昨日、鳩山由紀夫首相が辞任の意向を表明したが、個人的には「矢張りなあ・・・。」という思いが。と言うのも、一昨日の夕方に小沢一郎幹事長及び輿石東参議院議員会長との会談を終えた鳩山首相に対して記者が「総理、続投ですか?」と尋ねた所、薄っすらと笑顔を浮かべて親指を突き立てるポーズを鳩山首相が取ったからだ。マスメディアの多くはこの件に関して「続投への強い意気込みを表したものだ。」と分析していたけれど、鳩山首相のこれ迄の言動を鑑みると「辞める意思を固めたのではないかなあ。」と感じたので。
自身の辞任と共に、「陸山会の政治資金収支報告書に関する虚偽・不記載疑惑」を有する小沢幹事長には幹事長職の辞任を、そして「公職選挙法違反や政治資金規正法違反」で起訴された小林千代美衆議院議員には議員辞職を求めた鳩山首相。「政治と金」の問題が国民の憤りを買っている以上、問題となっている3人が“退く”事で民主党の生まれ変わりをアピールしたいのだろうが、それを国民がどう判断するか興味深い所では在る。
私見で言えば、鳩山首相には辞めて欲しくなかった。これは「鳩山首相の姿勢を支持しているから。」という理由からでは無く、野党時代の民主党が当時の与党だった自民党に対して「『低支持率に陥った首相を担いでは選挙に勝てない。』という理由から、首相の首を挿げ替えるのは国民を馬鹿にしている。」等と散々批判していたから。*1そう言っていた以上は、少なくとも今夏の参院選は鳩山内閣の下で国民の信を問うべきで、その結果として民主党が大惨敗を喫したら、責任を取って辞任するというのが筋ではないだろうか。
民主党政権が誕生して以降、評価すべき点が無かった訳では無い。以前の記事でも書いたけれど、事業仕訳けの実施により、予算という物に対する国民の意識を高めたと思うし、「封印され続けて来た情報の開示」や「記者クラブの開放」も自民党政権下では先ず出来なかった事(と言うよりも、「それ等をしなければいけない。」という発想すら出て来なかったと思う。)だろう。又、“幾つかの問題点は在るけれど”、「国家の未来を担う子供達を、国家として“或る程度”支援する。」という考えからの「高校無償化や子ども手当の実施」も、個人的には評価。「普天間基地代替施設移設問題」に関する政府の迷走振りは酷かったけれど、それ迄の政権が「基地問題」を実質的に放置しっ放しだった事を考えると、「沖縄県民の長年に亘る苦しみを、多くの国民に認識させた。」という点に於いて“のみ”は意味が在ったと言えるのかもしれない。*2
自身の辞任と共に、「陸山会の政治資金収支報告書に関する虚偽・不記載疑惑」を有する小沢幹事長には幹事長職の辞任を、そして「公職選挙法違反や政治資金規正法違反」で起訴された小林千代美衆議院議員には議員辞職を求めた鳩山首相。「政治と金」の問題が国民の憤りを買っている以上、問題となっている3人が“退く”事で民主党の生まれ変わりをアピールしたいのだろうが、それを国民がどう判断するか興味深い所では在る。
私見で言えば、鳩山首相には辞めて欲しくなかった。これは「鳩山首相の姿勢を支持しているから。」という理由からでは無く、野党時代の民主党が当時の与党だった自民党に対して「『低支持率に陥った首相を担いでは選挙に勝てない。』という理由から、首相の首を挿げ替えるのは国民を馬鹿にしている。」等と散々批判していたから。*1そう言っていた以上は、少なくとも今夏の参院選は鳩山内閣の下で国民の信を問うべきで、その結果として民主党が大惨敗を喫したら、責任を取って辞任するというのが筋ではないだろうか。
民主党政権が誕生して以降、評価すべき点が無かった訳では無い。以前の記事でも書いたけれど、事業仕訳けの実施により、予算という物に対する国民の意識を高めたと思うし、「封印され続けて来た情報の開示」や「記者クラブの開放」も自民党政権下では先ず出来なかった事(と言うよりも、「それ等をしなければいけない。」という発想すら出て来なかったと思う。)だろう。又、“幾つかの問題点は在るけれど”、「国家の未来を担う子供達を、国家として“或る程度”支援する。」という考えからの「高校無償化や子ども手当の実施」も、個人的には評価。「普天間基地代替施設移設問題」に関する政府の迷走振りは酷かったけれど、それ迄の政権が「基地問題」を実質的に放置しっ放しだった事を考えると、「沖縄県民の長年に亘る苦しみを、多くの国民に認識させた。」という点に於いて“のみ”は意味が在ったと言えるのかもしれない。*2