サイプレス

鬱病になり不安定な毎日。今は宝塚熱が再燃して、これがいい処方箋になっています。

遍歴

2009年05月07日 | 読書
神谷 美恵子著

この本は、2~3年前に買っていたのに読み進めなくて
放置していたものだったのだけど、このお休みにゆっくり読書。

彼女は、らい病(彼女が書いているとおりにしている)の長島愛生園での
治療活動と、美智子皇后の話し相手?で数年宮中に参内し続けた
精神医だ。

大正3年に生まれたと言う彼女は、子供の頃から、官僚だった父親の
仕事の関係でスイスに住んだり、アメリカに住んだり、ご自身は
医師になった人である。
これだけ聞くと、すごい恵まれていただけやん!!と、思う人も
いるかもしれないけれど、この本を読むと常に恵まれている自分と
そうでなかった人との間に何があったというのか・・・・、
人間とは、同じ者ではないのか・・・・という視点が実は
子供のころからあったのだと気づかされてびっくりした。

彼女の最初の転換期は、私立小学校への編入だったそうだ。
それまで、公立小学校でのんびりしていたのに、私立に入ってからは
小学校から英語だけの授業があったり、お嬢さん然としている同級生と
自分が違うことに、気がついて、そしてそこがとても息苦しかった・・・
と、書いている。

そんなところへ、父親のスイスへの転勤が命じられて、一家でスイスに
行ったそうな。
そこで、新渡戸稲造に「子供なんて連れてきて、日本の宣伝活動が
出来ない!!」とご両親は叱られたそうな。
そこでの生活は、外交官生活。
突然、使用人が出来、パーティーが開かれて、両親はそのことに
忙殺されていたんだそうだ。
その時、また彼女は感じる。
今まで、自分とは違うと思っていたお嬢様に、スイスにきたら
自分がなってしまい、そのことがまた居心地が悪かったようだ。

この私は、どこに居場所を求めているのか・・・という根本的な
欲求が、その後の愛生園での活動につながっていったのだろう。

びっくりしたことは、スイスで通った学校が心理学者のピアジェが
校長をしていた学校だったそうで、これを聞いたら心理学に
興味がある人はどんな教育をしていたのか、とても興味が
あるだろう・・・なということ。
ここで、フランス語と英語を覚えた彼女。

その後、戦前にアメリカに渡り、これまた雰囲気の違う
クェーカー教の下宿?で過ごしたこと。
でも、このことがとても大切だったこと。
そして、その時医療の道に進むことを決めたこと。
戦後、文部大臣になった父親について、占領軍との通訳をしていたこと。
初めて19歳の時、らいの人に出会って、この人たちと共に
歩みたいと思っていたのに、現実になったのは40を過ぎてからだったこと。

もっと、自分の生き方を小さい時から目指して、苦労を乗り越えてきた感じが
あったけれど、そうではなくて、人間は皆同じではないか・・・、
なのに、何が違って運命が変るのだろう・・・、また、
ものの見方が変るだけで人生や歴史が変ること・・・このことを
求めていた人なんだな・・・と、感じた。

すごく、自分に対して謙虚で正直な彼女がしのばれる一冊。