*****************************************
「潜在的国民負担52.3%=財政悪化で高水準に-10年度」(2月10日、時事通信)
財務省は10日、国民所得に占める税と社会保障負担の割合を示す国民負担率に、国と地方の財政赤字を加えた「潜在的国民負担率」が2010年度は52.3%になる見通しだと発表した。過去最悪となる2009年度補正後(実績見込み)の54%に次ぐ水準。少子高齢化に伴う社会保障費の増加に加え、景気悪化に伴う税収の大幅減で財政悪化が進む為で、将来の国民負担の急増が懸念される。
国民負担率は2009年度補正後比0.2%増の39%と過去3番目の水準。この内、社会保障負担率は同0.5%増の17.5%と過去最高となる。年金保険料の段階的引き上げや中小企業のサラリーマンが加入する全国健康保険協会管掌健康保険(協会けんぽ)の保険料引き上げ等が主な要因。一方、国税と地方税を合わせた租税負担率は景気悪化による課税収入の減少で、同0.3%減の21.5%と3年連続で低下する。
*****************************************
野党時代、与党で在る自民党所属議員の汚職疑惑が取り沙汰される度、「直ちに議員辞職せよ!」と声高に叫んでいた民主党。それに対して「裁判で最終判決が出てもいないのに、『黒だ!』と指摘するのは如何なものか?議員は自身でその進退を決すべきで、他者が議員辞職を迫るのはどうかと思う。」と突っ撥ねていた自民党。それが与野党逆転した瞬間に、”御互い”がそれ迄批判していた筈の“相手の手法”に転じているというのは一体何なのだろうか?与野党共に党利党略が透けて見え、国民不在も極まれりといった感じが在る。
「潜在的国民負担率が52.3%になる見通し。」という事で、少なからずの国民が苦しい生活を強いらている現状。その先に少しでも明るい未来が待っているならば救いが在るけれど、与野党が党利党略を最優先している様な状況ではそれも期待薄。多くの国民は決して「薔薇色の未来」なんて高望みはしておらず、必死で働いた者が安心して生活出来る状況、即ち「現状よりは少しでも明るい未来」を望んでいるだけではないかと思う。
国税局に10年間勤務していた大村大次郎氏の著書「無税生活」を現在読んでいる所だが、「サラリーマンに課せられる税金や社会保障費が、他の職種の人達と比べると如何に酷い在り様なのか。」が再認識させられる。「国家の根幹を成す税金や社会保障費は、きちんと支払わなければいけない。」という思いは変わらないけれど、それにしてもこれ程迄にアンバランスだと、まともに支払うのがアホらしく感じてしまうのも事実だ。読み応えの在る本なので、興味を持たれた方は是非読んで欲しい。
「潜在的国民負担52.3%=財政悪化で高水準に-10年度」(2月10日、時事通信)
財務省は10日、国民所得に占める税と社会保障負担の割合を示す国民負担率に、国と地方の財政赤字を加えた「潜在的国民負担率」が2010年度は52.3%になる見通しだと発表した。過去最悪となる2009年度補正後(実績見込み)の54%に次ぐ水準。少子高齢化に伴う社会保障費の増加に加え、景気悪化に伴う税収の大幅減で財政悪化が進む為で、将来の国民負担の急増が懸念される。
国民負担率は2009年度補正後比0.2%増の39%と過去3番目の水準。この内、社会保障負担率は同0.5%増の17.5%と過去最高となる。年金保険料の段階的引き上げや中小企業のサラリーマンが加入する全国健康保険協会管掌健康保険(協会けんぽ)の保険料引き上げ等が主な要因。一方、国税と地方税を合わせた租税負担率は景気悪化による課税収入の減少で、同0.3%減の21.5%と3年連続で低下する。
*****************************************
野党時代、与党で在る自民党所属議員の汚職疑惑が取り沙汰される度、「直ちに議員辞職せよ!」と声高に叫んでいた民主党。それに対して「裁判で最終判決が出てもいないのに、『黒だ!』と指摘するのは如何なものか?議員は自身でその進退を決すべきで、他者が議員辞職を迫るのはどうかと思う。」と突っ撥ねていた自民党。それが与野党逆転した瞬間に、”御互い”がそれ迄批判していた筈の“相手の手法”に転じているというのは一体何なのだろうか?与野党共に党利党略が透けて見え、国民不在も極まれりといった感じが在る。

「潜在的国民負担率が52.3%になる見通し。」という事で、少なからずの国民が苦しい生活を強いらている現状。その先に少しでも明るい未来が待っているならば救いが在るけれど、与野党が党利党略を最優先している様な状況ではそれも期待薄。多くの国民は決して「薔薇色の未来」なんて高望みはしておらず、必死で働いた者が安心して生活出来る状況、即ち「現状よりは少しでも明るい未来」を望んでいるだけではないかと思う。
国税局に10年間勤務していた大村大次郎氏の著書「無税生活」を現在読んでいる所だが、「サラリーマンに課せられる税金や社会保障費が、他の職種の人達と比べると如何に酷い在り様なのか。」が再認識させられる。「国家の根幹を成す税金や社会保障費は、きちんと支払わなければいけない。」という思いは変わらないけれど、それにしてもこれ程迄にアンバランスだと、まともに支払うのがアホらしく感じてしまうのも事実だ。読み応えの在る本なので、興味を持たれた方は是非読んで欲しい。

いやいや減ってないから羨ましいと言われる次第です。早急な税金の無駄使いを徹底に削減してほしいものです。まあしないんでしょうけど・・・
「働けど、働けど、我が暮らし楽にならざり。じっと手を見る。」とは石川啄木の有名な歌ですが、今同じ思いをしている人は多いでしょうね。手取りが減ってはいないiorin様ならば、もしかしたら御友人達は(やはり啄木の歌)「友が皆、我より偉く見ゆる日よ。花を買ひ来て、妻と親しむ。」とiorin様の事を思っておられるかも。
冗談は抜きにして、与野党を問わず「国民の為」を連呼する政治家達が、自身の身を切る(「定数の大幅削減」や「政治団体を経由する事での実質的な相続税の“脱税”禁止」等。)を行おうとする素振りさえ見せない不思議さ。彼等には「国民を真に救いたい。」という思いを持って欲しいし、国民の側もやれ「右巻き」だ「左巻き」だ「売国奴」だという“言葉遊び”に明け暮れるのでは無く、少しでも真っ当な政治家を選ばないといけないでしょうね。詩歌の世界での言葉遊びならば風流ですが、実社会での言葉遊びは不毛なだけですから。
十把一絡げ的に「弱者」とされている人の中には、勿論「自堕落なだけの人」も居るでしょう。ですから弱者と称されている人に全て救いの手を差し伸べるというのも、個人的には違うと思っています。国民の多くが貧困に苦しんでいるとされるハイチでも、他国から多くの救いの手が差し伸べられる事で、「働かなくても救いの手が伸びる。」と“依存体質”の国民が増えて来ているのが問題化しつつ在るという話も在りますし。「絶対的に救わなければならない人は救い、そうで無い人には厳しい態度で臨む。」というのなら判るのですが、ネット上等では余りに両極端な意見ばかりが目立ち、辟易とさせられます。
「これだけ経済が疲弊してしまったから。」という訳では無く、“そもそも論”として宗教団体に「適切な範囲での増税」を課す段階に来ている様に思います。その根幹が「民の救済」の筈の宗教団体なら、間違い無く賛成するに違いないし。