「死の波は私を取り巻き、滅びの激流は私をおびえさせた。よみの綱は私を取り囲み、死の罠は私に立ち向かった。」(Ⅱサムエル22:5,6新改訳)
死の波、滅びの激流、よみの綱(つな)、これら恐ろしい表現は、ダビデの生涯に津波のごとく押し寄せた苦難、試練が並大抵(なみたいてい)のものでなかったことをあらわしている。▼イスラエル王として油注がれてから、実際(じっさい)に王位につくまで十年以上あったと思われるが、サウルに追い回され、数々の罠(わな)やだまし討ちに息つく暇(ひま)もなかったダビデ。ふつうであれば精神的にボロボロになり、燃えつきていたかもしれなかった。▼その上、王位についてからは息子たち、信頼する部下、民の中からの攻撃(こうげき)と裏切(うらぎ)りに会い、幾度(いくど)も大声で泣き叫び、人としての弱さをさらしたのであった。これから明らかなように、神に選ばれるというのは苦難と恐怖と死の中を通ることでもある。しかしそこにおのずとキリストの生涯が浮かび出て詩篇となり、あらゆる時代の信仰者たちのいのちとなり、今日に及ぶ。不思議というしかない。▼イエスはダビデの子、輝く明けの明星である。