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殺人鬼の咆哮が轟き、村人が又、祟り殺された。
岡山県津山市姫野村。人口300人にも満たない此の限界集落には、令和の現在も70余年前の呪縛を恐れていた。村人6人を惨殺した巌尾利兵衛(いわと りへえ)の呪いにより、数年に一度、村に在る鬼哭山から利兵衛の咆哮が轟き、仇為した者を殺すと言うのだ。
新型コロナ感染症でパニックに陥る最中、1人の男が東京から移住して来た事を切っ掛けに、呪いの犠牲者と思しき死者が出てしまい・・・。
想像出来ない結末が、読者を待つ本格伝奇推理。
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中山七里氏の小説「鬼の哭く里」を読了。「岡山県津山市の集落で発生した、猟奇的な大量殺人事件。」となると、少なからずの人は1938年に発生した「津山三十人殺し」を思い浮かべる事だろう。横溝正史氏の名作「八つ墓村」のモデルとなった事でも知られる、余りにも有名な事件だからだ。
「鬼の哭く里」も同じ津山市を舞台にした猟奇的な大量殺人事件で在り、「津山三十人殺し」をモデルにしている事は言う迄も無い。「鬼の哭く里」の場合は、「1948年8月14日、村で権勢を振るって“いた”巌尾利兵衛が起こした6人殺し。」という“設定”が発端となっている。大地主として代々村長を務めて来た巌尾家だったが、戦後の農地改革によって多くの土地を“奪われ”、大没落した際の当主が利兵衛。戦後を迎える迄は多くの小作人達を顎で使っていたが、大没落して以降は元小作人達に蔑まれ、挙句に詐欺に遭って窮地に追い込まれた事で、村民の大量殺人を起こす事に。「周りから馬鹿にされ、爪弾き状態に在った。」という部分等が、津山三十人殺しの犯人との共通点に感じる。
其れから長い月日が過ぎ去り、時代はコロナ禍の令和。詰まり、“現代”という設定。舞台となっている姫野村は元々閉鎖的な空間だったが、コロナ禍によって更に閉鎖度が増している。「巌尾利兵衛の事件が発生して以降も、村に在る鬼哭山から利兵衛の咆哮が轟いた時、仇為した者が殺されて来た。」という言い伝え(実際、そういう状況下で5人の人間が死んでいる。)が広く信じられている中、都会から1人の男が移り住んで来た事で、「コロナを持ち込んで来るのでは?」等、彼を無根拠に“災いの種”と決め付ける村民達。そして、鬼哭山から利兵衛の咆哮が轟いた時、新たに1人が亡くなった。そんなストーリー。
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「知識が偏って社会的常識にも疎くなった人間が最初にする行為は、部外者の排斥だ。自分たちのしている行為が正義だと思い込んでいるから、何をしても正当化できると信じている。人間っていうのは、それほど馬鹿じゃないけれど、それほど賢くもない。知っているかい。KKKやナチスの構成員は決して低能揃いでも最下層の人間でもなかった。ごく普通の市民生活を送っていた信心深い人たちだった。人間というのはね、あっと言う間にテロリストや殺戮者に変貌するのさ。」。
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閉塞感が社会を覆うと、必ずと言って良い程に、“異端な存在と見做した存在の排斥”が起こる。其処には理屈等全く存在せず、在るのは“無根拠な感情による思い込み”なのが恐ろしい。実際、コロナ禍でも、そういう事例は在ったし。
「鬼の哭く里」では、そんな人間の悲しい性がベースに在り、主人公の少年は、そういう部分を忌み嫌っている。なので、村民達から排斥され様としている“ニューカマー”と接触して、彼の力になろうとするのだが、其のスタンスが村民達に疎まれ、少年及び其の家族も“村八分状態”に追い込まれ兼ねない状況に。
「鬼哭山から利兵衛の咆哮が轟いた時、村民が亡くなる。」という点に付いては、早い段階で“其の仕組み”は解けた。だから、ニューカマー達が行おうとしている“シミュレーション”にも察しが付いた。謎解きという点では、ハッキリ言って物足り無さを感じるが、最後に亡くなった人物に関する部分では、予想外の事実が在り、非常に後味の悪さも。
総合評価は、星3つとする。