ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

廃止されたのは140年前

2019年01月04日 | 歴史関連

獄門”や“梟首”、又は“晒し首”と呼ばれる刑罰は、平安時代後期から存在していたのだとか。斬首刑の後、死体を試し斬りにした上、刎ねた首を台に載せて3日間(2晩)、見せしめとして晒し者ものにする公開処刑付加刑として財産は没収され、死体の埋葬弔いも許されなかったと言う。

 

大昔になるけれど、江戸末期から明治初期に撮られた写真集を見た。崩れ掛けた城や村の風景、幕末の志士市井の人等、興味深い写真の数々だったが、思わずギョッとしてしまった写真が。其れは、1人の男の晒し首だった。目を閉じ、歯を食い縛っている様な其の男は江藤新平

 

維新の十傑”の1人で在り、明治政府では参議司法卿をも務めた人物。そんな大物だが、大久保利通等と対立した事で下野。故郷の肥前(現在の佐賀県)に戻り、そして佐賀の乱を起こす事となる。明治政府によって乱は鎮圧され、捕らえられた江藤は、真面裁判を受ける事も無く、梟首の刑を申し渡される。

 

江藤の晒し首の写真からは、彼の無念さがひしひしと伝わって来る物だったが、そんな晒し首が廃止されたのは、140年前の今日、即ち「1879年1月4日」太政官布告第1号によってだった。


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