
CSのTBSチャンネルでは今月、見たかったドラマが2つ再放送される。1つは「ディープなファンが結構居る。」と言われている「青が散る」(動画)。大好きな松田聖子さんの「蒼いフォトグラフ」(動画)が主題歌になっているという事で見始めたドラマだったけれど、「ふぞろの林檎たち」(動画)と似ている様で異なる青春群像が描かれていて、徐々にドラマの世界へと魅せられて行った。挿入歌「人間の駱駝」(曲)も忘れ難い。
そしてもう一つは、当ブログで名作として何度か触れている「熱い嵐」。“達磨宰相”と国民に親しまれるも、2・26事件で凶弾に斃れた高橋是清首相の生涯を描いた作品だ。「波乱万丈」という表現が正に当て嵌まる彼の生涯を、名優・森繁久彌氏が最高の演技力で魅せてくれる。
「青が散る」は25日(木)から、そして「熱い嵐」は21日(日)の再放送。マンネリ化して詰らない番組ばかりが並ぶ地上波放送にはウンザリで、且つTBSチャンネルを視聴出来る方に御薦めの番組。
「見たかったドラマ」と言えば時代劇専門チャンネルでは昨日から、大河ドラマ「草燃える」の再放送が始まった。源氏三代の興亡を描いたこのドラマは、ずっと「幻の作品」とも言われて来た。と言うのも、何年か前迄はNHKに通常放送回の放送用ビデオテープは1本も残っておらず、唯一残っていたのは総集編だけだったから。しかし、その後になってNHK関係者や一般視聴者から家庭用VTRで録画された映像が提供され、2009年11月時点には全51話の内33話分が確保。そしてNHKが公式サイトで「残り18話の映像を保管している人が居たら、名乗り出て欲しい。」との呼び掛けを行った所、全てが揃ったという経緯が在る。(詳しくはこちらに載っている。)幻の作品が、今回一挙再放送と相成った訳だ。
昔は放送用ビデオテープが非常に高価で、放送し終えたビデオテープを再度使用していたらしい。重ね撮り、即ち新しい映像を“上書き”していたそうで、古い映像はその段階で消滅してしまう。そして上書きし尽くしたビデオテープは、保管されずに廃棄されていたと。黎明期のTV局には「放送文化を守る。」という概念が薄かったとも言えるが、こうして過去の名作の多くが消滅してしまったのは残念な話。家庭用VTRは発売されていなかったか、発売されていても非常に高価だった事も在り、映像を家庭で録画していた人も少なかったと言える。
で、昨日放送された「草燃える」の第一話。録画したのを先程見終えたのだが、「NHKにも総集編しか残っていなかった作品。」というのが頭にこびりついていたので、「とんでもなく古い番組で、出演されていた人々の多くが物故者なのだろうなあ。」と思っていたのだが、出演者の多くが現在も第一線で活躍されている事実にびっくり。改めて放送された年を確認すると、31年前の1979年。大昔と言えるが、出演者の顔触れを見ると「そう昔にも感じられない。」という不思議な感覚だった。
一般視聴者からの映像提供が少なからず在ったとすれば、1979年当時の家庭用VTRはそこそこ普及していたのかもしれない。「我が家の場合はどうだったかなあ?」と記憶を手繰ったが、1978年から放送開始となった「ザ・ベストテン」(動画)を“途中から”録画していた事を考えると、在ったか否かは微妙な所だ。
唯、家庭用VTRで明確に覚えているのは、「我が家に導入された家電製品の中で、一番最初に衝撃を受けた物。」という事。(物心が付いた頃にはカラーテレビが家に在った様に思うし、だからそれを見て驚くという事は無かった。)それ迄は「見たい番組は生で見ないと、再放送されない限り一生見られない。」が“常識”だったのに、「録画しておければ、後で何回も見られる。」というのは、エポックメーキングな事だった。
そしてもう一つは、当ブログで名作として何度か触れている「熱い嵐」。“達磨宰相”と国民に親しまれるも、2・26事件で凶弾に斃れた高橋是清首相の生涯を描いた作品だ。「波乱万丈」という表現が正に当て嵌まる彼の生涯を、名優・森繁久彌氏が最高の演技力で魅せてくれる。
「青が散る」は25日(木)から、そして「熱い嵐」は21日(日)の再放送。マンネリ化して詰らない番組ばかりが並ぶ地上波放送にはウンザリで、且つTBSチャンネルを視聴出来る方に御薦めの番組。
「見たかったドラマ」と言えば時代劇専門チャンネルでは昨日から、大河ドラマ「草燃える」の再放送が始まった。源氏三代の興亡を描いたこのドラマは、ずっと「幻の作品」とも言われて来た。と言うのも、何年か前迄はNHKに通常放送回の放送用ビデオテープは1本も残っておらず、唯一残っていたのは総集編だけだったから。しかし、その後になってNHK関係者や一般視聴者から家庭用VTRで録画された映像が提供され、2009年11月時点には全51話の内33話分が確保。そしてNHKが公式サイトで「残り18話の映像を保管している人が居たら、名乗り出て欲しい。」との呼び掛けを行った所、全てが揃ったという経緯が在る。(詳しくはこちらに載っている。)幻の作品が、今回一挙再放送と相成った訳だ。

昔は放送用ビデオテープが非常に高価で、放送し終えたビデオテープを再度使用していたらしい。重ね撮り、即ち新しい映像を“上書き”していたそうで、古い映像はその段階で消滅してしまう。そして上書きし尽くしたビデオテープは、保管されずに廃棄されていたと。黎明期のTV局には「放送文化を守る。」という概念が薄かったとも言えるが、こうして過去の名作の多くが消滅してしまったのは残念な話。家庭用VTRは発売されていなかったか、発売されていても非常に高価だった事も在り、映像を家庭で録画していた人も少なかったと言える。
で、昨日放送された「草燃える」の第一話。録画したのを先程見終えたのだが、「NHKにも総集編しか残っていなかった作品。」というのが頭にこびりついていたので、「とんでもなく古い番組で、出演されていた人々の多くが物故者なのだろうなあ。」と思っていたのだが、出演者の多くが現在も第一線で活躍されている事実にびっくり。改めて放送された年を確認すると、31年前の1979年。大昔と言えるが、出演者の顔触れを見ると「そう昔にも感じられない。」という不思議な感覚だった。

一般視聴者からの映像提供が少なからず在ったとすれば、1979年当時の家庭用VTRはそこそこ普及していたのかもしれない。「我が家の場合はどうだったかなあ?」と記憶を手繰ったが、1978年から放送開始となった「ザ・ベストテン」(動画)を“途中から”録画していた事を考えると、在ったか否かは微妙な所だ。
唯、家庭用VTRで明確に覚えているのは、「我が家に導入された家電製品の中で、一番最初に衝撃を受けた物。」という事。(物心が付いた頃にはカラーテレビが家に在った様に思うし、だからそれを見て驚くという事は無かった。)それ迄は「見たい番組は生で見ないと、再放送されない限り一生見られない。」が“常識”だったのに、「録画しておければ、後で何回も見られる。」というのは、エポックメーキングな事だった。

勤めだした頃でした。
ボーナスの一部を突っ込んで
hifiのを買いました。
たしか7~8万した記憶が・・・
それが今やVTR自体も絶滅の危機
しかしキャンプ取材に来ていたTVクルーは
相変わらず(家庭用はほぼ絶滅の)
ベータを使っていたようでしたが。
子供の頃TVドラマを見ていて不思議に思った事の一つに、「画質がクリアな場合と、“紗が掛かった”様場合が在るのは何故なんだろう?」と事。判り易く言えば、「昔の水戸黄門」(紗が掛ったヴァージョン。)と「今の水戸黄門」(画質がクリアなヴァージョン。)という違い。それがフィルムで撮ったのとビデオテープで撮ったのとの違いで在る事を知ったのは、大人になってからでした。
家電製品の流行り廃りのスピード、年を経る毎に早まっている感じがしますね。子供の頃は新しい技術を用いた製品が出てから、10数年はそれが主流の座から落ちなかったけれど、今は下手をすると数年で変わってしまう事が在る。「レコードが主流だった時代→CDが主流だった時代→MDが主流だった時代→iPodが主流の時代」という変遷を思い浮かべると、それを強く感じます。
でもTVクルーでは、未だβテープを使用しているんですね。今やレンタルビデオ・ショップでも見掛けないというのに・・・。
自分もまああの当時は好きだったけど、ああいう青春ドラマ今見ると結構気恥ずかしい。
逆に当時見なかった大人向けのドラマは楽しく見たりします。
>VTR
昔、ラジカセをテレビの前において録音したりしましたよね^^;。家族の誰かが茶々入れて妨害しようとして、自分が怒ってる声が入っていたりする^^;
http://www.youtube.com/watch?v=2V0hruTwL2A
↑
こんな商品も
>TVクルー
ビックリ!
あの当時は、「ふぞろいの林檎たち」テーストのドラマが結構流行りましたね。心にもやもやを抱え葛藤しつつ、友情は大事にする青春群像といった感じの。
昔夢中になって見ていたドラマを、かなり振りに再放送で見ると、昔とは違った印象を得てしまうというのは良く在る事。当時と今とでは自分自身も大きく変化して来ているし、その事での差異が生じるという事なのでしょうが、「自身の中の“熱さ”が減っている。」様にも感じられて、一寸寂しく思ったりも。
そうそう、昔はテレビとテープレコーダーを接続するコードが無かった(在ったのかもしれないけれど。)ので、テレビの真ん前に“テレコ”を置いて、家族に「今から録音するから、絶対に音を出さないでよ!」と念を押してから録音スイッチを押していたもの。でも大概、誰かがくしゃみしたりと物音を出してしまい、「もー!!!」と怒り狂っていましたね。
「カセットテレコ付きカラーテレビ」というのは初めて知りましたが、当時としては斬新な家電だったのでしょうね。1980年代前半だったか、必死で貯めた御年玉や小遣いを元に「ラテカセ」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%AB%E3%82%BB)を購入した事が。かなりハイテクに思ったものですが、かなり使い倒した揚句、6年程で壊れてしまったっけ・・・。
レーザーディスクと言えば、社会人になって最初に貰ったボーナスで、何をとち狂ったか「レーザーディスク・カラオケ・セット」を購入しました。75cm角程の馬鹿でかい物で、当時激安価格として8万円程だった様に記憶しています。親へのプレゼント、そしてこのカラオケ・セットを購入し、残った僅かな御金を貯金。
カラオケ用のLDも数枚購入し、友人等を呼んでカラオケ大会を開催したりもしましたが、2年程で飽きてしまい、それからは全く使わず仕舞い。6、7年前にLDを全て売却処分しましたが、肝心のカラオケ・セットは処分する機会を逸したまま、巨大なゴミとして我が家に残っています。