【復興の味】届けに広島から能登へ 「お好み焼きで力になりたい」能登へ移住を決断 (youtube.com)
おいしそうなお好み焼き!お店の周りにはたちまち人だかりが。 「温かいうちに食べるとおいしいんですよ」「いただいてます、おいしい」 輪島市の避難所で被災者にお好み焼きを振る舞っているのは広島県から来た、佐渡忠和さん71歳。 広島でおよそ20年間、お好み焼き店を営んできました。 佐渡さんが広島から輪島市に到着したのは、先月3日。発災翌日に能登に向かうことを決断したといいます。 佐渡さん: 「誰かがいかなければならないでしょ。行って力になれるのであれば行こうという…むしろ俺が行かなければ誰が行くという」 誰かの助けになれればと、使命感に駆られ、車に支援物資を詰め込んで出発し、全てのタイヤがパンクするトラブルもある中、なんとか輪島市に到着。 そんな中、感じたのは・・・ 佐渡さん: 「食べるものがまずない」 被害は深刻で支援物資もしばらく十分に届かない状況。 自分にできることは・・・と考え、お好み焼きに行き着いたのです。 一度広島に戻り鉄板や食材などを準備して再び輪島市へ。 佐渡さん: 「朝着いたらすぐ焼いてほしいということでふらふらで焼きまして」「 「ここ何十年間で一番出来の悪いお好み焼きだったけどみなさんおいしいおいしいと食べてくれてホッとしました」 そしてもう一つ佐渡さんはある課題に気がつきました。 ボランティア活動の支援や避難所の管理、ペットの保護など、復興には人手が必要だということを再認識したのです。 そこで、避難所の近くに空き家を購入し、輪島市に移住して復興を支援することを決断しました。 佐渡さん: 「70歳過ぎの私にできることは限られているので今から来ていただく支援者ボランティアの方に泊まるところを確保提供しなければならない」 「ペットレスキューをしている猫たちを保護する場所も必要だったので絶対に家が必要だった」 自宅は、ボランティアの宿泊場所や猫たちを保護する場所ともなっています。 能登の住民となり、目指すのは1日も早い復興。 活動しながら、思いのこもったお好み焼きを振る舞います。 佐渡さん: 「もともと(広島の)お好み焼きって広島が原爆で焼け野原になったときに立ち上がった食べ物。それに通じるものがある(お好み焼きで)元気を届けるということで」 復興の象徴・広島のお好み焼き。 被災地の人々の心と体を温めています。