サイプレス

鬱病になり不安定な毎日。今は宝塚熱が再燃して、これがいい処方箋になっています。

私よく知らないけれど・・・・

2009年05月04日 | つぶやき
ベルルスコーニ首相の妻が離婚を希望、イタリア報道
5月4日15時0分配信 CNN.co.jp

ローマ(CNN) イタリアのシルビオ・ベルルスコーニ首相(72)の妻、
ベロニカ・ラリオさんが離婚を検討していると、イタリアの各メディアが3日、
伝えた。

イタリア紙レプブリカによると、ベロニカさんは4月28日に離婚の意思を固めた。
19年間連れ添ってきた夫が、ナポリで開かれた18歳少女の誕生日パーディーに
出席し、金のネックレスを贈ったためとしている。

ベロニカさんを取材した同紙の記者によれば、ベロニカさんは
「今回ばかりは堪忍袋の緒が切れた」という。

ベルルスコーニ首相にとって、ベロニカさんは2人目の妻。
1980年にベロニカさんのトップレス・パフォーマンスを見て「一目惚れ」し、
交際がスタート。

84年に最初の子供が誕生し、90年に正式に結婚するまでに計3人が生まれている。
2人の子供をもうけた前妻との離婚は85年だった。


一連の報道に対し、ベルルスコーニ首相は「個人的な話で、
心が苦しい内容だ。
プライベートな人生に関するもので、公に語ることは不適切」と述べている

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ファーストレディが、トップレスパフォーマンス・・・って、イタリアらしい。
イタリアって、離婚が簡単に出来ないような仕組みになっている・・・・
と、昔聞いた記憶があるけれど、今は違うのかしら・・・・。

それにしても、お隣フランスのミッテラン大統領に隠し子がいたときの
あの彼の答えはよかったなぁ~~。
「エ・アロール」(それで?)
今回は、そんな大人な感じはしません・・・・な。

ルネサンスとは何であったのか

2009年05月04日 | 読書



塩野 七生著

ちょっと、前に買っていたのだけど、ゆっくり読まないと
誰が誰だか分からなくなるような本だったので、この休みにゆっくり
読むのにはぴったり。

ルネサンスとは、何であったのか・・・・。
これは、大きな命題だ。

絵画での、ルネサンスの始まりはジョットーとされているが、
氏は、その前のアッシジのフランチェスコの活動がルネサンスの
始まりだとのことだ。

言われればそうかも知れない。
それまでは、キリスト教が経済活動をも制限し、俗に言う「暗黒の時代」
だったからだ。
色々な制約や、もっともらしい概念を民衆に押し付けていた教会だったが、
フランチェスコは、聖書に虚心に接すれば、愛と優しさに溢れていたもので
あったことを、人々に思い出させて、なおかつ、当時の教養語「ラテン語」では
なく俗語の「イタリア語」で説教を聞いたりや祈りをすることを
教えられた庶民達は、自分達で聖書の言葉を考え直したり、感じることが
出来るようになったのだ。
つまり、既成概念を壊す・・・・ことがルネサンスなのだから・・・。

これは、教会が押し付けてくる概念との戦いだったのだけど、
驚くほどローマ教皇庁は、あっさりとフランチェスコのやり方を
カトリックの一派として認めたのだ。
まあ、手のつけられないほど、民衆に短時間で広がったりしたことも
大きな要因かもしれない。



フランチェスコの有名な「平和の祈り」(これは、フランチェスコの
祈りの言葉ではないが、よく彼の考え方を現している・・・といことで、そう呼ばれている)

神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。

神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



今も、教会で受け継がれている祈りの言葉の一つだ。


ところが、というか、全く持ってまたまた勿体無いことをしてきた私。
以前、アシッジに行った時には、鳥に説法をする話と、アメリカのサンフランシスコが、
彼にちなんで付けられた名前だ・・・・ということくらいしか知らなかった。

ここは、フランチェスコ会の街だから、簡単な法衣にロープで腰をマーク
している、修道士たちに沢山であった。
そのとき、ここがイタリアだと感じたのは、ウィンクしてくる
修道士もいたことだ。(笑)

この中に、日本から修道にきているお坊さんがいっらしゃった。
聖務の間であれば、教会内部を説明して案内してくださると言うことだった。
で、この聖務の間に、同じ日本人とはいえ、まったくフランチェスコの
ことを知らない私たちに、色々とどんな一生を送ったのかと、
教会内部の絵を見ながら説明してくださった。

そのとき、1228年に亡くなった、フランチェスコが着ていたという
法衣が飾られていた。
とても、粗末な粗布で、後に「清貧の人」と名づけられたのが伺えるような
ものだった。

この時、1時間ほどの説明を終えて、私たちが次の目的地に行こうとしたとき、
今から思えば「祝福」をしてくださった。
当時は、この行為の持つ意味がさっぱり判らないでいたが、
何故か「この旅が、善きものとなりますように。主のみはからいがありますように。主の平和がありますように。」
と、声をかけてくださったとき、涙がボロボロ出てきて、なんで悲しくないのに
泣いているんだろう・・・・と、思ったくらいだった。


写真は、アッシジの教会と、アシッジの街角で、よくCMやポスターに
使われている小道です。