夜の鎌倉の闇は深い。
いよいよ名越の切通へと足を踏み入れると、獣道さながらの散策路には容赦なく大岩が転がっていて足元はおぼつかない。
耳を澄ますと虫の声がする。
それ以外は静まり返って物音がしない。
遠くで軽い金属音がするのは横須賀線が走っている音だろうか。
夜の闇に中世来からの歴史がのしかかってきて重苦しいのは気のせいではないだろう。
そこに現れる不気味な顔。
幼い頃に懐中電灯を持たされると必ずやってしまうチープな演出も、この場所だとなかなかの迫力を持っている。
上り勾配が一段落すると、名越切通を示す杭が立っていた。
そこからは蛇行した道を進む。
途中には左手にまんだら堂、右手の崖下に火葬場を眺めながらのコースとなる。
まんだら堂は鎌倉最大規模のやぐら群で、やぐらとは中世鎌倉特有の墓地である。
言い換えれば、鎌倉時代最大の集合墓地だ。
整備のため長らく立ち入り禁止であったが、最近は日を限って公開しているという。
いつか見てみたいものだが、きっと中世は土葬だろうなあとか思いつつ、そそくさと、入口を後にする。
ここ、名越切通は以前に一度、もちろん昼間に訪れたことがあるが、夜間に来ると記憶が全まったく頼りにならない。
気がつけばまた若干の上り勾配になっていて、上りきったところに、小坪方面へ降りる分岐点があった。
その先は下り勾配、いよいよ逗子方面へと繋がる道である。
ここから逗子に出てしまっては帰りが遅くなるので、途中の断崖だけを見にいく。
切通しの醍醐味である狭く競り立った崖。
三方を崖に囲まれ、洞になった空間。通路は恐ろしいほどに狭くなっている。
中世の防衛線の跡が、現在でも見てわかるほどに残っている。
今にも武者が崖の上から立ち現れて、弓矢をよつぴいてひやうと放ってくるかと思えるほどである。
鎌倉七口の中には極楽寺坂のように自動車道路に開削されたり、巨福呂坂のように廃道になってしまったものもあるが、
比較的標高が高く、険しかった名越は幸運にも残ったのであろう。
さて、もう一度分岐点へ戻って小坪方面を目指そう。
つづら折になった急な階段を降りていくと、謎の巨大な広場へと到着した。
用途の分からぬ、ぽっかりとした空間。
三方を崖に囲まれた四角い敷地の先には家々の明かりも見える。
木々の繁る闇夜を潜るように抜けてきた私たちは少しばかり、狐につままれたような感じがした。
人里に降りてきた安心も束の間、広場の隅の方に何か柵で覆われた怪しい場所がある。
これはWEBをはじめとして知られている古井戸であった。
柵で覆われているのは、昔に子供が誤って転落死したからであると囁かれている。
真意は定かではないが、草木に覆われた古井戸には納得させるような怪しさがある。
しかし、柵は男性の胸下ほどの高さしかなく、井戸と同じ高さなので転落防止用としてはあまり役立っていないようだが、そこで何かがあったことは物語っている。
井戸は地上と地下を繋ぐ境界であるとも考えられるから、不思議な噂はつきもの。
刑場跡や古戦場にはよく首洗いの井戸なるものが残されていて、覗いてはいけないという禁忌がある。
広場をあとにして、階段を下ると小坪の集落へと続く道路脇へと到着する。
この階段も奇妙で、上には広場しかないはずなのに、駅のホームへ向かう階段のように幅の広いコンクリート製の代物なのだ。
別に怖くはないが、用途が不明瞭でもやもやとする。
道路に出て、まっすぐ坂を下ると小坪の集落であるが、戻るように斜め左へと進むと、すぐに小坪七丁目の交差点にぶつかる。
トンネルに挟まれた不思議な交差点。
あの有名な名越トンネルはすぐそこである。
...続く
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