私の父は大正4年生まれ。91歳の天寿を全うした。農家の三男として生まれ兵役後そのまま軍隊に残り職業軍人として終戦まで満州に駐留した。中学出の父だったが准尉まで出世し下士官となった。終戦時ソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留され昭和24年に帰国。
戦争のことはあまり話したがらない父だったが私(現在64歳)が子供の頃に時々話してくれたいくつかの戦争の話を書き留めておきたい。
戦争体験者が少なくなってきている日本で貴重な体験談を受け継ぎ次の世代に伝えていくことは私達子供の役目ではないかと思う。私は平和主義を蔑(ないがし)ろにする今の日本の風潮に危機感を持っている。
「戦争は絶対してはならない」の立場から父が話してくれた戦争の話をお伝えしようと思う。
【父の戦争体験②】
慰問袋。
兵隊を元気づけ励ますために国民は袋に食べ物や洒落た小物を入れ手紙を添えて戦地の軍隊に送った。
父にも慰問袋が配られた。何回か同じ人から慰問袋が届いた。毎回励ましの手紙が入っていた。女性の名前でとても綺麗な字だった。その内父は彼女から慰問袋が届くのを楽しみにするようになった。
父はお礼の手紙を書いて遂に彼女に会うことにした。
待ち合わせの駅に行ったがそれらしい女性の姿が見当たらない。不安に思っている父へ赤ん坊を抱えたお婆さんが近づいてきた。
「○○さんですか?」と言って父に挨拶した。父は合点したそうだ。“彼女は都合が悪くなって代わりに母親が来たのだな”と。
お婆さんは言った。
「手紙の主はこの子です。兵隊さんは若い女性の名前の慰問袋だととても悦ぶと聞いたので、この子の名前で私が手紙を書いていました。」
父は大層ガッカリした。そして苦笑い。お婆さんを責めることなど出来ない。父が勝手に早合点していた、と言うだけの話だ。
戦地の兵隊は配られる慰問袋に添えてある手紙を読んでは「この人はどんな人なんだろう」と想像し、またその想像をすることをひとつの楽しみとしていたのかなと思う。
もはや「慰問袋」を知っている日本人は少ない。
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