忘れないうちに、これも書いとこっ。
こちら高知ではよさこい祭りの練習が、街のあちこちで盛り上がっています。(と、地元のニュースで言ってます。苦笑)
また、打って変わって。
春に植えられた苗がすくすく大きくなっているなぁと思ったのはつい最近だったように思うのですが、なんと、もう稲刈りが始まっています!黄金色に色づいた稲穂が広がっています。
体内時計によると、この時期の稲刈りはありえないので、なんだか季節が早送りされているようで不思議な感じがします。
高校野球といえば、学校を挙げての応援が付き物。
高校時代、私はブラスバンド部員として応援に一役かっていた。
今でも『栄冠は君に輝く』が聞こえてくると当時にタイムスリップする。
我校の野球部は一回戦敗退が決まりごとだったので、一回戦を突破しただけでもお祭り騒ぎで盛り上がった。
流れ落ちる汗が半端なくすごかったこと、ファールボールが応援の女の子に当たってしまい騒然となったことは鮮明に覚えている。
テレビでスタンドの様子を見ていると、アッ暑いのによく応援しよるなぁーと思うけれど、彼らの中にも暑(熱)かった夏の思い出として刻まれるのだろうな。
ひょっとしたら、ちゃんと戦争について考えるのは、一年にこの時期だけかもしれない。
言葉にすれば戦後62年と、さらっとしたものだけれど、
この時代を生き抜いてきた人たち、私の父も含めて、本当に苦労した事と思う。
そういう時代だったのだからと言ってしまえばそうかもしれないが、
望まずしてその時代に生まれ、戦争の中に青春時代を過ごした人々が、
事あるごとに戦争の話を口にする訳が、この歳になってやっと理解できるようになった。
今年の春、もう20年ほど前に文筆好きの父が記した戦時中の手記を読んだ。
どうだ!といって完成したその大作が出来上がった当時、私は戦争になど全く興味がなかったので見向きもしなかった。(今思えば、気の毒なことをしたよなぁ。もうちょっとお愛想してあげればよかったかな。)
学徒動員により工場で働いていたときに空襲に遭遇し、そのすさまじさに肝を潰したこと、
捕虜として同じ工場で働いていた敵兵との当時子供だった父たちとのちょっとしたやりとりのことなどを、時代の産物ワープロで書き上げている。
公の場に出すには、適切でない表現が多々あるのだけれど、
その時代、その情景を表すにはぴったりな表現なのだ。
去年の夏には、父の動員先だった愛媛県新居浜市の工場があったであろう辺りまで出掛けて行ったりもした。近所で少し聞き込みもしてみたが、当時のことを知る人には残念ながら出会えなかった。
その後も、ネットで検索した空襲の情報を頼りに、愛媛新聞社まで問い合わせをしてみたりもした。
父と同じく新居浜にて空襲に遭遇した方が、松山市制作の戦争啓発ビデオに登場していたという情報までは頂けたのだが、そこから先については、個人情報のからみがあるから松山市に問い合わせしても教えてもらえないかもしれないとのことだった。
新聞社や探偵ナイトスクープみたいにおっきな後ろ盾があったら、もうちょっとやる気だして、父が青春を語り合える人物にたどり着けたかもしれないけれど。
でも、まだ私の中でちょっと燻っている事ではある。