題材として、当ブログでしばしば使わせて貰っている「gooランキング」。今回は、「良い年して未だに判らなくなる事ランキング」というのが面白かったので、使わせて貰う事にした。
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1位: 星座の並び(564票)
2位: 東西南北(464票)
4位: 計量単位(331票)
5位: 干支の順番(330票)
6位: 右と左(147票)
7位: 各月の日数(135票)
8位: 時間の計算(117票)
9位: 早生まれ(100票)
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ランキングを見て、「未だに判らなくなる事」という意味合いが、最初は良く判らなかった。2位の「東西南北」を例に挙げると、「『東西南北』という“方向の配置”が判らなくなる。(北が上とした場合、残りの方向が“下左右”の何方に在るのか判らなくなる。)」のか、それとも「今居る場所から目指す方向が、東西南北の何方に在るのか判らなくなる。」のかで、話が全く異なって来るので。どうやら今回の場合は、後者を指す様だ。即ち、「方向感覚の有無」。
1位の「星座の並び」は「全ての星座の配置」(天文学に御詳しい悠々遊様ならば、楽々と諳んじる事が出来るだろうが。)というのでは無く、西洋占星術に用いられる所謂「黄道十二星座の並び」を意味している。
3位の「年号と西暦」は「其れ其れの置き換え」(「昭和20年は、西暦何年に当たるのか?」等。)、4位の「計量単位」は「他の計量単位への置き換え」(「1リットルは、何ccに当たるのか?」等。)、8位の「時間の計算」は「他の時間単位への置き換え」(「0.2時間は、何分に当たるのか?」等。)を意味しているのだろう。
一番判らなかったのは6位の「右と左」だが、此れは恐らく「上座と下座」の様に、「右と左、何方に偉い人を座らせたら良いのか?」といった「マナーに関する知識」の事ではなかろうか。
そういった考え方で見て行くと、自分の場合は「星座の並び」、「東西南北」(恥ずかしい程の方向音痴。)、「計量単位」、「早生まれ」が当該する。「年号と西暦」及び「右と左」に関しては、100%の自信が在る訳では無いが、まあまあ何とか判る。其の他に関しては(理解しているという)自信が在り、「各月の日数」なんぞは「『西向く侍(にしむくさむらい)』というフレーズを覚えれば、判らなくなる事も無いだろうに。」と思ってしまう。
・・・と偉そうな事を書いたが、10位迄には入っていない事柄で、「良い年して、未だに判らなくなる事。」が結構在ったりする。地理が大の苦手なので、「世界の国の位置関係」のみならず「日本の都道府県の位置関係」(北海道とかは、流石に判るけれど。)が可成り怪しかったりする。
「春の七草」は完璧に判るが、「秋の七草」は出て来ない事が在るし、「小学校に入学するのは、何歳からだっけ?」とか「中学2年生って何歳だっけ?」等と、「学年と年齢の置き換え」も苦手だ。
阪神間の西宮で生まれ、長年、神戸に住まいおりますと、ずっと北側に六甲山が見えます。ですから、幼少のころから山=北、海=南、が刷り込まれています。
ですから、神戸を離れ、六甲山が見えないと、どっちが北か南かわからなくなります。
一昔前、「話を聞かない男、地図が読めない女」という本がベスト・セラーになりましたね。所謂「男脳」や「女脳」という違いを記す内容だった様ですが(自分は読んでいません。)、自分の場合は男ですけれども、「地図が読めない男」の1人。方向音痴というのも、恐らくは「空間認識」が上手く出来ないのが原因の様にも思っています。ですから、大まかな地図をパパッと描ける人は尊敬に値してしまう。
前の人のやり方を見よう見まねでやってます
だから絶対に先頭の席には座りません
恥ずかしい話ですが年末調整の書き方も知りません
「焼香の際は親指と中指、そして人差し指で香を一摘みする。親指と中指だけだと、不浄な物(汚れた雑巾等)を摘むのと一緒なので、其れだけは絶対に駄目。後の作法は『礼』さえきちんとすれば、問題では無い。」というのを、若かりし頃に教えられました。ですので摘み方だけは間違えない様に心掛けていますが、其の他は結構好い加減かもしれません。
自分の場合は、神社での柏手の打ち方。「二礼二拍一礼」が正しいと言われますが、全然守れていません。
ドアが閉まろうとしているエレヴェーターや電車に飛び込み、周りの人に「済みません。」と言い乍ら、心の中では「嗚呼、間に合った。」とホッとするも、閉まってから「ヤバイ。逆方向のに乗ってしまった!」と気付く事が何度か在りました。慌てて乗り込んだのに、逆方向だったというのは凄く気恥ずかしいし、況してや急行電車だったりすると、戻るのに凄い時間が掛かったりもするのですから、“やっちまった感”に苛まれます。
そう言われれば、昔はエレヴェーター・ガールと呼ばれる方が居ましたね。何時の頃から“絶滅種”になってしまった。もし今居たら、「“エレヴェーター・ガール”なんて呼称は、男女差別だ!」なんぞとウーマン・リブ(此の呼称も死語ですけれど。)
会社のSNSがあったころ、SNS内有名人というか牢名主みたいなおばさんが何人かいて、自分はちょっと直接の関わりもないし、苦手っぽい雰囲気が文章からも伝わったし、敬して遠ざけてたんですが、向こうはこっちに興味持ったみたいで、しかも会社のSNSだから友達申請断りにくい(だから若いのが入ってこなかった^^;)。嫌々ながら「お友達」になったんですが、その方、自己紹介欄の干支や文章から人の生年月日をだいたい類推するという特技があるようで、だいたい当てられました。気持ち悪かったです。
ここまでではなくとも干支で人の年を見抜くクセのある人は案外と中年に多いです。気をつけましょう(笑)
最近、ソーシャル・ハラスメントなる言葉が良く使われていますね。「或る日突然、上司からFacebookの“友達申請”が届いた。嫌な上司だし、友達申請を受けたら、プライバシーが可成り覗かれてしまうので断りたいが、人間関係を考えるとスパッとは断われないで困っている。」といったケースがそうですが、こういうのを見ると、「ツイッターやらFacebook等、(ブログ以外の)SNSを一切していなくて、本当に良かった。」と思います。
最近、ブログだツイッターだFacebookだと、色々手を広げていた有名人が、次々に“店仕舞い”していますね。“構って欲しいちゃん”からの攻撃に耐えられなくなったというのも在るのでしょうが、「全てに於いて、きちんと更新しなければいけない。」という義務感が強くなり過ぎ、其の結果として疲労困憊してしまうケースも多いのではないかと推測したりしています。楽しさを得る為に始めた事が、義務感で辛くなってしまうとしたら本末転倒。