私の父は大正4年生まれ。91歳の天寿を全うした。農家の三男として生まれ兵役後そのまま軍隊に残り職業軍人として終戦まで満州に駐留した。中学出の父だったが准尉まで出世し下士官となった。終戦時ソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留され昭和24年に帰国。
戦争のことはあまり話したがらない父だったが私(現在64歳)が子供の頃に時々話してくれたいくつかの戦争の話を書き留めておきたい。
戦争体験者が少なくなってきている日本で貴重な体験談を受け継ぎ次の世代に伝えていくことは私達子供の役目ではないかと思う。私は平和主義を蔑(ないがし)ろにする今の日本の風潮に危機感を持っている。
「戦争は絶対してはならない」の立場から父が話してくれた戦争の話をお伝えしようと思う。
【父の戦争体験④】
纏足(てんそく)。
昔中国の貴族の間では女性の足を小さく見せる風習があった。小さい足の女性は美の象徴とされたためだ。そこで女性は子供の頃から纏足という小さい靴を親に履かされその靴を脱ぐことは許されなかった。
この風習は農村でも広まったが、父が言うには女性が村から逃げ出さないために行われたそうだ。
女性は貴重な労働源で農家の仕事は辛く村から逃げ出す者もいた。そこで纏足を履かせ歩きづらくして逃げないようにした。
或る日、そんな村の女性を可哀想に思った父は同僚の兵隊と村の若い女性の纏足を無理矢理脱がせることにした。
子供の足の大きさほどしかない纏足を脱がせると そこからはくの字に曲がった大きな足が出てきた。足は成長するが子供の頃から小さい靴(纏足)を強制的に履かされている為、真っ直ぐに伸びるはずの足の骨は纏足の中で曲がって成長したのだ。くの字に曲がった足は骨が固まっておりもう真っ直ぐにはならない。この足では歩くことが精一杯で、到底走ることなど出来ない。これでは村から逃げ出すことなど不可能だと合点したそうだ。