生まれた時から身の回りに携帯電話が、当たり前の様に存在していた若い人達には想像出来ないだろう。携帯電話が存在しなかった時代の事を。
我が国で携帯電話サーヴィスが開始となったのは1987年という事だが、其れから直ぐに普及した訳では無かった。携帯電話本体の価格、そして通話料金が結構高かったから。本体&通話料金共に”割安感”の在ったPHSと呼ばれるタイプの“小型電話機”が最初に一般化し(自分も、最初に持ったのはPHSだった。)、以降、携帯電話が普及。
何はともあれ30年近く前の日本では、一般人が街中で携帯電話を使っている光景なんて見られなかった。待ち合わせ場所に相手が中々来なくても、「電車が遅れているのかなあ?」とか思いつつ、只管待つのみ。「余りにも遅いので、公衆電話から相手の家に電話を掛けた所、本人が出て来て、相手が待ち合わせの日時を間違えていた事が判明した。」なんて事も在ったっけ。
小学生の頃、多分低学年だったと思うが、貯金していた御年玉等を元に、子供向けのトランシーヴァーを購入した。記憶違いで無ければ、学研の“ラジホーン”と呼ばれる商品。具体的な値段は忘れてしまったが、結構高かったと思う。長いアンテナを伸ばしても、御互いの声が届くのは100mも無かったろう。そんなちゃっちい機能でも、携帯電話なんて影も形も無い時代の子供には、“未来の道具”の様な感じがした。
少し離れた場所から、トランシーヴァーで声の遣り取りをする。初めて相手の声が聞こえた時は、思わず「おーっ!」と声を上げ、感動してしまったもの。
そんな未来の道具・トランシーヴァーだったが、飽きてしまうのも早かった。声が届く範囲が狭いというのも在るが、「複数の友達とトランシーヴァーで連絡を取り合い、“少年探偵団ごっこ”をするのが目的だった。」のに、何しろ決して安い値段では無かった事から、周りでトランシーヴァーを持っている友達が見当たらなかったから。必然的に自分が持つトランシーヴァー(2台がセットとなっていた。)を交代で回し、1同時に2人でしか使えなかったのだから、そりゃあ飽きる。
子供向けのトランシーヴァー、今では2千円を切る金額の物も在る様で、高価だった時代を知る自分としては隔世の感が在るし、当時の事を思い出すと、何とも言えない心の疼きを感じたりも。