モルガン銀行東京支店長等を経て、現在は参議院議員を務めている藤巻健史氏は、週刊朝日上で「虎穴に入らずんばフジマキに聞け」というコラムを連載している。7月25日号は「経済を沈滞させる相続・贈与税」というタイトルで、相続税&贈与税に付いて触れており、其の内容が非常に興味深い物だったので、抜粋してみる。
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「経済を沈滞させる相続・贈与税」
(前略)
先日、講演日2日前に代打を頼まれた。「お、頼りにされているな。」とデレーと鼻の下を伸ばした。唯、演題が「相続税」で、今迄に話した事が無いトピックだったから原稿作りには苦戦した。
来年からの相続税の重税化の為、此の手のセミナーは大人気だそうだ。特に1日に公表された路線価(相続税等の計算の基準となる地価)は、都市部での上昇傾向が鮮明になった為、更なる関心を集めそうだ。
日本は、世界の潮流と逆方向に相続税を重税化しつつ在る数少ない国だ。多くの国は相続税を無くそうとしているし、ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、シンガポール、香港等、既に無い国も多い。社会主義国家の中国でさえ無い。米国は2010年に一時廃止したが復活させた。と言っても、非課税枠が約5億円、配偶者と子供2人だと、約10億円迄が非課税だ。
オーストラリアの重鎮に、「何故、彼の国には無いのか?」と聞いた所、「一度自分の物にした物を取り上げる事程、酷な事は無い。」、「親が亡くなる時は、非常に哀しい。そんな時に、御金迄取り上げるのは酷で在る。」と仰った。
多くの国では相続税が無い、又は減税している。其れは、二重課税を避ける為かもしれないし、財産が分割される事によって美しい街並みが崩れるのを避ける為かもしれない。若しくは働き盛りの人々が相続税対策に無駄な時間を割くのを回避する為かもしれない。将又、資本主義国家にとっては、社会主義を代表する様な此の税に抵抗感が在る所為かもしれない。
世界の国々は「経済を不活発にする贈与税」を無くしたいが故に、相続税の廃止・減税に向かっていると、私自身は思っている。此の点に関しては、財政金融委員会でも質問した。贈与税が在れば、親が子供に財産を気軽に移せない。親の資産援助を受けなければ、財力の弱い子供は家を建てられないし、車も買えない。経済が沈滞してしまうのだ。
贈与税の廃止は極めて強力な経済対策だと思うのだが、相続税が在る限り、贈与税の廃止は出来ない。贈与税は、相続税逃れを防止する為の税だからだ。
「べき論」は兎も角として、私は、可成り前から子供達に贈与を行い、子供達は多額の贈与税を払っている事を講演会では話した。義理の父が亡くなったのはバブルのピークで、路線価が前年より80%も上昇していた。義父が交通事故で亡くなったのは1月20日。20日前に亡くなったのと比べて、相続税額が急騰したのを知って、可成りショックを受けた。そして最大限の延納をしたが、其れでも苦しい思いをした。
相続税率の改正は、インフレのスピードに追い付かないのだ。日本の財政事情から可成りのインフレを予想している私は、其のショックを子供達に味わわせたく無い。だから早め早めの贈与で、財産を渡している。
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不勉強な身故、「相続税」は何処の国にも存在していると思い込んでいた。厳密に言えば、「社会主義国家以外では何処の国でも」と。だから、ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、シンガポール、香港等で相続税が存在せず、アメリカでも相続税が課せられるのは極めて限られた人達というのは、意外な事実だった。此方を見ると、他にも相続税が存在しない国は在る様だ。
「贈与税や相続税が、経済を不活発にさせている。」という藤巻氏の指摘、一面では正しいのかもしれないが、「此れ等の税を無くす事で、“一部の層”が脈々と巨額の資産を独占し、曳いては格差社会を更に拡大化させ、より経済が不活発化してしまう。」という面も在ると思う。なので、贈与税や相続税を完全廃止してしまうのは反対。
とは言え、今年初めの記事でも記した様に、「来年1月1日から『贈与税及び相続税の制度』が大きく変わり、変更後は課税対象者が大幅に増える。」というのも問題。かすかすの資産しか無くても、相続税や贈与税で金銭を搾り取られる一方、「政治家達は、“実質的な脱税”が出来てしまう環境。」を残した儘というのでは、余りに不公平だ。
“実質的な脱税”が出来ない様にした上で、贈与税及び相続税の課税対象額を上げるのが適当と思うのだが・・・。
持たざる者のやっかみ半分で言えば、親が持つ者だからといって濡れ手に粟で財産を丸々受け継ぐ
なんて、giants-55さんも指摘のとおり格差を固定化するようなもの。決して経済の活性化にはなりえないと思います。
格差が小さいからこそ競争して勝とうという活力も生まれてくるというもの。格差が決定的に広がれば競争心より諦め、白けが蔓延し活力は生まれないと思いますが。
資産家の親から受け継ぐのは、親(家系?)の優秀な遺伝子と、恵まれた教育環境だけでも十分だと思っています。遺伝子に相続税はかけられないし(笑)。
「黒子のバスケ脅迫事件」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%AD%90%E3%81%AE%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%B1%E8%84%85%E8%BF%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6)で逮捕された人物が、「自分は、“無敵の人”で在る。」と語ったとか。格差社会が著しくなった事で、“持たざる者”となった人間は、社会の底辺から抜け出せる術を持たず、一生“光”の見えない状態で居なければならなくなり、逆に“持てる者”は益々反映して行く世の中。“家族”や“仕事”等、失う物が無くなった事で、「何をしても、此れ以上悪い状態には成り得ない。」という開き直りが、世の中に“無敵の人”を増産しているとしたら・・・。
「格差が決定的に広がれば、競争心より諦め、白けが蔓延し、活力は生まれない。」と悠々遊様は書かれていますが、言い得ていると思います。そういう状態により、“無敵の人”で溢れた社会は、とても幸福とは思えない。