「未婚の人たちについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみにより信頼を得ている者として、意見を述べます。差し迫っている危機のゆえに、男はそのままの状態にとどまるのがよい、と私は思います。」(Ⅰコリント7:25,26新改訳)
差し迫っている危機、とパウロが言うのは何を指しているのだろうか。彼は日々休むひまもなく当時の世界を巡り、福音をあらゆるところに伝えていたが、そこで直面したのは、きびしい迫害とキリスト教に対する敵対感情であった。つまり、異邦人教会が生まれると同時に味わったのは、死ととなりあわせの環境だったのである。▼ローマ帝国は、パウロの頃はまだ福音の広がりを無視していたが、そのうちに全力をあげ、おそいかかって来るにちがいない、使徒は各地を回るうちに、そのような空気を肌(はだ)で感じ取ったのであろう。福音に対する仮借(かしゃく)ない迫害の時代が、遠からずやってくる。そのことに対する予感が、信仰者たちの結婚問題について、本章の意見となったと思われる。たしかに結婚は個人の自由だが、置かれている今の時代を読み取ることも大切だ。