営理念がなく単に金儲けすればいい・・金儲けするばら多少、人をだましてもいい・・こんな会社・・何年か前に北海道の肉の加工会社や老舗の料理屋・・お菓子と、そのキャラクターが有名なF屋・・果ては大手乳製品会社。消費者を欺き利益を追求したり従業員をロボットのように働かせる会社は世間からバッシングにあいます。バレなければいい・・とにかく儲けようとする経営者は金にとり憑かれた亡者も同然です。食品偽装・過労死・・大手ファミリーレストランの従業員が数年前に過労死していますが、この会社は、なんと2人も過労死を出してしまってるんです。東証一部上場の会社です。いつの時代も企業と従業員・・消費者との間には問題がうずまいています。消費者金融も倒産した武富士など朝礼の時、店内に飾ってある会長の写真に向かって挨拶しているのを、あるテレビ番組で見ました。これって、どこかの国みたいですよね。平成7年だったころです。私は京都市内のレ●クで支店長をしていたのですが・・ある日、競合某大手消費者金融の支店長が突然、尋ねてきたのです。『これまで、お世話になりました。実は・・退職することになりまして・・』見ると元気もなく目は常にカウンターばかり・・私の顔をみることなく話すのです。『私もレ●クさんに就職してたら頑張れたかも知れません。』その某大手消費者金融とは・・あちこちの支店同志で電話でのやりとりがあったので互いの会社の空気も、それとなくわかるような感じだったのです。『とにかく・・もう疲れました。レ●クさんって業界では珍しくいい文化を持っておられますね。羨ましい限りです。』30分くらい雑談を交わし帰られたのですが、その後任が数日後、尋ねてきました。なんと美人で小柄な女性店長。でも話すと言葉の節々に嫌味もあって印象は今一つ。私が在籍していた支店は阪急電車河原町を降りたとこでしたが、この某大手消費者金融は京阪三条の近くなので歩いて10分くらいでしょうか・・近くと言えば近く・・当時は丁度、無人店舗が、あちらこちらにオープンしていた時代でした。京都の風情も十分に楽しみながら私は2年間在籍し、まさかの異動を命じられたのです。
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消費者金融という仕事を通じて

2015年11月22日 10時20分33秒 | わが半生
世の中、あらゆる差別があります。職業差別もその1つ。上場会社で大企業の製造・金融・商社などは大卒者の人気を集めています。また医師や弁護士・・上級公務員は憧れでもあるでしょう。そこへいくと消費者金融は『え?サラ金やん。』と言われながら人によっては顔をしかめて感情を露わに言う人も少なくありません。クレジットカードさえ業種でカード会社も断られたこともありました。結婚も義兄夫婦から大反対も受けました。少しだけマシな時は『大手やからええやん』とか『テレビで宣伝してるとこやろ?』これらの言葉も結局は業界全体に対しては偏見でしかないのでは?でも、そういった差別や偏見を持たせることをしたのも業界自身であることは間違いありません。イメージを損なうのは一瞬。取り返すのは長い年月が必要です。また業界の中で業者によっては、その差別・偏見のイメージを利用している会社や人間もいたのも事実です。サラ金=怖い・・このイメージから顧客の先入観を利用して回収する。お金の力は時に大きく時に無力にもなります。お金で人の気持ちを買えないけれども変えることは可能です。消費者金融が社会で淘汰された企業には淘汰されるなりの理由もあったと思いますし健全にやっていれば今でも生き残っている企業もあります。でも・・今もサラ金という言葉が消えていないのも事実です。平成3年~4年 商工ローンの問題が起きて出資法の上限金利が引き下げられました。日栄・商工ファンドともに東証一部上場まで果たしていても根っこはサラ金根性丸出し。株価も急落し、その後倒産しました。武富士の盗聴問題やパワハラ、未払い残業の問題・・そして最高裁の過払いを認める判決は業界に大きな制裁として下され武富士も倒産。一時は東証一部上場の武富士・プロミス・アコム・アイフルは一株8000円~1万円超の株価をつけていた・・でも世間では消費者金融会社には、まだまだ冷ややかな目を向けていました。そうなんです。本当に健全化したのか?否か・・世間の目はジット見ていたのでしょう。すると・・やっぱりか?という答えが武富士の倒産。社会に対し自己の利益を優先し消費者を利益を生む鶏にしか見ていない会社は見事に淘汰される典型的な業界。リストラもあり・・そんな激動の時代を経験してきた私は職業差別を受けながら人ってなんやろ?社交辞令や建前・・妬み・・いろいろ受けて来て・・そんな偏見を持つ人が多いなか差別・偏見を持たずに一人に人間として接してくれる人もいました。消費者金融会社を退職し別の業種に転職したころは未だ未だ未熟すぎるくらい私の心は未熟でした。今でも未熟です。病気をして人のやさしさに触れる機会も多くなり少しづつ病気に感謝出来る自分がいます。今は休職中ですが消費者金融で働いていた私を時々、思い出すと、傲慢で常に上から目線。ブランドが好き。贅沢が一番・・社員の人事権を持ったころは本当に最低な心の持ち主であったと。人として点数をつけるなら30点がいいところ。業界に知らず知らず染まった自分の未熟さが恥ずかしく自己中心で失ったものさえ気づかなかった・・リストラされ平社員で今の会社でスタートしたもののプライドだけは部長級・・ほんと嫌われ条件満載。上から目線で過去の栄光に執着して周囲は大きな迷惑だったと思います。そんな、おバカな自分に神様は脳卒中というお灸をすえたのでしょう。ここで漸く目が覚め始めました。倒れて2年半の間だけでも私の気持ちは大きく変化しています。それが実感した時、胸の奥がポッと温かく感じるのです。もし病気を恨んでしまっていたら・・神様は、きっと、まだわかってないのですね?と再度、お灸をすえることになっていると思うのです。神様のお灸は決して罰でなく愛であると。消費者金融会社に勤めたことは今世の私の魂修行には必須だったんだな。そう感じる今日このごろです。
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義母の認知症 自宅の名義変更

2015年11月21日 09時56分33秒 | 義母の認知症
義母の自宅は亡き義父名義のままになっています。妻から以前より聞いていた話だと昭和48年に自宅を購入し、その約10年後、義父が脳梗塞で倒れ仕事を失ったため義母が昼夜を問わず働いて返済してきた住宅ローン・・それも平成5年頃に漸く完済。残り10年のローンは義母が頑張って支払ったのです。それを聞いた私は・・『お義母さんの記憶があるうちに自宅の名義を変えてあげへんか?もちろん、費用は俺たちで負担しようや。』妻に、そういうと『いいの?ウチの実家のことやん。・・確かに、お父さんが亡くなって名義は変えてないはずやと思うけど?』私は法務局へ妻の実家の土地・家屋の登記簿謄本を取り寄せました。『たっぱり、お義父さんの名義のままやで。』登記簿を妻に見せると『ホンマや。でも、どうやって名義を変えるの?』妻の質問しました。『正式には相続になる。お前とお義兄さんの同意が必要や。司法書士に頼んで登記変更するだけやねんけどな・・』すると妻は『アニキが、それに同意すると思われへん・・とにかく難しいこと。面倒なことは避けるから。でも、どうしても必要なんやろ?』私は黙って頷くと『やってみな・・わからへんし。でも司法書士って?』私はネットで豊中市内で、義母の自宅に近い司法書士を既にピックアップしていました。『早速、依頼してみる。』そして数日後、義母宅で司法書士からの説明をうけることになり、ひとまず司法書士から義兄へ手紙を送るということになったのです。10月末・・司法書士が義兄へ手紙を送付したのですが・・一向に反応がありません。そして11月15日 義兄が義母宅に来たのですが全く・・自宅名義の話が出てこず・・その日、義兄から『嫁の脹脛にメンタイコ位の大きな腫瘍ができて手術するんや』これを聞いた義母は自分の話が出来なくなったらしいのです。
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