福 風

心にとまった物や想いを集めて。穏やかな風が吹きますように。

王将

2008-05-29 | 暮らし向き






♪吹けば飛ぶよな 将棋の駒に
 賭けた命を 笑わば笑え        

            王将   村田英雄  歌詞


知ってますか?この歌。

だけど、この駒は吹いても飛ばないんだなぁ。
だって、マグネットだもの。

大きさはこのくらい。      




出来るようになりたくて、衝動買いしてしまいました。



          


ふるさと心の風景(切手)

2008-05-29 | 暮らし向き



以前習っていた二胡を通じて知り合いになった方から絵はがきをいただいた。
その返信を手紙に書き、切手を買いに郵便局へ。

切手なんて送り賃の証だから貼ってあればいいくらいにしか思わず大人になったが、筆まめな友達がくれる便りには、いつも違う絵柄の切手が貼ってあることに気を留めるようになってから、自分も人様に便りを送るときには努めて記念切手を貼り付けるようになった。

80円切手一枚買えばよいのに、今回あったこの原田泰治さんデザイン『ふるさと心の風景』をみたとたん、まとめて買わずにはいられなくなった。なぜなら、高校のとき、図書館で原田さんの画集を手にとって以来、大好きな画家さんの一人だったから。

この切手を貼り付けて返信しようと思っていたけど、ずっと自分が見ていたくて、結局手持ちの他の切手を貼って送った。(おいおい・・・)

こうして、デザインを気に入ってしまい手放せずに手元に残る切手が徐々に増えつつある。いかん・・・。この原田さんの画を気に入って、気に留めて下さる方に、お手紙書いて送ってあげたい。







ガソリン高騰

2008-05-29 | 暮らし向き


ストレス解消法のひとつ、ドライブ。
なのですが、ガソリン価格の高騰により気軽に出掛けるのもはばかられるこの頃。
昨日四国地方の入梅も発表され、考え方を変えれば、雨降りでは出掛ける気分にもならないので、一石二鳥かな。

ところで。
先日のNHKの番組でも放送されていましたが、北極の氷河がここ数年で急速に溶け出しているとか。それだけでなく、溶けて海面が現れたところから、地下資源である石油の掘削が進んでいるそうです。普通に考えただけでも、氷のそばで作業をすれば熱を帯びて溶け出しますよね。地球にとって悪いほうへと拍車がかかっているようです。

しかし、資金源である石油の利権を前に、いくら自然保護と訴えたところで、人間の私利私欲のとどまる術を示すことなどできません。何より、その石油を使って日々暮らしているのは私たちなのですから。

ここのところの石油高騰は、人間へのお灸なのかもしれないと思ったりします。理想理念を掲げても実行できない、自然から人間への戒めなのかも。
経済に、家計に、目に見えた形で影響を及ぼせば、自ずと今までどおりには行かなくなり、行動を改める必要に迫られてくる。

高度経済成長以前の、石油製品の少なかった時の暮らしに立ち戻ることができるかどうか。そのためには、戦争を生き抜き、時代の変化にうまく対応してきた現在の高齢者の方々の知恵と知識を拝借しなければいかないのかなぁと思います。

何が無くても、あるものを使って知恵をしぼり、工夫をして暮らす。偉そうに書いていますが、言葉にすれば簡単。でも、“あること”が当たり前の生活漬けになっている我が身は、対応していけるのか?



度が過ぎると不幸

2008-05-28 | 父のこと

吐き出さないと辛いので、新たに“父のこと”というカテゴリーを作った。

過度の心配性は、自分だけでなく人にも迷惑をかける。
そう反省した今日の出来事。

以前から虫が目の前を飛んでいるようにみえる(飛蚊症かと思われる)と言っていた父。それが、この数週間でハエくらいに大きくなったと自己申告してきた。私自身はそれほど心配していなかったのだが、近所に住む父の話し友達が、もしかしたらそれは網膜はく離かもしれないよと教えてくれたらしい。

その話を電話で聞いた私は、素人知識ながら、もし本当に網膜はく離だったら失明するかもしれないから、早く病院を受診したほうがいいと思い、急に心配になった。同居していればなんでもないことでも、離れているだけに状況がわからず、もしものとき=悪い状況しか頭に浮かんでこなくなる。ほっといても大丈夫よ!なんてサラッとかわすことが出来ない。我ながら面倒な性質だと思う。

心配で居ても立ってもいられなくなり、誰に相談することも出来ず、お世話になっている担当のケアマネさん(看護師の資格あり)に電話で相談してみた。本当に早く手術しないといけないもののこともあるし、加齢によるものもあると聞いていると教えてくれた。だけど、どちらにしても一度お医者さんにみてもらったほうが安心するよね、ということになった。

そうなんですよね。元気で、なんでも理解できる人なんだから一人でさっさと病院を受診してくれたらいいんです。そうなのだけれど・・・。

父は障害者手帳を持つ難聴と、老人性難聴を併せ持っており、人の話を聞き取るのに不自由な人。といっても、聞き取れなければ聞き返せばいいだけのことなのだけれど、どうしてもそうしてくれない。聞こえていなくても聞こえたふり、わかったふりをするのだ。だから、後で何を言っていたのかとこちらが問いかけても、「さぁ・・・何か言いよったけど、聞こえんのやが。」という。

聞こえる側の人間だから、聞こえない人の気持ちはわからないだろうとお叱りを受けるかもしれないが、私が父の立場なら、聞こえないところは聞き返すのだが、どうしてそれをしてくれないのだろうか。たったそれだけなのに・・・。相手とコミュニケーションをとれないと、自分が損だと思うし、わかったふりでことを済まそうとするので、わかったものと思っている家族ともめるのである。

身内なだけに余計イラつき、ギャ~ッと怒鳴ってしまう。父だけが悪いのではなく、気が短く、感情的な私の性格も災いしている。

ケアマネさんが電話で、「お父さんは頭もしっかりしているし、娘さんが病院に付き添わなくても、ちゃんとお一人でできると思いますよ。」と言う。そう、頭はシャンとしているし、私なんかより物知りで賢い。ただ、聞こえない人なだけ。ケアマネさんに聞き取りの悪さのことを言うと、「そしたら先生や看護婦さんに紙に書いてもらうとか、あとで娘さんが電話して聞いてみるとかされたらどうですか。」と提案してくれた。

実は、私が千葉に住んでいる時にも、大きな病院で定期健診する父に付き添うため3ヶ月~半年に一度帰省していた。しかし、帰省するための交通費・宿泊費もばかにならず、いわば父の耳代わりをするためだけに数万円かけて帰ることをどうしたものかと考えていた。そこで、先生・看護師に、父の聞こえの悪さ・わかったふりをするので、顔色見ながらゆっくり話してもらえませんかと言ったことがある。すると、看護師には「他にも患者さんが大勢いらっしゃいますし。」と返答された。その経験があるので、相手に要求するのをやめ、今も検診の日には付き添うようにしている。
今は、ただ耳代わりなだけではなくて、人の多いところが苦手な父が心細くないように・私自身の目で父の様子をみて変化に気づけるようにと、割り切るようにしてはいるが、それも全く負担でないわけではない。どうでもいいや、めんどくさい、何で私ばっかり、何も考えたくない、と何度思ったことか。

蛙の子は蛙。私が人の言うことを聞かないところは父親譲り。その父が娘の言うことをおいそれと聞かないのも道理にかなっていると思い、結局あれこれ言うのを諦めるの繰り返し。

こうして頭が冷えてくると、また暴走してしまったと反省した。
ケアマネさんは優秀な方で、毎回お話しするたび、「遠くに居るからご心配でしょう」と言って心配りをしてくれるし、「また何かあったらいつでもお話してくださいね」と一言を投げてくれる。暴走する私にでも。ありがたいことです。その言葉にどれだけ救われる思いがしていることか。嘘だとしても(こう考える自分は卑しいけど)敷居を低くして一本の電話をしやすくしてくれる。

母に何も出来なかった負い目から逃れるかのように、生きている父のため、よかれと思ってすることも、度を過ぎるとただのお騒がせな人。それが今日の私。