78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎タオル(最終話)

2013-03-22 08:47:20 | ある少女の物語
「優しい笑顔曇らぬようにこの唄を贈ります」



 一人に続き、会場全体が大合唱をする。これがゆずのライブにおける“アンコール”なのだ。
 1ナノも予想していなかった展開に僕は動揺を隠せなかった。しかも全くの知らない曲で歌うことすら出来ない。



君の心へこの唄が届きますように
優しい笑顔曇らぬようにこの唄を贈ります
君の心へこの唄が届きますように
優しい笑顔曇らぬようにこの唄を贈ります
君の心へこの唄が届きますように
優しい笑顔曇らぬようにこの唄を贈ります



 ただそれの繰り返し。それでも僕は頭の中が真っ白になり、歌詞を覚えられない。口から何も出てこない。
 気が付くと僕は走っていた。会場の外の通路へ出ていた。
自分の愚かさにようやく気付いたのだ。ヒアリングテストのように曲を聴いて覚え、単語カードを丸暗記しただけ。ライブを観に来たのではなく“試験を受けに”来ただけ。母親の歌声を思い出しながら『サヨナラバス』を大声で歌っただけ。少女と仲良くなりたい、ただそれだけの傲慢な私欲の為に貴重な一席をファンでも無い僕なんかの人間で無駄にしてしまったのだ。僕がここに居ることでチケットを手に入れられなかったファンも居る。僕はもう会場に居る資格など無い。

「これ、あげる」

 通路の真ん中で跪き顔を伏せる僕に、一人の女の子がA5サイズほどの紙を差し伸べた。

「書いてあるとおりに歌って」

 見上げると少女の顔だった。紙には少女の字で『君の心へこの唄が~』と書かれていた。

「あ、ありがとう……ありがとう……」

この時流した、2つの意味が込められている“涙”の生温い感触を、僕は一生忘れることは無いだろう。

「タオル2枚持っているから1枚貸してあげる」
「タオル?」
「たぶん次の曲で使うと思うの」

 アンコール1曲目『翔』で、1万2000枚のタオルが宙を舞った。盛り上がりが最高潮に達している事を表していた。少女のお陰で何も知らなかった僕もタオルを頭上に投げることができた。
 そして『T.W.L』を挟み、締めはやはり『夏色』だった。
「ゆっくりゆっくり下ってく」



 その後、僕は一度も少女と連絡を取らないまま今に至る。学校で会っても会話を交わすことは皆無。
 ゆずの真のファンであると胸を張れるようになってから、もう一度少女をライブに誘おうと心に決めた。
 その日に向けて、今日も僕は『贈る詩』を聴いている。

(Fin.)

◎タオル(第2話)

2013-03-22 08:44:04 | ある少女の物語
「皆さんこんばんはゆずでーーーーす!」
 いよいよゆずの2人が登場。北川さんの叫び声が会場全体に響き渡る。
「先日は体調不良でご心配をおかけしてすみませんでした。最初は坊主になってYoutubeに上げようと思ったのですが」
 時事ネタも織り交ぜる北川さんのMCに会場は更に沸いていた。
 その後も『シシカバブー』『みぞれ雪』『しんしん』『from』と名曲が続き、6曲目は10年前にドラえもんの主題歌で話題になったこの曲。
「青い空 白い雲 勇気をもって踏み出そう」
 メジャー中のメジャー曲だけあって、『またあえる日まで』はゆずの2人のみならず観客全体での大合唱になっていた。
 ハンディカメラを持ったスタッフが客席を歩き回り、その映像がメインの大画面にリアルタイムで映し出される楽しい演出の中、僕も観客に混じり口ずさむ。しかし、それは30秒と続かなかった。
 歌い出しを少し歌えただけで、Bメロの歌詞は全く頭に入っていなかった。すぐ近くで僕より小さい子供も歌っている。そして少女も。なのに僕は……。
「またあえる日まで 夢を叶えよう 信じる事が 心を繋ぐ」
 せめてサビだけは必死に歌った。少女に幻滅されたくない、ただそれだけの想いで。

『ワンダフルワールド』『虹』『HAMO』『Hey和』『地下街』――懸命に歌い、ギターを弾き続ける北川さんと岩沢さん。それを後押しするかのように観客は手拍子やPPPH、両手を上に伸ばし左右に振るなど、様々な合いの手を入れる。ロマンスやMIXを連発する秋葉原のオタクに比べれば難易度は低いこともあって、ライブ自体が初めての僕でも周囲に合わせるだけで合いの手をこなす事ができた。物理的にも精神的にも会場が一体となりゆずを応援するこの空気がとても気持ち良かった。
 少女は合いの手に加えジャンプまでしていた。その姿は無我夢中そのものだった。ライブ前にニットを脱ぎ靴を履き替えたのは動き易くする為だったのだ。
 そして。
「予定時刻は6時 あとわずかで僕らは別々の道」
 台所で母親が良く口ずさんでいた『サヨナラバス』。これなら歌える。会場の大合唱に負けない声で僕は歌った。
「サヨナラバスは君を乗せて静かに走り出す」
 羞恥心を捨て、とにかく歌い続けた。しかし、すぐ左に居る少女をチラリと見るも、僕のほうをまるで見ようとしない。

 その後も『陽はまた昇る』『桜会』『REASON』『また明日』『いちご』『少年』『栄光の架橋』と、一部を除き、何度も事前に聴いている曲が続いた。曲の既知の有無は感情の高ぶりを大きく左右しており、事前に聞き込んだのは無駄ではなかった。僕はこのライブの空気に触れているだけで満足だった。
「一人じゃない 心の中 どんな時も with you」
 最後の曲『with you』を歌い終えた北川さん、岩沢さん、そしてバックバンドの面々はステージを去る。一般的なアンコールのかけ方は少し速めの手拍子を繰り返す。僕は何らかの映像媒体でその知識を得ていた。手拍子をしようとした矢先、事件は起きた。



「君の心へこの唄が届きますように」



 アンコールの手拍子が起こらない。代わりに聞こえてきたのは観客の誰か一人の歌声だった。

(つづく)

◎タオル(第1話)

2013-03-22 08:41:46 | ある少女の物語
「腕を前から上に挙げて大きく背伸びの運動から、ハイ」
 数年前の夏休みの気だるい朝が蘇る懐かしい台詞。それが聞こえた時、一瞬戸惑いながらも僕はピアノの伴奏に合わせて両手を動かし始めた。何のことはない。今僕等に課せられた試練は『ラジオ体操第1』を踊りきること、それだけだ。ただ、小学生の頃と異なる点は、1万2000人以上もの老若男女と試練を共有していることと、場所が横浜アリーナであることだった。



「片山奈々美です。よろしくお願いします」
「……それだけ? もっと何か言うこと無いの? 例えば好きなものとか」
「好きなものは……“ゆず”です」
 僕は3学期の訪れと共に転校してきた少女に想いを寄せた。無口で大人しく心を閉ざす彼女にまつわる唯一の情報は『ゆずのファンであること』だった。
 その2文字の平仮名は母親から聞いたことはあった。僕が産声を上げる数年前、伊勢佐木町の商店街に新星の如く現れた男性2人組によるフォークデュオで、今年でメジャーデビュー15周年を迎えるベテランだというが、ジャニーズの5人組や総勢200人を超える国民的アイドルグループの話題で持ち切りの僕のクラスではこれまで彼等の存在自体語られることは無かった。決して流行に流されない少女のセンスの高さを感じた。15周年を記念するライブが2月に自転車で行ける範囲の会場で開かれる。仲良くなるにはこれしかない。僕は有り金を叩いてネットオークションで連番のチケットを落札した。
「あ、あの……立見席だけど、ゆずのライブのチケットが2枚手に入ったから、一緒に行かない?」
 おそらく僕は生まれて初めて“勇気”を出したのだろう。話したことすらない女の子をいきなりデートに誘うのだった。



 公演前に観客のみならずスタッフ、警備員も含めた全員で『ラジオ体操第1』を踊ることがゆずのライブの恒例行事となっていた。
「最後に深呼吸~。大きく息を吸い込んで吐きます。ごぉー、ろく、しち、はち」
 それが終わると会場が暗くなり、トップを飾る曲『1』のイントロが流れ、会場が1万2700人の拍手に包まれる。その光景を見渡した僕は早くも過ちを犯していることに気付いた。アリーナもスタンドも隅の隅までピンク、緑、黄色の光で点々となっている。サイリウムである。不覚にも僕は用意するのを忘れていた。3色いずれかのサイリウムを観客の九分九厘が持っており、すぐ左にいる少女の右手にもピンク色に光るそれがあった。学校で一度も見せたことの無い少女の満面の笑顔がそこにはあった。今、彼女は心の底から本当に楽しんでいると確信した。



「坂本君もゆずが好きなのですか?」
 少女が初めて僕の名前を呼んでくれた。
「う、うん。親の影響で聴き始めたらハマっちゃって」
 ここからは完全に出任せだった。ゆずファンになりきらないと、少女とライブに行くことは不可能。
「とっても嬉しいです。是非行かせて下さい」
 少女がOKしたのは大好きなゆずのライブに行きたいから。僕で無い人が誘っても同じ結果だっただろう。それでも良い。これをきっかけに距離を縮めることが僕の最初の目標である。
 その日から猛勉強の日々が始まった。TSUTAYAでアルバムを5枚借り、その70曲以上の中から1月に行われたばかりの大阪公演のセットリストに含まれる16曲のみをウォークマンに落とした。限られた期間内に横浜公演で歌うと思われる曲を1つでも多く覚えるにはこれが一番効率の良い方法だろう。試験範囲を元に要点を絞って覚える、学校の勉強のようなものだ。幸いにも僕はクラスで両手指に入るレベルの学力はあった。登下校、休み時間、家での勉強中から入浴中まで16曲を繰り返し聴き、その全てをイントロだけでタイトルを当てられるまでに時間はかからなかった。

「一番好きな曲は何ですか?」
 そして訪れた運命の日、2月8日。会場の外で並び待機している最中、少女は聞いてきた。
「初期は『夏色』、最近のだと『虹』かな。“誰のせいでもないさ 人は皆 鏡だから”の部分に北川さんの優しさが滲み出ていると思うの」
 予想される質問にはあらかじめテンプレートを用意し、単語カードに書き込んで覚えていた。
「『虹』私も好きですよ。あとは『つぶやき』とか、初期だと『月曜日の週末』とか。岩沢さんの作る曲のほうが好きですね」
 アルバム曲を挙げるあたり、少女のセンスの高さを感じた。だがその2曲はどちらも大阪公演のセットリストには無かった。おそらく今日も歌わないだろう。
 立見席は2階スタンドの最上段に立って観覧するというものだった。
「ごめん、こんな席ですらない所しか取れなくて」
「全然大丈夫ですよ。ライブ中はどうせずっと立っていますから」
 そう言いながら少女はコートを脱いだ。初めて見る少女の私服は、ラインが濃いめのランダムボーダーニットに緑のフレアミニスカート、黒のニーハイソックスにショートブーツだった。細めと太めが混在するボーダーで視線を拡散させる等、着膨れしがちな真冬に細見えする工夫が施されており、制服とはまた違う魅力の少女を拝むことが出来た。と思ったその時だった。着やせ効果のあったニットを脱ぎ、トップスはゆずのTシャツ1枚だけになってしまったのだ。しかも可愛らしいブーツは大きめの鞄に仕込んでおいたスニーカーに履き替え、ニーソとのバランスが悪くなってしまう始末。これからランニングでもするのかと思うほどダサくなってしまった。

(つづく)