今回の日記は、グローバリズムと反グローバリズム、どちらが正解なのかを判断するうえで、避けては通れない考察になります
もちろん、私は反グローバリズムが正しいと判断しているわけですが
その理由は後ほど語るとしても、「ナチスドイツ」によるアウシュビッツ、つまり強制収容所とユダヤ人ホロコースト(大虐殺)が
ヨーロッパ人にどんな影響を与えていて、彼らがなぜEUというグローバリズム連邦国家を作ったのか?
それを考察し、理由を知ることで、日本の保守派と言われる人にも大きな影響を与える、と思うからです
日本の保守には、いまだに単なる「保守」と「左翼」という、2元的なものの見方をしている人が多く
グローバリズムと反グローバリズムの違いがよく分からず、今回のウクライナ紛争において、誤った見方をしている人が数多くいます
そうした方は、おそらくナチスが国家社会主義という、国家(民族)至上主義を掲げて、他民族を迫害したと思っていると思います
実は、第二次大戦後のヨーロッパの指導者の多くもまた、そのように考えたわけです
つまり、「ナショナリズム(国家主義・国民国家)こそが、ナチスを生んだ元凶」だというわけです
こうした戦後のナチス史観によって、「ナショナリズムとは野蛮なものなのだ、未発達な政治思想なのだ」という考えが広がりました
そして「国民国家(ナショナリズム国家)は、まだ野蛮で未発達な国家形態なのだ」という風潮がヨーロッパに広がりました
しかし昨今では、その「ナチス=ナショナリズム説」は本当に正しいのか?が見直されつつあります
ドイツ出身のユダヤ人で哲学者のハンナ・アーレントは、著書「全体主義の起源(反ユダヤ主義)」を著し
その中で、なぜユダヤ人が迫害されたのか?について、客観的で詳細な分析を行っています
ユダヤ人であるアーレントの分析は非常に参考になるものです
16~17世紀以降のヨーロッパにおいて、ユダヤ人は主に金融業、銀行業として特殊な地位を与えられており
時の権力者(国王など)たちの金庫番として、きわめて自然な形で権力と一体となっていました
「権力と一体」と言うのは、いまの私たちが考えるような、”国民として”の特権階級ではありません
「富を独占する富裕な”国民”」ではなく「権力機構と完全に一体化した特殊な”異国人”」というような立場でした
つまり、ユダヤ人は、富を独占して他人に威張りたいとか、権力を持ちたいとか、そういう世俗的な欲を持つ人種ではなく
ただ純粋に、職業人種として、その生き方以外の生き方を知らない”純粋な異邦人”として、存在していました
例えて言うなら、ユダヤ人は、国民にも国王にも貴族にもなれない、ただの忠実な金庫役・財務役の異星人だった
ということなのです。。。他に自分の身の置きどころがなく、普通の国民にもなれない特殊な人々だったわけです
多分この肌感覚は、ユダヤ人であるアーレントだからこそ理解できるものであろうと思います
ユダヤ人が迫害された背景、理由は一つではありませんが
マイアー・アムシェル・ロートシルト(ロスチャイルド)のような、様々な権力と結びついて強大になった特殊事例を除いて
彼らユダヤ人が迫害された理由の一つは、時の権力と一体となりすぎていたために、時代が変わりつつあることに気がつかず
権力構造が変わるときに、旧権力者に協力する者として、象徴的な意味で攻撃の的になった、ということがあります
つまり、ナチスが台頭してきたときに、抵抗していた旧権力者の協力者だったユダヤ人たちが、その人種的偏見もあって
プロパガンダ(政治宣伝)的に迫害の的になった。。。ということです
そして、当時ユダヤ人たちがたくさん住んでいたのが、ドイツ語圏であるオーストリアです
そのオーストリアは元々、1918年までは帝国主義国家でした
ナチス台頭の少し前まで「オーストリア・ハンガリー帝国」という、ハプスブルク家が統治する帝国主義国家だったのです
そして帝国は第一次世界大戦に敗北し、解体され、オーストリア共和国とその他の小さな国々に分割されました
実は、帝国が解体された背景には「拡張欲をもつ帝国主義こそが、戦争の原因であると考えられた」という理由があり
今後戦争を引き起こさないためにも、当時、ヨーロッパで支配的な国家形態である「国民国家」に戻すべきだと考えられたのです
オーストリア・ハンガリー帝国は多民族国家でしたが、分割された後のオーストリア共和国は、ほぼドイツ系民族で占められ
ほぼ一つの民族、一つの言語の、「国民国家」として再スタートしました
ところが、オーストリア共和国は引き続きハプスブルク家の統治する、いびつな「国民国家」としての国家形態となりました
本来なら、「国民国家」となった国の国民は、すべて平等な権利を有する、というのが建前でしたが
オーストリアのユダヤ人だけは、特殊な地位をそのまま継続することになったのです
そしてその後、オーストリア共和国はナチスドイツに占領され、ドイツに編入されます
実は、このハプスブルク家に最後まで仕えていたのが宮廷ユダヤ人。。。つまり、帝国主義から国民国家に変わったにもかかわらず
ハプスブルク家に協力していたのが、当時オーストリアに数多く住んでいたユダヤ人たちだったわけです
ユダヤ人は、「国民国家」の下では、本来なら人種平等の理念によって「解放」される流れにあるはずでした
「解放」というのは、普通の国民としての市民権を得る、ということでしたが
「権力の庇護を受けるため、とにかく権力者に忠誠を誓って生きる」というのが彼らの伝統的な生き方であり
それ以外の生き方を知らなかった彼らは、国が帝国主義から国民国家に変わった後も、ハプスブルク家に忠節を誓う以外に
生き方を知らなかったと言えます。。。だから、多くのユダヤ人が、普通の国民として生きることを受け入れませんでした
ですから、彼らの迫害の背景には、旧体制(国王)の協力者としての特殊な地位が憎しみの対象になった、ということがありました
そしてもちろん、彼らのその特殊な考え方が、非ユダヤ人には受け入れられず、差別の対象となっていたことは否めません
ナチスは、「偉大なドイツの統一を邪魔するユダヤ人」という彼らの特殊で象徴的な立場を、宣伝戦(プロパガンダ)に利用しました
こうしたことがあったわけです
それで、肝心のナチスについてですが、もうその特徴から見ても、明らかに帝国主義思想そのものです
長くなりますので今回はこれで
ここまで読んでくださった方は、次回も是非読んでいただきたいと思います
次回は、ドイツ・ヨーロッパの抱えるユダヤ人への複雑な思いとEU、イスラエルからみたグローバリズムと反グローバリズム
こうした事を考察ののち、最終の結論を述べたいと思っています
もちろん、私は反グローバリズムが正しいと判断しているわけですが
その理由は後ほど語るとしても、「ナチスドイツ」によるアウシュビッツ、つまり強制収容所とユダヤ人ホロコースト(大虐殺)が
ヨーロッパ人にどんな影響を与えていて、彼らがなぜEUというグローバリズム連邦国家を作ったのか?
それを考察し、理由を知ることで、日本の保守派と言われる人にも大きな影響を与える、と思うからです
日本の保守には、いまだに単なる「保守」と「左翼」という、2元的なものの見方をしている人が多く
グローバリズムと反グローバリズムの違いがよく分からず、今回のウクライナ紛争において、誤った見方をしている人が数多くいます
そうした方は、おそらくナチスが国家社会主義という、国家(民族)至上主義を掲げて、他民族を迫害したと思っていると思います
実は、第二次大戦後のヨーロッパの指導者の多くもまた、そのように考えたわけです
つまり、「ナショナリズム(国家主義・国民国家)こそが、ナチスを生んだ元凶」だというわけです
こうした戦後のナチス史観によって、「ナショナリズムとは野蛮なものなのだ、未発達な政治思想なのだ」という考えが広がりました
そして「国民国家(ナショナリズム国家)は、まだ野蛮で未発達な国家形態なのだ」という風潮がヨーロッパに広がりました
しかし昨今では、その「ナチス=ナショナリズム説」は本当に正しいのか?が見直されつつあります
ドイツ出身のユダヤ人で哲学者のハンナ・アーレントは、著書「全体主義の起源(反ユダヤ主義)」を著し
その中で、なぜユダヤ人が迫害されたのか?について、客観的で詳細な分析を行っています
ユダヤ人であるアーレントの分析は非常に参考になるものです
16~17世紀以降のヨーロッパにおいて、ユダヤ人は主に金融業、銀行業として特殊な地位を与えられており
時の権力者(国王など)たちの金庫番として、きわめて自然な形で権力と一体となっていました
「権力と一体」と言うのは、いまの私たちが考えるような、”国民として”の特権階級ではありません
「富を独占する富裕な”国民”」ではなく「権力機構と完全に一体化した特殊な”異国人”」というような立場でした
つまり、ユダヤ人は、富を独占して他人に威張りたいとか、権力を持ちたいとか、そういう世俗的な欲を持つ人種ではなく
ただ純粋に、職業人種として、その生き方以外の生き方を知らない”純粋な異邦人”として、存在していました
例えて言うなら、ユダヤ人は、国民にも国王にも貴族にもなれない、ただの忠実な金庫役・財務役の異星人だった
ということなのです。。。他に自分の身の置きどころがなく、普通の国民にもなれない特殊な人々だったわけです
多分この肌感覚は、ユダヤ人であるアーレントだからこそ理解できるものであろうと思います
ユダヤ人が迫害された背景、理由は一つではありませんが
マイアー・アムシェル・ロートシルト(ロスチャイルド)のような、様々な権力と結びついて強大になった特殊事例を除いて
彼らユダヤ人が迫害された理由の一つは、時の権力と一体となりすぎていたために、時代が変わりつつあることに気がつかず
権力構造が変わるときに、旧権力者に協力する者として、象徴的な意味で攻撃の的になった、ということがあります
つまり、ナチスが台頭してきたときに、抵抗していた旧権力者の協力者だったユダヤ人たちが、その人種的偏見もあって
プロパガンダ(政治宣伝)的に迫害の的になった。。。ということです
そして、当時ユダヤ人たちがたくさん住んでいたのが、ドイツ語圏であるオーストリアです
そのオーストリアは元々、1918年までは帝国主義国家でした
ナチス台頭の少し前まで「オーストリア・ハンガリー帝国」という、ハプスブルク家が統治する帝国主義国家だったのです
そして帝国は第一次世界大戦に敗北し、解体され、オーストリア共和国とその他の小さな国々に分割されました
実は、帝国が解体された背景には「拡張欲をもつ帝国主義こそが、戦争の原因であると考えられた」という理由があり
今後戦争を引き起こさないためにも、当時、ヨーロッパで支配的な国家形態である「国民国家」に戻すべきだと考えられたのです
オーストリア・ハンガリー帝国は多民族国家でしたが、分割された後のオーストリア共和国は、ほぼドイツ系民族で占められ
ほぼ一つの民族、一つの言語の、「国民国家」として再スタートしました
ところが、オーストリア共和国は引き続きハプスブルク家の統治する、いびつな「国民国家」としての国家形態となりました
本来なら、「国民国家」となった国の国民は、すべて平等な権利を有する、というのが建前でしたが
オーストリアのユダヤ人だけは、特殊な地位をそのまま継続することになったのです
そしてその後、オーストリア共和国はナチスドイツに占領され、ドイツに編入されます
実は、このハプスブルク家に最後まで仕えていたのが宮廷ユダヤ人。。。つまり、帝国主義から国民国家に変わったにもかかわらず
ハプスブルク家に協力していたのが、当時オーストリアに数多く住んでいたユダヤ人たちだったわけです
ユダヤ人は、「国民国家」の下では、本来なら人種平等の理念によって「解放」される流れにあるはずでした
「解放」というのは、普通の国民としての市民権を得る、ということでしたが
「権力の庇護を受けるため、とにかく権力者に忠誠を誓って生きる」というのが彼らの伝統的な生き方であり
それ以外の生き方を知らなかった彼らは、国が帝国主義から国民国家に変わった後も、ハプスブルク家に忠節を誓う以外に
生き方を知らなかったと言えます。。。だから、多くのユダヤ人が、普通の国民として生きることを受け入れませんでした
ですから、彼らの迫害の背景には、旧体制(国王)の協力者としての特殊な地位が憎しみの対象になった、ということがありました
そしてもちろん、彼らのその特殊な考え方が、非ユダヤ人には受け入れられず、差別の対象となっていたことは否めません
ナチスは、「偉大なドイツの統一を邪魔するユダヤ人」という彼らの特殊で象徴的な立場を、宣伝戦(プロパガンダ)に利用しました
こうしたことがあったわけです
それで、肝心のナチスについてですが、もうその特徴から見ても、明らかに帝国主義思想そのものです
長くなりますので今回はこれで
ここまで読んでくださった方は、次回も是非読んでいただきたいと思います
次回は、ドイツ・ヨーロッパの抱えるユダヤ人への複雑な思いとEU、イスラエルからみたグローバリズムと反グローバリズム
こうした事を考察ののち、最終の結論を述べたいと思っています