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ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

さらば阿部四郎

2017年04月26日 | スポーツ関連

女性解放運動家平塚らいてうさんが雑誌「青鞜」を発刊した際、自らが寄せた文章の表題原始、女性は太陽であった」。此の表現に倣うならば、「嘗てプロレスは男の世界だった。」と言える。誤解を招くといけないので、正確に表現すると、「嘗て男子プロレスは、女性が『自分は、プロレスのファン。』と言い出し難い雰囲気が在り、プロレス会場は男性許りの状況だった。」と思う。

 

然し、1976年に女子プロレスビューティ・ペアが登場し、爆発的な人気を博すると、場内は熱狂的な女性ファンで溢れ返る。1984年にクラッシュギャルズが登場すると、女子プロレスの人気は最高潮を迎え、「女性のプロレス・ファンは、決して珍しく無い。」というコモンセンスが出来上がった。イケメン・レスラーの登場も在り、今や男子プロレスの世界でも、多くの女性ファンが存在している。

 

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「『極悪レフェリー阿部四郎さん死去 女子プロレス」(4月25日、朝日新聞

 

「極悪レフェリー」として女子プロレスの人気を支えた阿部四郎さんが、25日午前、肺炎で亡くなった。76歳だった。プロレス団体のゼロワンが発表した。

 

ライオネス飛鳥長与千種の「クラッシュギャルズ」と、ダンプ松本率いる極悪同盟」が熱戦を繰り広げていた1980年代。阿部さんは「極悪同盟」に優位な判定をして、有名になった。

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以前にも書いたが、昔はプロレスを夢中になって見ていた。男子プロレスに関して言えば、アブドーラ・ザ・ブッチャー氏やタイガー・ジェット・シン氏等が全盛の頃、女子プロレスではビューティ・ペアに始まり、クラッシュ・ギャルズや極悪同盟等がリング賑わせていた頃迄。

 

女子プロレスの思い出に付いては、12年前の記事「さらば、“全女”!」に詳しく書いた。ビューティ・ペアやクラッシュ・ギャルズ、極悪同盟等のプロレスラーもそうだが、“極悪レフェリー”として名を馳せた阿部四郎氏は、自分にとって忘れられない存在で、過去に「阿部四郎リターンズ」及び「第二の阿部四郎!?」と、彼の名前を冠した記事を書いた程。

 

プロレスの世界では善玉役を“ベビーフェイス”、悪役を“ヒール”と呼んだりするが、ベビーフェイスのクラッシュギャルズがヒールの極悪同盟をピンフォールしても、非常にゆっくりとカウントし、其の逆だと非常に早くカウントする。」等、露骨にヒール贔屓な判定をするのが阿部四郎スタンダードだったが、何とも憎めないコミカルさを見せる人でも在った。

 

全日本女子プロレス所属の人”とずっと思っていたので、「スナック等を営業する傍らプロモーターとして全日本女子プロレスの興行に関わっていた。」という事を知った際には、「レフェリーが本業では無かったのか。」と驚いたもの。

 

ダンプ松本さんが自身のブログで書かれた記事によると、「阿部氏は3度目の脳梗塞で倒れ、入院している中での死だった。」と言う。以前に脳梗塞で倒れ、復活された事は知っていたが、3度もというのは初めて知った。76歳の死は早過ぎる。

 

さらば阿部四郎!合掌


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