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「自民 村上氏が閣議決定批判『徴兵制の覚悟在るか。』」(7月1日、
自民党の村上誠一郎元行政改革担当相は1日、集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定を批判した。「地球の裏側迄、命を懸けて自衛隊員に行って貰う様になれば、隊員は集まらない。国民や政治家は、徴兵制度を考える事迄覚悟しているのか。」と記者団に述べた。
同時に「此れだけ大きな変化を、憲法解釈変更で実現して良いのか。行使の限界事例が明確になっておらず、何処で線を引くかが曖昧で危うい。」と指摘。「戦後70年間、血を一滴も流さなかった『日本型平和ブランド』の何処が悪いのか。」と、政権の対応を非難した。
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昨夕、安倍政権は臨時閣議で、「他国への攻撃に対し、自衛隊が反撃する『集団的自衛権』の行使を認める為に、憲法解釈を変える閣議決定。」をした。「憲法9条では、集団的自衛権の行使が禁じられる。」と歴代政権は解釈し続けて来たが、安倍政権は其れを放擲した訳だ。
2年前の記事「自民党圧勝に対する懸念」で其の理由を記したので、詳細に関しては其方を読んで戴ければと思うが、自分は「日本が、集団的自衛権を行使する事に付いては反対。」という立場。大義の全く無い戦争に、日本が巻き込まれてしまう可能性を憂うからだ。
どうしても「集団的自衛権の行使が必要。」というので在れば、長年積み重ね来た「憲法9条では、集団的自衛権の行使が禁じられる。」という憲法解釈を唐突に変更するのでは無く、憲法自体を変えるのが“筋”。
あらゆる法律を超越した、「最高法規」たる憲法は、国家権力の暴走を防ぐ意味合いも在る。そんな憲法が、「政権が変わる度、“時の政権に好都合な様に”、解釈変更しても良い。」という事が許されるので在れば、法律なんて在って無きが如しで、最早“法治国家”とは言えない。昨年12月の「特定秘密保護法案の強行採決」や今回の閣議決定等、国民の多くが反対している事柄を、“数の論理”で強行突破するというのは暴挙だ。
集団的自衛権行使を憲法解釈で可能とする事に関し、地方議会からも多くの反対の声が挙がっている。野党のみならず、政権与党に属する地方議員からの反対も多いと言う。国会議員よりも身近に国民と接している彼等だからこそ、反対する国民の多さに、声を上げざるを得ないのだろう。
其れに対して、与党の国会議員は何なのだろうか?「特定秘密保護法案の強行採決」の時もそうだが、今回も与党で反対したのは、“実質的に”村上氏だけだった様だ。「“偉大なる安倍様”に逆らえば、次の選挙では勝てない。」と擦り寄る輩だけという事ならば、国会議員なんて不要。彼等の代わりに、物も言えず動く事も出来ない案山子を議席に座らせれば良い。
「抵抗している振り」という時間稼ぎを“信者達”へのエクスキューズとし、最初から「賛成」という“出来レース”を見せ付けてくれた公明党。“乞う命党”、即ち「自民党からの“命”令を“乞う”政“党”」で」在る事が明らかだ。「国民なんかどうでも良い。与党に居続ける事の“旨味”の方が、遥かに大事。」という事なのだろう。「我々は自民党に対し、様々な歯止めを付けさせた。」と胸を張っている様だが、拡大解釈を十八番にして来た自民党にとって、曖昧な歯止めは何の縛りにも成り得ない。
閣議決定後の記者会見では、「国民の為」というフレーズを、何度も繰り返していた安倍首相。政治家が「国民の為」を連呼する時は、概して「自分の為」というケースが多い。公約には在る“不都合な事”は行わず、無かった“自分の趣味”は次々と押し通している安倍首相の場合、正に「自分の為」だと思う。
「批判を恐れずに行動に移したい。」と安倍首相は語っていたが、「国民が大反対する中、安保改定を断行した祖父・岸信介元首相。」の姿と自分を重ね合わせ、「僕って、何て格好良いんだろう。」と自己陶酔している様に見えた。彼の場合、「国民」なんぞは眼中に無く、在るのは「自尊心の充足」だけの様に思う。
「地球の裏側迄、命を懸けて自衛隊員に行って貰う様になれば、隊員は集まらない。国民や政治家は、徴兵制度を考える事迄覚悟しているのか。」と、村上氏は政権批判。「費用対効果等を考えたら、日本で徴兵制復活何て在り得ない。」と否定する人が居るけれど、自衛隊員が集まらなければ、徴兵制に踏み切らなければならないのは自明の理。第二次大戦の時も、当初は「兵役法等の規定で、旧制大学大学・旧制高等学校・旧制専門学校等の学生は26歳迄、徴兵を猶予されていた。」のに、戦況の悪化により「学徒出陣」や「“ロートル兵”の駆り出し」と済し崩しになって行った過去を知らないのだろうか?
今春、村上氏は月刊誌「世界」のインタヴューで、「憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認を目指す安倍首相の政治姿勢。」を痛烈に批判。「ナチス政権が全権委任法により、ヴァイマル憲法を形骸化させた歴史。」を引き合いにした上で、「同じ愚を繰り返す危険性が在る。」と指摘していた。又、解釈変更した上で、自衛隊法等を改正しようとしている安倍政権の方針に関し、「下位の法律によって、上位の憲法の解釈を変えるのは、絶対に遣ってはいけない『禁じ手』だ。」とも。
村上氏の主張に全く同感。或る日突然、ナチスは独裁政権を確立したのでは無く、「国民を巧妙に操り乍ら、権力を掌握して行った過程。」を、知らない人が結構居る。以前から何度も書いている様に、安倍首相の手法には、ナチスと似た部分が余りに多い。
「秘密保護法」やら「集団的自衛権」やら「原発の再稼働」やらと、国民の反対が多い事項を、次々に押し通している安倍政権。「反対が多い事項を“意図的に”次々と押し通す事で、反対の声を分散化させているのではないか?」という気すらしてしまいます。
公明党の党首が初っ端、「政権離脱は考えていない。」と言明した時点で、「自民党案に擦り寄るのは確実だな。」と思っていましたが、結局彼等がしていた事は、“信者”に対して「此れだけ抵抗しましたよ。」というエクスキューズの為の時間稼ぎだけ。
思えば、自民党が此れ程迄に傲慢で無反省な政党となってしまったのも、「どんな無茶をした所で、集票団体の公明党と組んでいたら大丈夫。」という“保険”を手にしているからでしょうね。そういう意味でも、公明党というのは負の存在に思えます。
どんな宗教を信じようが、其れは個人の自由。でも、「“上”が言ったから、盲目的に従う。」というのでは、ロボットと同じ。人間ならば、自分の頭で確りと考え、そして判断しなければいけない。信者の方々が、次回の選挙で何の様な判断を下すか、注視したいと思います。