平成27年11月18日 次女とペットの犬も一緒に大阪の義母宅へと向かいました。夜10時頃に到着、予め連絡しておいたので義母は起きて待っていてくれました。次女が合鍵で中に入ると同時に、ウチのペットのトイプードルも玄関へと上がっていきました。・・『お父さん!!ココア・・居てる!』ココアとは長女の飼い犬であるトイプードルです。(え?)そう思った時、我が家のトイプードルが妻の車へと戻ってきました。ワンワン♪玄関先に小さな歓迎者が声を上げています。どうやら・・ウチのペット君はいきなりの歓迎者に驚いたのでしょう。妻が我が家のペット・・(名前はショコラ。女の子です。)を抱きかかえ部屋に上がると・・いました。小さい子が。義母が『昨日・・A香が預かってって言って連れてきたんや♪』表情は明るく思わぬお客様に喜んでいたみたいでした。ウチのショコラは少し警戒していましたがココアは、おかまいなしでショコラに絡んできます。両方とも女の子。夜の10時過ぎなのに義母宅はとたんに賑やかになりました。『明日・・市役所の人と民生委員の人のことお願いね』そう・・翌日は市役所の方と民生委員が何やら話たいことがあるということで先日、義母から連絡を受けて今日、お邪魔しているのです。さてさて話って?そんな感じで私達家族は義母宅にいるのでした。
来月上旬に第三回口頭弁論の期日です。前回、相手方である会社の準備書面に対する反論を今月上旬には弁護士へ提出をしました。もうまもなく、こちらからの準備書面が出来上がる頃ですが、もう一度、会社からの準備書面を読み直すと、これが会社というものなのか?ある程度は想定していたこととは言え、再び、私の気持は呆れ返るばかり。倒れる前の半年間は毎月250時間の働き、その1年前は毎月300時間は働いていて、脳出血で倒れ、労災となった私に対して、この準備書面に書かれている会社の主張は何とも言えない気持ちとなりました。労災障害補償の等級認定後に会社に対して損害賠償請求の裁判を申し立てるつもりです。とことん争う気持ちが、その準備書面を読んで強くなり、裁判で勝てば労基署へ判決文を証拠に会社の労働環境をよくしてもらうよう願い出る気持ちが強くなりました。今、会社で働いている社員も固定残業制度のため、いいように使われています。不動産賃貸業なので毎年1月から4月は超繁忙期に入り深夜まで仕事もザラで働いている社員。そして名ばかり管理職の店長や本社の課長、この人達のためにも絶対に裁判で勝ってやる!そう心に言い私の反論を書いて提出しました。私の準備書面に対して第四回口頭弁論で会社が、どんな反論をしてくるか?それは来年1月以降になります。
消費者金融は昭和50年代に大バッシングにあいました。高金利・厳しい取り立て。メディアで【サラ金苦 一家心中】とか・・お昼のワイドショーでのトピックに取り上げられたり。私も母から『大人になってもサラ金から借りたらいけないよ!』と。世間で、サラリーマン金融いわゆる”サラ金”でお金を借りたら必ず借金が雪だるま形式で膨れ上がり多くの人が自殺など不幸になる。そう思わせるような報道でした。中学・高校生であった私は『ふ~ん・・』と他人事のように母から言われたことを聞き流していたのです。でも(サラ金って恐いとこなんや。借りたら返せなくなるほど金利が付くんや・・)そう思い込んだのは事実です。確かに昭和45年~50年ころは質屋さんが貸してた年利109.5%でサラ金も貸していたのですから、そりゃ高い金利です。年利109.5%と言えば10万円借りると1か月の利息は9000円になります。昭和45年~50年といえばセブンスターひと箱100円の時代でした。9000円・・90箱のタバコが買えます。もちろん、当時のサラリーマンや主婦も借りるといっても3万~5万円前後。であれば月3000円から5000円の金利だったら返せると思ったんでしょうね。でも・・サラ金の魔法は何よりも、その場でスグに借りれる!ということです。無担保・無保証人。30分前後の審査で即決融資。これが一番のハマる原因だったかもしれません。サラ金が世間に登場するまで庶民が、お金を借りるには質屋に行き時計や着物を担保にお金を借りていたのです。年利109.5%の金利で・・それが無担保・無保証人であれば質屋に行かずサラ金を利用するのも理解できます。そして【サラリーマン金融】が世間に出始めたころは、むしろイメージは良かったらしいのです。高度経済成長の波に乗り戦後大きく復興した日本は景気もよくなり所得も増え電化製品や車といったものが一般家庭に多く普及すると、より豊かさを求めるのも人の心理。それまで借金をすることに後ろめたさを強く感じていた日本人も、やがて借金に対する抵抗が少なくなっていったのです。親戚や友人に頭を下げずに金利さえ払えば、むしろ自分を歓迎さえしてくれる。消費者金融業界の発展の源であったのでは?でも業界が健全と発展することは極めて難しかったようです。お金・・使う人の心次第で薬にもなり人を助ける反面、一歩間違えば毒となり人を不幸にする魔法のペーパー・・私は、その魔法のペーパーの力の大きさを本当に知りました。
齢50を過ぎ脳出血で倒れて失ったものは多く・・一番はたとえ何億円積んでも元の身体は帰って来ない・・後遺障害になってしまったことです。身体障碍者2級という重度障害が病気の報酬でした。でも何億円積んでも買えないものも得たような気がします。では、それが何ですか?と聞かれたら言葉や文章では表すことは出来ません。なぜなら【心】だからです。人間は誰しも自分が一番、可愛く大切です。これは決して悪いことではないと思います。大切なことは他人を、どれだけ大切に思い行動ができるか?これの貧しさに比例して当事者は心が貧しく卑しさが出てくるのでは、他人を蹴落とす、排除してまで自分の利益や得する事をしたお金は、すぐに消えるだけでなく、やがて孤立し、ますます心が貧しくなっていくのではないか??身の丈に合った暮らしが出来れば、自分の器から溢れた水は他人に分け与えればいいだけ。庶民が何十万、何百万もするブランドバッグや高級外車を無理して買っても本当のセレブは隣で笑ってるだけ。そして同じ庶民から決して味方はできない。セコイ事して出張費を浮かして自分の財布に入れたり会社の経費(交際費)を自分が楽しむためのゴルフや飲食・・犯罪でなければ自分の立場や職権を利用して私腹を肥やす・・見返りを求めるためのクレームを言う人・・お金や物にとり憑かれている自分がわからないことに気づかず唯物主義、お金大好き、セックス大好き・・ひとの彼氏や彼女、旦那や奥さんを奪う奴・・人生1度きり。そう思って好き放題。借金に借金を重ねて『破産してチャラにしたらええ』とばかりに豪遊三昧・・これを神様が許してくれるわけがありません。こういう人達は、どれだけ多くの人に迷惑をかけているのか全く、わかっていません。でも大抵・・人生の後半にはみじめになる人が多いのではないかと。消費者金融・不動産会社の業務を通じ、少なからず現実を見てきた・・でも、その私も決して例外でなく脳出血という病気を授かってしまいました。この病気と、どう向き合って、これからの人生を生きていくか?これからの人生の生き方で人生を全うしたあと・・来世の修行の課題に変化が出るような気がします。最近・・人に喜ばれることをしたとき・・胸の奥が”ポッ”と温かくなるのです。その”ポッ”とする気持ちは何とも言い難く幸せな気持ちになれるのです。反対に・・心ない事を言ってしまった時の後味の悪さは以前に比べて強烈に感じるようになりました。欲望という欲望は極めて少なくなりましたが欲がなくなってくると心が自然に穏やかになってきました。お金は自分のために使うことも殆どありません。免許更新を医師から不可と診断されたとたん、確かにショックでしたが、今は車に乗りたいとも思えません。街中で高級外車を見たら以前は憧れと、いつかは買って乗るぞ・・と思ってましたがベンツやジャガーを見ても移動手段の鉄の箱にしか見えません。そんな物より、秋の紅葉を楽しみ芸術に触れたり、時には芝居見物したり・・御飯は質素でも三食食べられれば幸せです。昨日、妻と久しぶりに昼食を外でしました。スーパー銭湯の中にあるランチ。二人で1000円。私は豚ぺい定食、妻はラーメン定食。ドリンク付きです。私は妻と二人で食べられるなら何を食べても幸せを感じられるようになりました。こういうことが幸せなんかな?贅沢も、それはそれでよいのでしょう。自己中心・利己主義は多くの敵を作り自分自身の首を絞めることになるのでは??人生、努力すれば相応に報われる、そう感じる今日このごろです。
友の肺癌は障害年金の対象になるのか?早速、私が世話になった社労士へ連絡してみたのです。メールは翌日の夜、返信がありました。初診日から来年2月で1年半であれば今から準備も良いらしく、ただ抗ガン剤治療の副作用が、どれだけ影響しているか?になるようです。また本人の自己申立書と医師の診断書が大きく左右するとのこと。経済的な不安を抱えながらの治療はメンタルにも影響します。言葉を選びながら友へ結果を報告すると、寛解しなければ申請するので、その時は頼むとの返信でした。寛解?この言葉の意味が分からず調べると根治ではなく一旦、癌細胞が消滅することらしいのです。寛解して三年しても癌細胞が現れなければ、その時点で一旦、治癒と判断される前段階のことみたいです。寛解?気持ちとして患者本人とってのこの言葉は救いになる言葉と私は信じて友のメールを読み返したのでした。そして、その夜、義母から妻に連絡がありました。内容は義兄の奥さんのふくらはぎに腫瘍が見つかったとのことでした。