このブログにその病名が出てきたのはおそらく1~2回しかない思う。
最近はあまり気にしないで生きているつもりだ。
だが、精神科医に初めて宣告されてから約1年間の当方は、それはそれは酷かった。
パニックだった。
何か失敗しても病気のせいにしていた。
「何でもっと早く病気に気付いてくれなかったの?」とキレて親を困らせたこともあった。
(幼少期に気付いていれば今後次第で治せるかもしれない病気だと知った当時21歳の当方は後悔していた)
重度か軽度かは知らないが、そんなのは関係なく、
“ワタシハ、ショウガイシャ”
そうとしか思えなかった。
形式的には障害者でも、施設の世話にはなれず、一般人が生きる社会に紛れて“正常者”として生活しなければならない。
当時はそういう考え方しか出来なかったのだから、そりゃ生きるのが苦しかった。
「ふざけんな!」
事あるごとに、大勢の通行人の前で何度も発狂した。
理性という言葉を完全に忘れていた。
パニックだった。
前職に就いてからしばらくは、自分が病気持ちであることを何度も自覚した。
考え方が普通の人と違う。
理解力が無い。
空気が読めない。
コミュニケーションが上手く取れない。
それら全てを病気のせいにしていた。
辛かった。
自分に自信が持てなかった。
仕事で大失敗したある日、会社にずっと隠していた病気の件を、上司Aにだけ打ち明けた。
隠しているのが辛くなったから。
正常者という仮面を脱ぎ捨てたかったから。
だが、状況は何も変わらなかった。
当然の事だった。
今では打ち明けた事を後悔すらしている。
それからだ。病気のことを考えないで生活しようと決めたのは。
仕事が出来ないのは病気のせいではない。
仕事で悩んでいる人はいくらでもいる。
当方だけが特別ではないのだ。
そして今。
今の仕事は、僅かながら、当方に確かな自信をつけてくれた。
当方でも出来る。
病気のことを一切気にせず仕事が出来るし、「こいつ病気なんじゃね?」と思う人は誰一人としていない。
そう、2年半前にあの病名を宣告されたのが嘘であるかのように。
病気のせいにして自分の行動を正当化していたのは本当に昔の話。
1年以上も前から、そんなことは一切無くなっていた。
そりゃ理不尽なことは何度もあるし、
納得できずに人のせいにすることは何度もあっただろう。
それも場合によっては間違いだろう。
ただ、病気のせいにしていないことだけは確かだ。
今、胸を張って言えること。
“ワタシハ、ショウガイシャデハナイ”
最近はあまり気にしないで生きているつもりだ。
だが、精神科医に初めて宣告されてから約1年間の当方は、それはそれは酷かった。
パニックだった。
何か失敗しても病気のせいにしていた。
「何でもっと早く病気に気付いてくれなかったの?」とキレて親を困らせたこともあった。
(幼少期に気付いていれば今後次第で治せるかもしれない病気だと知った当時21歳の当方は後悔していた)
重度か軽度かは知らないが、そんなのは関係なく、
“ワタシハ、ショウガイシャ”
そうとしか思えなかった。
形式的には障害者でも、施設の世話にはなれず、一般人が生きる社会に紛れて“正常者”として生活しなければならない。
当時はそういう考え方しか出来なかったのだから、そりゃ生きるのが苦しかった。
「ふざけんな!」
事あるごとに、大勢の通行人の前で何度も発狂した。
理性という言葉を完全に忘れていた。
パニックだった。
前職に就いてからしばらくは、自分が病気持ちであることを何度も自覚した。
考え方が普通の人と違う。
理解力が無い。
空気が読めない。
コミュニケーションが上手く取れない。
それら全てを病気のせいにしていた。
辛かった。
自分に自信が持てなかった。
仕事で大失敗したある日、会社にずっと隠していた病気の件を、上司Aにだけ打ち明けた。
隠しているのが辛くなったから。
正常者という仮面を脱ぎ捨てたかったから。
だが、状況は何も変わらなかった。
当然の事だった。
今では打ち明けた事を後悔すらしている。
それからだ。病気のことを考えないで生活しようと決めたのは。
仕事が出来ないのは病気のせいではない。
仕事で悩んでいる人はいくらでもいる。
当方だけが特別ではないのだ。
そして今。
今の仕事は、僅かながら、当方に確かな自信をつけてくれた。
当方でも出来る。
病気のことを一切気にせず仕事が出来るし、「こいつ病気なんじゃね?」と思う人は誰一人としていない。
そう、2年半前にあの病名を宣告されたのが嘘であるかのように。
病気のせいにして自分の行動を正当化していたのは本当に昔の話。
1年以上も前から、そんなことは一切無くなっていた。
そりゃ理不尽なことは何度もあるし、
納得できずに人のせいにすることは何度もあっただろう。
それも場合によっては間違いだろう。
ただ、病気のせいにしていないことだけは確かだ。
今、胸を張って言えること。
“ワタシハ、ショウガイシャデハナイ”