珠洲市では平年の132年分…復興妨げる“災害ごみ”どう処理する?課題は【報道ステーション】(2024年2月7日) (youtube.com)
石川県七尾市内の小学校10校と中学校4校で、7日から給食が再開されました。 メニューは、おにぎり2個と牛乳、デザートでした。育ち盛りには、ちょっと物足りない量かもしれません。給食が再開されたことにより、これまで午前中だけだった授業が通常に戻りました。かつての日常へ向け、少しずつ進んでいます。 大規模火災に見舞われた輪島市の朝市通り。全焼した老舗和菓子店の知り合いが、富山から、ラーメンを振舞うため来ていました。 被害が大きかった奥能登では、今月に入り、災害ごみの回収が始まっています。災害ごみとは、家屋の“解体ごみ”と、家具などの“片付けごみ”を合わせたものです。 珠洲市では、個人で仮置き場に運んでいます。県の推計では、珠洲市の災害ごみは57.6万トンで、平年に出るごみの132年分にも達しています。 能登半島地震での災害ごみは、特に奥能登が多く、4つの市と町で151万トンを超え、平年の約60年分のごみが発生する見込みとなっています。 被災地にのしかかる、災害ごみの問題。自治体によって、回収方法が違っています。 輪島市の災害ごみは34.9万トンで、平年の31年分。分別が必要で、業者が回収するシステムとなっています。輪島市では、仮置き場への渋滞を回避するため、個人での持ち込みを禁止しています。 “災害ごみ”回収を行う・宮地組の平勝彦課長:「きょうは可燃ごみをメインに集める。可燃ごみならば回収する。きょうは瓦類・鉄類・家電製品、それらは回収しない。混載すると捨て場で(分別で)混雑するので。一度にたくさん捨てられるように、ある程度、分別して処分場に運ぶ」 災害ごみの分別には、コストや時間短縮などのメリットがあります。回収を担当する平さんも、自宅が土砂に埋もれ、避難所生活を強いられています。 “災害ごみ”回収を行う・宮地組の平勝彦課長:「こうなった以上は前を向くしかないので、できることを1日精一杯やる。その積み重ね」 輪島市の蒔絵師・内野薫さん(72)。自宅兼仕事場は傾いていて、かなりの家財が使えなくなりました。 内野薫さん:「目に映るもの、ほとんど災害ごみで出そうと思っています。(Q.ごみは全部持って行ってくれた)ちょっと持って行ってくれた。全部は持って行ってくれませんね。スマホで(連絡が)来るだけですから、輪島市から。災害ごみがどうのこうのって、簡単な説明なので」 輪島市での回収は、まだ中心部でしか行われていません。道路の復旧が遅れているためで、それ以外の地区は、今月中旬から順次始める予定となっていますが、復旧のめどが立たず、3月以降となっている地区もあります。 県全体では、約240万トンになるとの推計で、年間に排出されるごみの約7年分に相当します。 ◆災害ごみは、どのように処理していくのでしょうか。処理イメージです。 まずは、被災現場の解体。県は、約2万2000棟が解体されると想定しています。次は、仮置き場に運ぶ作業。ここで可燃・不燃などのごみの分別も行います。そして、被災地からごみを輸送する段階に移ります。陸上輸送と海上輸送を想定しています。そして、県内、県外の施設を活用しながら処理していきます。県は、全国から処理事業者や自治体の応援職員を要請して、2026年3月末の完了を目標としています。 今回の地震で発生した災害ごみについて調査する名古屋大学の平山修久准教授は「災害ごみが多い珠洲市、輪島市は課題がある」と指摘しています。 奥能登の課題です。 災害ごみ仮置き場ですが、平地が限られ、増設が困難だといいます。陸上輸送については、大型車が通れる道が少ない状況。海上輸送については、地盤隆起で船が港に接岸できません。 今後の解決案として考えられるのが、内海からの海路輸送です。内海は地盤隆起せず、船の接岸が可能な場所も多いといいます。そして、現地でのリサイクルという方法も考えられます。がれきを再利用する装置を被災地に置き、活用。災害ごみの運び出す量を減らし、被災地の復旧資材として活用することもできます。 東日本大震災のときも、現地でのリサイクルが行われました。 平山さんは、「過去の地震の経験を生かして、今回も乗り越えることが大切だ」としています。