「大祭司はみな、人々の中から選ばれ、人々のために神に仕えるように、すなわち、ささげ物といけにえを罪のために献げるように、任命されています。」(ヘブル5:1新改訳)
ここには大祭司の職分(しょくぶん)が簡潔(かんけつ)にまとめられている。ところが、この定義(ていぎ」)にかなう「大祭司にふさわしい人間」を神は一人も見出すことができなかった。理由は「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず」(ローマ3:23同)とあるのが人間の真相だからである。▼そこで神は、罪なき完全な人を得るため、ご自分の唯一(ゆいいつ)の子に肉体を与え、地上に遣わされた。これがナザレのイエスである。しかもただ一度のささげ物で人類とこの全世界を完全にあがなうため、ご自分のいのちをそなえものとして十字架にささげるために来られたのだ。▼ナザレのイエスが私たちにとり、どれほどありがたい存在かをよく思わなければならない。もし神がひとり子に受肉を命じ、ひとり子がそれに喜んで従うことがなかったら、私たち人間は一人残らず永遠のゲヘナに投げまれていた。文字通り間一髪(かんいっぱつ)の差で救われたのである。