「たびたび降り注ぐ雨を吸い込んで、耕す人たちに有用な作物を生じる土地は、神の祝福にあずかりますが、茨やあざみを生えさせる土地は無用で、やがてのろわれ、最後は焼かれてしますのです。」(ヘブル6:7,8新改訳)
ヘブル書が送られた初代の教会、それはエルサレムを中心としたユダヤ人キリスト者から構成されていたが、うち続く迫害やききんその他の理由によって、初めの純粋で燃える信仰を失いつつあった。それで記者はずいぶん厳しい内容の表現を使っているが、決して非難するのではなく、愛をもって励ます意図でそうしたのであった。▼信仰生涯は山あり谷ありの長い旅路である。喜びもあれば苦しみ、悲しみもあり、歌いながら跳(と)んで歩くときもあるし、悲しみうなだれてトボトボ行くときもある。憩(いこ)いの水際(みぎわ)に休むときだけではない、死の陰(かげ)におおわれた谷間(たにま)を越えなければ対岸にたどり着けない時もある。▼大切なのは、信仰の完成者であるイエスから目を離さないことにつきる。そうさせてくださるお方こそ、共にいます御霊であられる。「それは、前に置かれている希望を捕らえようとして逃れて来た私たちが、約束と誓いという変わらない二つのものによって、力強い励ましを受けるためです。その二つについて、神が偽ることはありません。」(ヘブル6:18同)