『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

「復興、復興、復興最優先」は名ばかり、今もなお続く震災の悲しみ。

2020-03-08 11:08:03 | 喜怒哀楽をポジティブに
東電福島第一原発事故から9年、『東日本大震災9年』として
新聞にも取り上げられているが、中間貯蔵施設への汚染土や
廃棄物の搬入が始まってから5年、この中間貯蔵施設から
掘り起こし、25年後の2045年3月までに県外で最終処分すると
定められているとのことだが最終処分への道のりは難しく不透明で、
あらゆる問題は先送りされるようだ。

「福島避難者調査」でも今の気持ちとして『頑張ろうと思う』と答えた
人は30%台にとどまったという。

2018年の調査では6年ぶりに避難指示が解除された17年春に
自宅に戻った『頑張ろうと思う』人の声には
『住み慣れた家は日差しが注ぎ込み風通しもいい。』『自分のことは
自分でできるので自分たち老人から帰らなければ復興に繋がらない。』『町の未来が見たい』『やはり故郷は良い』という声がある一方、

『仕方がない・・・』と思う人の声に
自然の中の山菜やキノコなどを採り嬉しい気持ちで役場で放射性
セシウムを測定してもらったら基準の10倍ということからも
『除染したのは人が通るところや見える場所だけ・・・国や町は安全
だから帰れと言うが無理である』とか次々と取り壊されていく家を見て
こんな寂しいことはないと思いながら住んでいた子供たちのことを
思うと『仕方がないね』と、やり場のない気持ちになるなど・・・

そしてまた『怒りが収まらない』という声もある。
町の居住者は震災前の6%に過ぎず高齢者が多く、若い人が帰って
来ないため町が元のようになるかどうか先が見えないことや
第一原発の廃炉に30~40年かかる工程の遅れが心配であることから
復興五輪というのは見せかけであり、原発に怒りと憎しみを感じると
いう声など。

この3年で顔なじみも少しずつ戻ってきていること、車でスーパーへも
行けるようになり少しずつ元の生活を取り戻せているがやはり現実は
厳しく絶望感や町の復興は無理だという気持ち・・・でも諦めたくない・・・
いう複雑な思いが揺れ動くという。

戻ってきた人たちにとって以前の風景や地域社会の仕組みも変わり、
震災前より収入が減った人が60%も閉めているという現実も
復興は名ばかりで一番大切な人心のケアも置き去りにされているのでは
ないだろうか。

悲しく貴重な経験は日本全土で活かされなければならないが、真の復興は
まだまだ先であり、現実は今なお残酷な状況が多く残っている。
原発誘致による利権などに目が眩み、再稼働をもくろんだり期待したり
などということが今後一切ないよう、我々国民は原発廃止を唱え続け、
悪政を監視し続けなければならないと思う。





コメント
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