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「諦めなかった14年目の捕手 感激の初昇格に『言葉が出ない。』」(9月2日、スポニチ)
タイガース傘下のマイナーで14年目のシーズンを過ごしていた30歳の苦労人、セント・ピエール捕手が1日、初めてメジャーに昇格した。
出場したマイナーの試合は通算978試合。今季は打率3割、5本塁打、22打点の成績。球団公式サイトは「メジャーに上がる事だけを考えて野球を続けて来た。言葉が出ない。」との、同選手の感激の談話を伝えた。
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一度も“1軍”に上がる事無く、14年目で初めて昇格というのは、日本球界では一寸考えられないケースだろう。マイナー・リーグは「トリプルA」、「ダブルA」、「アドバンスドA」、「クラスA」、「ショートシーズンA」、「ルーキー・アドバンスド」、そして「ルーキー」と7段階のクラス分けがされているとの事で、日本球界に比べると抱えている“2軍以下”の選手数は多いと思われるが、其れでも「1軍経験が全く無しに、14年目を迎えられる選手」というのは希有な事だろう。(だからこそ、ニュースで取り上げられたのだろうし。)30歳の苦労人、何とかメジャーに定着して欲しいもの。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
セント・ピエール選手の様な遅咲きの選手が居る一方で、新人時代に素晴らしい結果を残す選手も居る。「新人としてこんな凄い結果を残したのだから、将来が非常に楽しみだ。」と多くの野球ファンに感じさせるも、其の期待度の高さを考えると物足りない成績で現役を終えてしまう選手も居たりする。あくまでも個人的な意見として、「新人時代の凄さを考えると、生涯成績に物足りなさを感じてしまう選手」の上位5人を挙げてみたい。尚、所属チームは入団時の物を記した。
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【新人時代の凄さを考えると、生涯成績に物足りなさを感じてしまう選手】
1位: 木田勇投手(ファイターズ)
1980年、新人として「22勝8敗4セーブ」を記録し、数多の賞を受賞した(新人王やMVP等。)時には、「途轍も無い投手が出て来たなあ。通算勝利数はどれ位になるんだろう?」と非常に期待した物。結果的には、11年間の選手生活で「60勝71敗6セーブ」。
2位: 呂明賜選手(ジャイアンツ)
フォロースルーの大きな打撃フォームで、ピンポン玉の様に打球をスタンドに放り込んだ姿が忘れられない。新人時代は1軍で79試合に出場し、「打率:.255、本塁打:16本、打点:40」を記録。「アジアの大砲」とか「怪物」と呼ばれた彼も、打撃コーチ等にフォームをあちこち弄られた事で打撃不振に陥り、“日本球界では”4年間で「打率:.260、本塁打:18本、打点:49」という結果しか残せなかった。(其の後、母国の台湾プロ野球「中華職業棒球大聯盟」に移籍し、主力打者として活躍はしたけれども。)
3位: 伊藤智仁投手(スワローズ)
新人時代の「7勝2敗」というのは「途轍も無い成績」と迄言えないけれど、14試合に登板して防御率が0.91というのは素晴らしい。そして何と言っても、あの高速スライダーは忘れられない。投球数過多から、選手生命が縮まってしまったのは本当に残念。7年間の選手生活で「37勝27敗25セーブ」。
4位: 近藤真市(ドラゴンズ)
1987年の夏、旅先で「彼がジャイアンツ打線を相手に、ノーヒットノーランを達成した試合」(動画)をTV観戦した。あの好打者・篠塚利夫(和典)選手が最後の打者だったが、見逃し三振に倒れたシーンを今でもハッキリ覚えている。「4勝5敗」と新人時代の成績自体は飛び抜けている訳では無いけれど、「プロ野球史上初の初登板&初先発ノーヒットノーラン」というのは余りにインパクトが強かった。6年間の選手生活で残した記録は「12勝17敗」。
5位: 清原和博選手(ライオンズ)
22年間の選手生活で「打率:.272、本塁打:525本、打点:1,530」を残した超一流選手の名前を挙げるのは気が引けなくも無いけれども、其れでも敢えて彼の名を挙げさせて貰う。新人時代に「打率:.304、本塁打:31本、打点:78」という物凄い記録を残した“怪物”に、自分は「王貞治選手の打撃記録を塗り替える人間が出るとしたら、彼以外に居ないのではないか?」と大きな期待を持った。其の期待度が半端無かっただけに生涯成績、特に通算本塁打数に物足りなさを感じてしまう。もっと節制していたならば、王選手の通算本塁打数は抜けなかったかにせよ、より近い数を記録していたのではないだろうか?![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_6.gif)
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「諦めなかった14年目の捕手 感激の初昇格に『言葉が出ない。』」(9月2日、スポニチ)
タイガース傘下のマイナーで14年目のシーズンを過ごしていた30歳の苦労人、セント・ピエール捕手が1日、初めてメジャーに昇格した。
出場したマイナーの試合は通算978試合。今季は打率3割、5本塁打、22打点の成績。球団公式サイトは「メジャーに上がる事だけを考えて野球を続けて来た。言葉が出ない。」との、同選手の感激の談話を伝えた。
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一度も“1軍”に上がる事無く、14年目で初めて昇格というのは、日本球界では一寸考えられないケースだろう。マイナー・リーグは「トリプルA」、「ダブルA」、「アドバンスドA」、「クラスA」、「ショートシーズンA」、「ルーキー・アドバンスド」、そして「ルーキー」と7段階のクラス分けがされているとの事で、日本球界に比べると抱えている“2軍以下”の選手数は多いと思われるが、其れでも「1軍経験が全く無しに、14年目を迎えられる選手」というのは希有な事だろう。(だからこそ、ニュースで取り上げられたのだろうし。)30歳の苦労人、何とかメジャーに定着して欲しいもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
セント・ピエール選手の様な遅咲きの選手が居る一方で、新人時代に素晴らしい結果を残す選手も居る。「新人としてこんな凄い結果を残したのだから、将来が非常に楽しみだ。」と多くの野球ファンに感じさせるも、其の期待度の高さを考えると物足りない成績で現役を終えてしまう選手も居たりする。あくまでも個人的な意見として、「新人時代の凄さを考えると、生涯成績に物足りなさを感じてしまう選手」の上位5人を挙げてみたい。尚、所属チームは入団時の物を記した。
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【新人時代の凄さを考えると、生涯成績に物足りなさを感じてしまう選手】
1位: 木田勇投手(ファイターズ)
1980年、新人として「22勝8敗4セーブ」を記録し、数多の賞を受賞した(新人王やMVP等。)時には、「途轍も無い投手が出て来たなあ。通算勝利数はどれ位になるんだろう?」と非常に期待した物。結果的には、11年間の選手生活で「60勝71敗6セーブ」。
2位: 呂明賜選手(ジャイアンツ)
フォロースルーの大きな打撃フォームで、ピンポン玉の様に打球をスタンドに放り込んだ姿が忘れられない。新人時代は1軍で79試合に出場し、「打率:.255、本塁打:16本、打点:40」を記録。「アジアの大砲」とか「怪物」と呼ばれた彼も、打撃コーチ等にフォームをあちこち弄られた事で打撃不振に陥り、“日本球界では”4年間で「打率:.260、本塁打:18本、打点:49」という結果しか残せなかった。(其の後、母国の台湾プロ野球「中華職業棒球大聯盟」に移籍し、主力打者として活躍はしたけれども。)
3位: 伊藤智仁投手(スワローズ)
新人時代の「7勝2敗」というのは「途轍も無い成績」と迄言えないけれど、14試合に登板して防御率が0.91というのは素晴らしい。そして何と言っても、あの高速スライダーは忘れられない。投球数過多から、選手生命が縮まってしまったのは本当に残念。7年間の選手生活で「37勝27敗25セーブ」。
4位: 近藤真市(ドラゴンズ)
1987年の夏、旅先で「彼がジャイアンツ打線を相手に、ノーヒットノーランを達成した試合」(動画)をTV観戦した。あの好打者・篠塚利夫(和典)選手が最後の打者だったが、見逃し三振に倒れたシーンを今でもハッキリ覚えている。「4勝5敗」と新人時代の成績自体は飛び抜けている訳では無いけれど、「プロ野球史上初の初登板&初先発ノーヒットノーラン」というのは余りにインパクトが強かった。6年間の選手生活で残した記録は「12勝17敗」。
5位: 清原和博選手(ライオンズ)
22年間の選手生活で「打率:.272、本塁打:525本、打点:1,530」を残した超一流選手の名前を挙げるのは気が引けなくも無いけれども、其れでも敢えて彼の名を挙げさせて貰う。新人時代に「打率:.304、本塁打:31本、打点:78」という物凄い記録を残した“怪物”に、自分は「王貞治選手の打撃記録を塗り替える人間が出るとしたら、彼以外に居ないのではないか?」と大きな期待を持った。其の期待度が半端無かっただけに生涯成績、特に通算本塁打数に物足りなさを感じてしまう。もっと節制していたならば、王選手の通算本塁打数は抜けなかったかにせよ、より近い数を記録していたのではないだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_6.gif)
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この選手を思い出しました(URL)
選手の年俸が今に比べて安かったので
案外こういう選手が生き残れたようです。
広島の嶋選手が整理対象になったとき
「まあ給料がやすいから、もうちょっと置いてみよう」となりその後チャンスをつかんだんだとか。
給料が高くなることが幸せとは限らないようです・・
「入団から7年目に1軍初昇格」というのも然る事乍ら、「其れから2軍生活を送り続け、1軍にレギュラー定着出来たのが更に8年後。」というのは驚きです。ドラフト上位指名選手ならばチームも「何とか元(高い契約金等)を取り返さないと。」という思いから或る程度長い期間契約をするだろうけれど、ドラフト外の選手と此れ程迄長く契約し続けたというのは、年俸が安いという事も在りましょうが、矢張り其れだけ光る物が在ったという事なのでしょう。
ドラフト上選手ですら、数年で見切りを付けてしまうジャイアンツ。育成選手制度は良い制度だとは思うのですが、此の制度導入以降、少なからずのチームが「支配下選手の見切り」を早める傾向に在る様なのが残念では在ります。