壮絶な戦いを繰り広げた6月30日。実は朝10時に出勤した時点で説教を喰らっていた。
「最近、事務所に何時間もこもって何をやっているの?」
アラフォー女性店長である。ここ数日の僕の異変に数名のスタッフが気付き、店長に報告していたのだ。
「事務所で調べ物するより今のあなたは現場で動きなさいよ」
防犯ビデオでUとカピバラの動きを研究していた行為そのものを全否定された。映像を見ないと煙草の攻略法は見出せなかった。意味があると思っていたのに、もう二度と出来ない。しかも、駄目出しはそれだけではなかった。
「パンの配置をメモしていたって聞いたけど、無駄な努力だよね。配置は毎週変わるんだから、品出ししながら大体の法則だけ覚えればいいでしょ?」
数日後にマネージャーからも説教。何も解っていない。僕の為ではなくカピバラがパンを品出しする際の補助ツールとして配置表を作ったのだ。しかも毎週変わるなんて関係ない。単に6月30日を含む週の配置を知りたかっただけなのだ。
「データを取るのも一つの方法ではあるけど、僕はアラフォー店長のその場その場の勘で動く所を見習って欲しいと思うの」
極めつけはオーナーからの説教。男は論理的、女は感情的に動くと良く言われるが、単にその違いではないか。
どいつもこいつも何も知らないで言いたい放題。全てはTを怒らせない為に、Tからの信用を取り戻す為にやってきた事なのだ。6月30日が僕にとってどれだけ命をかけた日だったか、一体何人が解っているのだろうか。努力は必ず報われるとは良く言ったものだ。報われるどころか、今の僕は努力そのものを否定されている。
とはいえ、もう動き方は大方理解できたので、データを取る必要も無くなった。もう何も怖くない。
翌週の土曜、7月7日も午後勤は僕とカピバラ、夕勤にTが来るシフトだった。6月30日と同じように、ほとんどの作業を僕が行った。
「とにかく動きなさい。動けばスタッフはあなたを信用してくれるから」
店長の説教で発せられた言葉を信じ、僕は慣れないカピバラの分も必死に動いた。結果、センター便の大量の冷やし麺の品出しを少し残してしまった以外は完璧だった。6月30日は時期的に冷やし麺が少なかった事も奇跡だったのだ。
更に翌週、その翌週と繰り返していくうちに、僕は動き方が解ってきた。あれほど攻略は不可能だと思っていたカピバラとの午後勤。起きる可能性があるから奇跡って言うのだと改めて確信した。
しかし、あの戦いの日から1ヶ月以上が過ぎ、事件は起きた。
「カピバラに揚げ物しかやらせていないんだって? それじゃ何も覚えないでしょ?」
土曜の午後勤が軌道に乗ってきた8月中旬。マネージャーからまさかの説教を喰らった。
「それは土曜だけです。日曜は時間的に余裕あるから色々教えています」
「そんなの関係ねえよ。全部カピバラにやらせて動けるようにならないと、彼女が他のスタッフと組んだ時にそのスタッフに迷惑がかかるんだよ」
下っ端の僕は何をやっても否定される運命なのだ。Tを怒らせないように努力すれば今度はマネージャーが怒る。そもそも動けと言ったのは店長であり、いつかのマネージャー自身も「動きなさい」と確かに言っていた。それがここに来て「全部人にやらせろ」か。こうなったのも全ては僕の気持ちを滅茶苦茶に掻き回したT、彼が発端ではないか。Tだけの為に無償の早出と残業を繰り返してデータを取り、それでも説教を喰らい、あらゆるものを犠牲にしてきたのだ。やってやろうじゃないの。今度はマネージャーの言うとおり、カピバラをちゃんと動かした上で勝利を掴もうじゃないの。Tをギャフンと言わせてやる。
僕はTを当面のライバルに決めた。試合に勝つのではなく、本当の意味で勝ってやる。
「センター便の検品をやって下さい」
それ以後、僕は自分が動くよりもカピバラに教えるのをメインにした。
「ああ、違います。検品しながら冷やし麺だけ冷やし麺のコーナーに移動するんです。そうすれば品出しする時に楽でしょ」
僕の作業さえも何度も止まる。人に教えるほど効率の悪い事は無いと思い知らされた。それでもいつかはカピバラが戦力になってくれる事を祈り、カピバラルートの攻略に努めた。
同じ女子高生でも、Wに嫌われない事だけを考え何でも僕がやっていたあの頃とは真逆。カピバラに嫌われる覚悟を持ってやらせているが、彼女はとりあえず従順になってくれている。
「多少厳しくしても良いですよ」
いつかの彼女の言葉を今は信じるしかない。怒りもせず、かといってフォローもせず、褒める回数も減った。余計な感情は抱かず、淡々と仕事を教える事だけに徹した。それが社員とアルバイトの本来の関係なのかもしれない。
しかし、悲劇は最悪の形で起きた。
「Tさん辞めたんですってね」
8月25日、Tの突然の辞職。最後に出勤した日に早退し、勤務希望用紙に○を付けていた日を全て×に書き換え、以後一度も姿を見せていないのだという。
おい、逃げるなよ。まだ勝負は終わっていない。散々人の心を掻き回しておいて、簡単に逃げていく。無断欠勤少女、Wに続きお前もか。お前の為にどれだけ身を削ってきたと思っているのだ。
2ヶ月弱にも及ぶTとの戦いは、無常にも僕の不戦勝で幕を閉じた。
(Fin.)