いつも、深夜にブログを更新するのですが、今回は疲れてパソコンもスリープのまま寝てしまい、朝からの更新になりました。
電気代、勿体なかったな(苦笑)
これを機に、午前中に更新してみようかな、と考えるマシュマロです。
土曜日に引き続き、日曜日も親戚と会って晩餐会?を開いていました。
ブッフェ形式だったので、食べすぎてしまったことが、早い時間に眠くなった原因かも(苦笑)
おかげで、朝はスッキリ目覚められました。
その親戚と、着物を処分する話になったので、今回はそのことを少し考えてみます。
着物は持っていますか?
我が家には、過去に着物が20枚前後ありました。
しかし、着用したことがあるのは、私の振袖とセパレートになっている着物、私が子どものころに父と母が着たことがあると思われる着物が数枚。
昔の写真を見ると、家族で着物を着て正月を過ごしたと思われる写真が存在するので、その時の着物だと思います(モノクロ写真なのではっきりしない)
それ以外では、母が祖母からもらったお下がりの着物と、買ったのに一度も袖を通していない着物と浴衣が数枚ありました。
祖母と母の時代は、着物は持っておくべきアイテムのひとつという価値観です。
結婚するときも、結納や婚礼道具のひとつとして用意されることが当たり前でした。
最近は、結納式も洋服ですることが多いと思いますが、私が若かったころは、結納式に着物を着る家庭が多かったです。
母の世代の価値観では、かわいい娘のために着物を持たせることが親の務めだったのですね。
今でも、一部の人の間では着物の需要は大きいと思いますが、普段から着物を着ている人は少数派です。
若い人の中では、成人式用の振袖と浴衣を持っている程度ではないでしょうか。
最近では、民族衣装の「和服」として、その価値が見直されてきているようで、外国からの旅行者が購入したりレンタルして街歩きをするなどの光景は、頻繁に目にしますが、所有するとなると、おそらく私の世代でたくさんの着物を所有している人は少ないのではないでしょうか。
私が着物を着た回数
私が51年ほど生きてきて、着物を着た記憶があるのは数回です。
・三歳のときの七五三で1度
・子どものころの正月に1度
・高校生のときの正月に1度
・成人式のときに2度(写真撮影時と当日)
・友人の結婚披露宴で2度
・浴衣を数回
以上です。
着物を着る頻度として、これが平均的な回数なのか、少なすぎるのか、私の世代としては多い方なのか、よくわかりません。
ただ、我が家の着物所有数から判断すると、着物に申し訳ないと思える回数のような気がします(苦笑)
高校生のときは、なぜか着物を着たいと思う時期があり、正月に着たのは単純に着たかっただけです(笑)
夏祭りのときは、私が仲良くしていた友人たちとの間で、浴衣ブームが来ました。
友人の1人が服飾系の学科で、毎年夏には浴衣の早縫い大会があり、その練習として友人たちの浴衣を縫ってくれていたので、せっかくだから夏祭りで着て行きましょう、という流れになったと記憶しています。
成人式の振袖は、今でも用意して着る方は多いですが、レンタルが多いように見受けられます。
私が20代のころは、振袖を買うことが当たり前のような雰囲気があり、レンタルは少数派だったような気がします。
今思えば、私の周りがそういう考え方の家庭が多かったのでしょう。
振袖は、購入金額も高かったので、成人式だけでは勿体ないと思ったことと、年齢的に友人の結婚ラッシュだったことで、数回着る機会があり、よかったな、と思っています。
最近のように、ラフなスタイルの披露宴や会費制パーティーが増えていたら、着る機会がなかったかもしれません。
母の買い物癖で着物が増えた
高校生のときに、個人的な着物ブームがあり、成人してからも振袖に数回袖を通したことで、私は着物を着る機会があると判断したのか、母はいつの間にか数枚の訪問着を作っていました。
そのころ、バブル景気の最終期だったこともあり、母は自分の服も少し高額なモノを買い集めていました。
ここからが、母の価値観と考え方の悪いところというか、厄介なところだったのですが、自分ばかり高額な服を買ったら不公平だから、娘にも良質の服を買ってあげよう、と思ってしまう性質だったのですね。
私の趣味や意向は完全無視の状態で、母が思うままに私の服も購入していたこともあり、服が溢れてしまいました。
着物も例外ではなく、私の意向は全く確認することもなく、母の独断で仕立ててもらったので、気が付いたときには「マシュマロ用の着物」が増えていた状態。
おまけに、母が昔から所有している着物と、祖母からのお下がりと、父の着物も数枚ありましたから、最終的な枚数が20枚前後となったわけです。
着物の処分をどうするか
私が20代後半くらいになると、全く着物を着る機会もなくなり、私自身もお正月などに着物を着たいという気持ちにならず、母も父も着物を着る機会がなく、我が家の着物は桐の衣装箱の中にずっと眠っていました。
私が家の不要品を処分し始めてから、数年経ったころに、やっと着物の処分をどうするか、という段階までこぎつけました。
しかし、着物はリサイクルショップでも買い取り不可な場合が多く、誰かに譲るにしても、着物を頻繁に着るような知人友人は、ひとりも思いつきませんでしたので、いつまでも処分できない状態が続きました。
ある日、なんでも買い取ってくれるリサイクルショップがあると聞き、調べてみました。
そこは、持ち込んだ着物の総重量に対して買い取り額が決定する査定方法(1グラム〇円のような)で、二束三文という言葉がぴったり嵌るリサイクルショップ(笑)
しかし、調べる限り着物を買い取ってくれるようなリサイクルショップが他に見当たらなかったので、かなり悩みましたが何度か袖を通した古い着物だけ、そのリサイクルショップへ売ることにしました。
買い取り価格は憶えていないのですが、数千円だったような気がします。
おそらく、購入した時は何十万もした着物もあったでしょうが、査定方法が重さで買い取る方法ですから、購入した価格や着物の素材は全く関係なかったので、仕方ありません。
ただ、売った後にやはりモヤモヤが残り、それ以降は着物をリサイクルショップへ持ち込むことはやめました。
これは、私の価値観なのですが、着物は大事に着てくれる人の手に渡ってほしい気持ちがあります。
グラムで買い取るリサイクルショップは、着物の陳列も雑な印象で、着物を大事にしてくれる人が購入してくれるようには見えませんでした。
無料でいいから、着物は本当に欲しいと思ってくれる人に譲りたい。
そんな気持ちになったので、売らずに残しておいた着物数枚(素人判断で少しいい生地のモノ)は、欲しい人が見つかるか、丁寧に扱ってくれるリサイクルショップが見つかるまでは、持っておこうと思いました。
お茶を習っている親戚に相談した結果
今回会っていた親戚がお茶を習っていて、彼女は着物を着る機会がたくさんあります。
昨年会ったときに、我が家に残っている着物は要らないか、と相談してみたところ、引き取ってくれるということになりました。
その時点で、まだ十数枚残っていて、私の振袖や袖を通していない訪問着も残っていたので、全て貰ってもらうことで話がまとまりました。
一応、着物も年齢に合わせた柄や模様があるので、中には親戚が着るには少しデザインが若すぎるモノもありましたが、お茶の教室には若い人も来るということで、その方にでも譲ってくれと頼みました。
今回の親戚との晩餐会で、着物のことが話題にあがったので、譲った着物がどうなったのか聞くことができました。
私の振袖は、親戚の知り合いの娘さんに譲ったところ、非常に喜んでくれたとのこと。
そして、親戚が着てもおかしくないデザインのモノは、順番に着ているという話でした。
私のお古の振袖を、喜んで貰ってくれたことは、とてもうれしく思っています。
リサイクルショップへ持ち込まずにいて、本当によかったです。
そして最後の1枚
数か月前に、和ダンスを処分するために中に入っているモノを片付けていたところ、全て処分していたと思っていた着物が、まだ残っていました。
1枚は手を通していない喪服。
もう1枚は、色無地の着物でした。
見つけたときは、少し放心状態になりましたね。
まだ、着物が残っていたのか、と(苦笑)
しかし、今回は譲ることができる着物は色無地の1枚だけ。
ですから、最後の1枚として親戚に引き取ってもらいました。
残るは、喪服の1枚だけ。
さて、どうしたらいいものか。
親戚が言うには、喪服はコートなどにリメイクする人も多いのだとか。
へえ、と思う反面、そのリメイクしてくれるお店が見つかるかどうか、という点と、リメイク料金はいかほどか?という点。
あまりにも高いのであれば、少し悩みます。
何故なら、私はあまりコートを着ないから。
リメイクしてくれるお店に関しては、1軒だけ当てがありますので、一度機会を見て相談してみようと思いますが、果たして私は喪服をリメイクするのでしょうか?
こうご期待?です(苦笑)
今回は、着物の処分について綴りましたが、ひとつわかったことがあります。
それは、着物はむやみに買っていいモノではない、ということです。
まあ、当たり前かもしれませんが、ファストファッションの洋服を買うのとはわけが違います。
私の母のように、欲望の赴くままに購入してはいけないモノです。
自分のライフスタイルを考えれば、着物はそんなにたくさんは要らない、ということはわかるはずなのですが、母にはその感覚はなかったようですね。
私は、自分のライフスタイルをしっかり決めているので、今後着物を購入することはないですし、もし着ることがあるとすれば、それは自分の葬儀の時ですね。
最後の着物姿は、自分で確認できないことになりそうですが、私はそれでいいと思います。
電気代、勿体なかったな(苦笑)
これを機に、午前中に更新してみようかな、と考えるマシュマロです。
土曜日に引き続き、日曜日も親戚と会って晩餐会?を開いていました。
ブッフェ形式だったので、食べすぎてしまったことが、早い時間に眠くなった原因かも(苦笑)
おかげで、朝はスッキリ目覚められました。
その親戚と、着物を処分する話になったので、今回はそのことを少し考えてみます。
着物は持っていますか?
我が家には、過去に着物が20枚前後ありました。
しかし、着用したことがあるのは、私の振袖とセパレートになっている着物、私が子どものころに父と母が着たことがあると思われる着物が数枚。
昔の写真を見ると、家族で着物を着て正月を過ごしたと思われる写真が存在するので、その時の着物だと思います(モノクロ写真なのではっきりしない)
それ以外では、母が祖母からもらったお下がりの着物と、買ったのに一度も袖を通していない着物と浴衣が数枚ありました。
祖母と母の時代は、着物は持っておくべきアイテムのひとつという価値観です。
結婚するときも、結納や婚礼道具のひとつとして用意されることが当たり前でした。
最近は、結納式も洋服ですることが多いと思いますが、私が若かったころは、結納式に着物を着る家庭が多かったです。
母の世代の価値観では、かわいい娘のために着物を持たせることが親の務めだったのですね。
今でも、一部の人の間では着物の需要は大きいと思いますが、普段から着物を着ている人は少数派です。
若い人の中では、成人式用の振袖と浴衣を持っている程度ではないでしょうか。
最近では、民族衣装の「和服」として、その価値が見直されてきているようで、外国からの旅行者が購入したりレンタルして街歩きをするなどの光景は、頻繁に目にしますが、所有するとなると、おそらく私の世代でたくさんの着物を所有している人は少ないのではないでしょうか。
私が着物を着た回数
私が51年ほど生きてきて、着物を着た記憶があるのは数回です。
・三歳のときの七五三で1度
・子どものころの正月に1度
・高校生のときの正月に1度
・成人式のときに2度(写真撮影時と当日)
・友人の結婚披露宴で2度
・浴衣を数回
以上です。
着物を着る頻度として、これが平均的な回数なのか、少なすぎるのか、私の世代としては多い方なのか、よくわかりません。
ただ、我が家の着物所有数から判断すると、着物に申し訳ないと思える回数のような気がします(苦笑)
高校生のときは、なぜか着物を着たいと思う時期があり、正月に着たのは単純に着たかっただけです(笑)
夏祭りのときは、私が仲良くしていた友人たちとの間で、浴衣ブームが来ました。
友人の1人が服飾系の学科で、毎年夏には浴衣の早縫い大会があり、その練習として友人たちの浴衣を縫ってくれていたので、せっかくだから夏祭りで着て行きましょう、という流れになったと記憶しています。
成人式の振袖は、今でも用意して着る方は多いですが、レンタルが多いように見受けられます。
私が20代のころは、振袖を買うことが当たり前のような雰囲気があり、レンタルは少数派だったような気がします。
今思えば、私の周りがそういう考え方の家庭が多かったのでしょう。
振袖は、購入金額も高かったので、成人式だけでは勿体ないと思ったことと、年齢的に友人の結婚ラッシュだったことで、数回着る機会があり、よかったな、と思っています。
最近のように、ラフなスタイルの披露宴や会費制パーティーが増えていたら、着る機会がなかったかもしれません。
母の買い物癖で着物が増えた
高校生のときに、個人的な着物ブームがあり、成人してからも振袖に数回袖を通したことで、私は着物を着る機会があると判断したのか、母はいつの間にか数枚の訪問着を作っていました。
そのころ、バブル景気の最終期だったこともあり、母は自分の服も少し高額なモノを買い集めていました。
ここからが、母の価値観と考え方の悪いところというか、厄介なところだったのですが、自分ばかり高額な服を買ったら不公平だから、娘にも良質の服を買ってあげよう、と思ってしまう性質だったのですね。
私の趣味や意向は完全無視の状態で、母が思うままに私の服も購入していたこともあり、服が溢れてしまいました。
着物も例外ではなく、私の意向は全く確認することもなく、母の独断で仕立ててもらったので、気が付いたときには「マシュマロ用の着物」が増えていた状態。
おまけに、母が昔から所有している着物と、祖母からのお下がりと、父の着物も数枚ありましたから、最終的な枚数が20枚前後となったわけです。
着物の処分をどうするか
私が20代後半くらいになると、全く着物を着る機会もなくなり、私自身もお正月などに着物を着たいという気持ちにならず、母も父も着物を着る機会がなく、我が家の着物は桐の衣装箱の中にずっと眠っていました。
私が家の不要品を処分し始めてから、数年経ったころに、やっと着物の処分をどうするか、という段階までこぎつけました。
しかし、着物はリサイクルショップでも買い取り不可な場合が多く、誰かに譲るにしても、着物を頻繁に着るような知人友人は、ひとりも思いつきませんでしたので、いつまでも処分できない状態が続きました。
ある日、なんでも買い取ってくれるリサイクルショップがあると聞き、調べてみました。
そこは、持ち込んだ着物の総重量に対して買い取り額が決定する査定方法(1グラム〇円のような)で、二束三文という言葉がぴったり嵌るリサイクルショップ(笑)
しかし、調べる限り着物を買い取ってくれるようなリサイクルショップが他に見当たらなかったので、かなり悩みましたが何度か袖を通した古い着物だけ、そのリサイクルショップへ売ることにしました。
買い取り価格は憶えていないのですが、数千円だったような気がします。
おそらく、購入した時は何十万もした着物もあったでしょうが、査定方法が重さで買い取る方法ですから、購入した価格や着物の素材は全く関係なかったので、仕方ありません。
ただ、売った後にやはりモヤモヤが残り、それ以降は着物をリサイクルショップへ持ち込むことはやめました。
これは、私の価値観なのですが、着物は大事に着てくれる人の手に渡ってほしい気持ちがあります。
グラムで買い取るリサイクルショップは、着物の陳列も雑な印象で、着物を大事にしてくれる人が購入してくれるようには見えませんでした。
無料でいいから、着物は本当に欲しいと思ってくれる人に譲りたい。
そんな気持ちになったので、売らずに残しておいた着物数枚(素人判断で少しいい生地のモノ)は、欲しい人が見つかるか、丁寧に扱ってくれるリサイクルショップが見つかるまでは、持っておこうと思いました。
お茶を習っている親戚に相談した結果
今回会っていた親戚がお茶を習っていて、彼女は着物を着る機会がたくさんあります。
昨年会ったときに、我が家に残っている着物は要らないか、と相談してみたところ、引き取ってくれるということになりました。
その時点で、まだ十数枚残っていて、私の振袖や袖を通していない訪問着も残っていたので、全て貰ってもらうことで話がまとまりました。
一応、着物も年齢に合わせた柄や模様があるので、中には親戚が着るには少しデザインが若すぎるモノもありましたが、お茶の教室には若い人も来るということで、その方にでも譲ってくれと頼みました。
今回の親戚との晩餐会で、着物のことが話題にあがったので、譲った着物がどうなったのか聞くことができました。
私の振袖は、親戚の知り合いの娘さんに譲ったところ、非常に喜んでくれたとのこと。
そして、親戚が着てもおかしくないデザインのモノは、順番に着ているという話でした。
私のお古の振袖を、喜んで貰ってくれたことは、とてもうれしく思っています。
リサイクルショップへ持ち込まずにいて、本当によかったです。
そして最後の1枚
数か月前に、和ダンスを処分するために中に入っているモノを片付けていたところ、全て処分していたと思っていた着物が、まだ残っていました。
1枚は手を通していない喪服。
もう1枚は、色無地の着物でした。
見つけたときは、少し放心状態になりましたね。
まだ、着物が残っていたのか、と(苦笑)
しかし、今回は譲ることができる着物は色無地の1枚だけ。
ですから、最後の1枚として親戚に引き取ってもらいました。
残るは、喪服の1枚だけ。
さて、どうしたらいいものか。
親戚が言うには、喪服はコートなどにリメイクする人も多いのだとか。
へえ、と思う反面、そのリメイクしてくれるお店が見つかるかどうか、という点と、リメイク料金はいかほどか?という点。
あまりにも高いのであれば、少し悩みます。
何故なら、私はあまりコートを着ないから。
リメイクしてくれるお店に関しては、1軒だけ当てがありますので、一度機会を見て相談してみようと思いますが、果たして私は喪服をリメイクするのでしょうか?
こうご期待?です(苦笑)
今回は、着物の処分について綴りましたが、ひとつわかったことがあります。
それは、着物はむやみに買っていいモノではない、ということです。
まあ、当たり前かもしれませんが、ファストファッションの洋服を買うのとはわけが違います。
私の母のように、欲望の赴くままに購入してはいけないモノです。
自分のライフスタイルを考えれば、着物はそんなにたくさんは要らない、ということはわかるはずなのですが、母にはその感覚はなかったようですね。
私は、自分のライフスタイルをしっかり決めているので、今後着物を購入することはないですし、もし着ることがあるとすれば、それは自分の葬儀の時ですね。
最後の着物姿は、自分で確認できないことになりそうですが、私はそれでいいと思います。