昨日は台風の影響を受けながらも
時折、日が差していましたが
皆さまの地域はいかがでしょうか・・。
台風の影響でこちらも強い風が吹いています。
台風が過ぎたら一気に暑くなって
梅雨明けするのかなぁ。
さて、
マルチャンの誕生日会でのこと。
おばあちゃんにもお誕生日会に来てもらい、
食事を楽しんでいる時、
マルチャンは早々に食べ終えて
(この前後に胃腸風邪をやっているので小食なのです)
ケンダマクロスで遊んでる時に
乳児院の先生から毎年プレゼントを頂いていると話をしたら
おばあちゃんが
「・・・マルチャンは(乳児院に入っていたこと)そのことを知ってるの?」
と言ってきた。
「はい。知ってます。マルチャンも「また〇〇せんせいにあいたいな~」とも言ってますし
写真で「このときにマルチャンと会えたんだよ」と言っています。」
というと
おばあちゃんは
「・・・そういうことは言わない方がいいんじゃない?
黙ってても、もう家族なんだから・・・。」
と一言いった。
これはもう何度か言われているので
私たちも
「まぁ、、いいじゃん♪」
と明るくその場を振舞ったのだが・・・
楽しい宴の後、
おばあちゃんの一言がどうしても引っかかってしまっていた。
マルチャン可愛さに心配してくれて言ってくれているのだと思うんだけど
・・・なんか違うんだよね。
黙ってればわからないって??
そんなわけないでしょ。
産んでないんだもん。
それって
マルチャンがウチに来るまで辿ってきた道のりを
「無かったことにしなさい」
って言われているようなもの。
悲しくなった・・。
でもそう考える人が多いのも仕方ないのかも。
同じ立場に立たなければ共感できないこともあるし
偏見もあると思う。
でも私たちはマルチャンの全てを受け入れて共に生きていくことを決めたんだ。
確かに生きていくことは楽しいことばかりじゃない。
人生のスタートが人と違うことが理不尽に思うかもしれないし
おばあちゃんが心配しているであろう偏見のようなものに晒される時もあるかもしれない。
そしてマルチャンも生きていく上で悩んだり
壁にぶち当たる時もあるだろうと思う。
もしかしたら自分の生い立ちを恨むこともあるかもしれない。
そこで
どうして俺は生まれてきたのか・・という原点に立つだろう。
でもそれはマルチャンだけでなく、
皆誰しもが思うことじゃないだろうか?
自分はなぜ生まれてきたかという壮大な課題に向き合うときは必ず来る・・。
そして
それはきっと生まれてきた者が共生しながら
皆が自分の幸せを求めて生きていく道を探すことなんじゃないのかな
と思う。
大それたタイトルにまとめられなくて焦ってしまうが(笑)
私たちはマルチャンに
沢山の人から見守られて愛されてきた繋がりを伝えていくことが使命なのだと思うし
マルチャンもその愛を沢山、身に携えて強く生きていって欲しいと願っている。
それまで
辛いことや悲しいこと、理不尽なこと、腹が立つこと
病気になったり、生きていくことが困難になることもあるかもしれない。
いろんな嫌なことを言う人もいるけれど
そんな雑音に捉われず
自分の人生を彩ってくれる人たちに目を向けて生きていけば
それでいいんだと思うのです。
全ての命は愛されるために生まれて来る
人間だけでなく どの命も一緒なのだと・・・。