耳納の神々

この山から見る平野も川も壮大です。やっぱりこの山には神々がいらっしゃいます。
山の神にご挨拶するために今年も登るぞ~

国造神社

2007年03月18日 | 県外の神社
阿蘇神社のあと国造神社へと向う。
道に迷いながら、ガソリンの減りにどきどきしながら・・・

やっとたどり着いた神社。
外輪山の麓にある。
龍がいる神社らしいけど、私にはいっちょん感じることができない

御祭神
一ノ宮 国造速瓶玉命(阿蘇神社主神 建磐龍命の御子神)
二ノ宮 雨宮媛命  (一ノ宮の妃神)
三ノ宮 高橋神   (一ノ宮の第二御子)
四ノ宮 火宮神   (一ノ宮の第三御子)

由緒・沿革
 御主神 国造速瓶玉命は、肥後一ノ宮阿蘇神社の主神 建磐龍命の第一の御子神にして、延喜の制式内社(官社)に列せられて、阿蘇神社と同格の御社であり、父神建磐龍命の聖業を嗣がれ、阿蘇の開拓に水利にと国土開発の大業をなされ、庶民に農耕を教え畜産に植林に万幸を与え衆民を愛撫し、仁徳を施された。
 この御聖徳と御功業により、第十代崇神天皇の朝に、阿蘇初代国造と定められ、同十八年(紀元五八一年)御子惟人命(彦御子神)に勅せられて、阿蘇国造の神として、御居住の地(現在地)を卜して鎮祭せられ、茲に二、〇〇〇年以上の歴史ある古いお社である。
 此の間上歴朝の尊崇はもとより、下万民の敬仰する所で、国司、藩司の崇敬も亦篤く、中世以降に於ても肥後の大守細川氏も阿蘇神社と共に造営に、祭典に、代々藩費を供進せられ、現在の社殿は寛文十二年、細川五代綱利公の御造営のものである。
 古来、農神としての信仰厚く、五穀豊穣に晴に祈り、雨に乞ひ、又害虫消除に頗る霊験新かであり、近郷近在より其の時折りに祈願参拝も多く、近年には阿蘇の古名社として、遠来よりの参拝も沢になりゆき之大神の偉大なる御恩頼を渇仰する故に外ならない。
 明治七年十月には県社に列せられた。 -境内案内より-



私たちしかいないと思っていたのに、なんと観光バスが来た。
どやどやと20人程度がおりてきたので、「何を見にいらしたのですか?」と尋ねてみたが、返事は「さ~」って

でも手野杉の巨木に手をあて、瞑想している人もみかける。


その後手野の水を求めて外輪山を登る。


そこは本当に知る人ぞ知るという場所。私たちの前に一人いただけ。
でもきちんと水の神様が祀ってある。

その先は通行止めだったので、また外輪山を下り、上がれる道を探す。
外輪山への道は路肩に雪があり、朝晩は凍りそう。
それに思い出した。

私は高所恐怖症だったんだ!!

外輪山をただひたすら登った。景色を見る余裕はない。いや、怖くて見られない。
本当は、これを又下って内牧温泉に行く予定だった。
しかしこの坂道を下りる勇気はない。

そこで菊池へと向う。
菊池渓谷の途中で路肩の雪がなくなり、高度が低くなってきたのを感じる。
そこでやっと、「温泉にはいらな!!」って。
そこで入った美人の湯。
それについては又次回。


今回の旅で、ただ1つのやり残し。
だご汁飲み忘れた!!



コメント
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