2004年7月17日に立ち上げた当ブログも、今日7月17日で10年目に突入。「思えば遠くへ来たもんだ」【動画】と感慨一入だが、此れも全て、此処を覗いて下さる皆様方の御蔭で在る。何を始めても三日坊主で終わってしまう事が多い自分故、皆様方が居られなければ、こんなに長く続けられなかった事だろう。唯々感謝で在る。
昨年、通算3千件目の記事では、「一掛け二掛けて」という歌を取り上げた。幼少の頃、クラスの女子達が、此の歌を歌い乍ら御手玉を良くしていたので、自然と覚えてしまったのだが、長じるに連れて「地域によって、様々な“詩”が存在している。」のを知り、紹介する事にしたのだ。
で、今日は「幼少期、皆が口遊んでいた歌で、地域によって、様々な歌詞が存在している物。」を2つ紹介する。
1つは、文部省唱歌「スキー」【歌】の“替え歌”。自分達は「朝の6時半 弁当箱持って 家を出て行く 親父の姿 頭ツルピカ 禿げ頭 おーおーパンツは ウンコがベットリ♪」と歌っていた。「禿」だとか「ウンコ」だとかは、子供達が好んで口にする下品な言葉の定番だけれど、「良くもまあ、こんな下らない歌詞を口遊んでいたものだ。」と、自分の事乍ら呆れてしまう。
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・「朝も早から 弁当箱提げて 家を出て行く 親父の姿 靴はボロボロ 地下足袋履いて 帽子は底抜け 頭は100ワット♪」
・「朝の4時頃 弁当箱提げて 家を出て行く 親父の姿 服はボロボロ 地下足袋履いて 帽子は底抜け 頭は100ワット♪」
・「朝も早から 弁当箱提げて 家を出て行く 親父の姿 靴はボロボロ ズボンは破れ 親父の月給 1円50銭♪」
・「朝の4時頃 空弁当提げて 家を出て行く 親父の姿 ズボンはボロボロ 股引履いて あーあー哀れな 親父の姿♪」
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共通するのは「家を出る時間が早朝。」で在り、「親父が情けない格好をしている。」という事。前者は元歌の「スキー」に、「朝日を浴びて」という歌詞が在る事からだろう。後者に関して言えば、「父親の威厳が失われて来始めた時期が、替え歌が流行った頃だった。」という事かもしれない。
もう1つは、「歌」と言ってしまって良いのか迷う所だが、「ソーダー村のソーダ―さん」に付いて。自分達は「ソーダ―村の ソーダ―さんが ソーダ―飲んで 死んだーそーだー 葬式饅頭 美味かったそーだー♪」と歌っていた。「そーだー」で語呂合わせした歌なのだが、今回初めて知ったのは「元になっているのは、詩人の阪田寛夫氏が作った『そうだ村の村長さん』という詩。」という事。
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「そうだ村の村長さん」
そうだむらの そんちょうさんが
ソーダのんで しんだそうだ
みんながいうのは ウッソーだって
そんちょうさんが のんだソーダは
クリームソーダの ソーダだそうだ
おかわり十かい したそうだ
うみのいろした クリームソーダ
なかでおよげば なおうまそうだ
クリームソーダの プールはどうだと
みんなとそうだん はじめたそうだ
そうだむらでは おおそうどう
プールはつめたい ぶっそうだ
ふろにかぎると きまったそうだ
そうだよタンサン クリームおんせん
あったかそうだ あまそうだ
おとなもこどもも くうそうだけで
とろけるゆめみて ねたそうだ
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こんな詩が在ったとは・・・。
で、他のヴァージョンとしては、下記の物が。
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・「ソーダ―会社の 早田(そうだ)さんが ソーダーを飲んで 死んだそーだー 葬式饅頭 美味かったそうだー♪」
・「そうだ村の 村長さんが ソーダー飲んで 死んだそーだー 葬式饅頭 でっかいそーだー 中にはあんこが 無いそーだー♪」
・「ソーダー ソーダー ソーダー村の 村長さんが ソーダー飲んで 死んだそーだー 葬式饅頭 美味いそーだー 美味いそーだー そーんな話は 在ったそーだー♪」
・「ソーダー村の 村長さんが ソーダー飲んで 死んだそーだー 明日の葬式 忙しそーだー♪」
・「そうだ そうだ そうだ村の村長さんが ソーダー飲んで 死んだそーだー 葬式饅頭 でっかいそーだー オイラが行っても くんないそーだー♪」
・「ソーダー村の ソーダーさんが ソーダー飲んで 死んだそーだー ソーダーさんの葬式には ソーダ―が一杯 出るそーだー♪」
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共通点としては「死因が、ソーダ―を飲んだ事。」というのと、「其の葬式で出された飲食物に触れている事。」だろう。「そーだー」で語呂合わせしているならば、個人的には「葬式で出されるのもソーダ―で在って欲しい。」と思ったりもするが。