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ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

御馳走

2018年11月26日 | 其の他

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馳走:(其の準備のに走り回るから)食事を出す等して、客をもて成す事。又、其の為の料理。

 

御馳走贅沢な料理。

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格差社会”と呼ばれて久しい日本だが、子供の頃(小学校3~4年辺り位)は“一億総中流社会”という感じで、多くの家庭が「極貧では無いけれど、豊かという程の実感は無い。」という様相だった。だから、今でも使われる言葉では在るけれど、“御馳走”というのは、今以上ランクの高い使われ方をしていた様に思う。

 

当時、御馳走とは“滅多に食べられない様な料理”を意味し、代表格としては(死語となってしまったが)ビフテキ(ビーフ・ステーキの略。)や寿司挙げられるだろう。父の給料やボーナスが入った直後、「今日は御馳走だよ!」とに夕食で出されたのがビフテキ(外食で食べるなんて事は無かったと思う。)で、寿司なんていうのは1年に1回位、外で食べるといった感じで、本当に贅沢な料理だった。

 

だから、アニメど根性ガエル」(動画)で、「寿司店店員の“梅さん”がバイクで出前に出て走り乍らアヴェックを冷やかしていると、電柱にぶつかって寿司桶を引っ繰り返してしまい、中の寿司が道に散蒔かれる。」という御決りの場面が出て来ると、「散蒔かれた寿司を拾い、洗って食べたいなあ。」なんて思ったもの。

 

回転寿司なんか無く、安く寿司が食べられるという時代では無かった。なので、「子供達だけで回転寿司に来て、普通に寿司を食べている。」なんていう光景は、隔世の感が在る。

 

今でも、“御馳走”という物が無い訳では無い。鰻重なんていうのも、そんな1つだろう。でも、昔の様に“料理自体”が御馳走と呼ばれる物は大きく減り、逆に“料理に修飾語が付いた物”を御馳走と呼ぶケースが多くなった。様に感じる。

 

どういう事かと言えば、例えば寿司自体は昔と比べると遥かに“一般化”したけれど、“銀座久兵衛の”とか“すきやばし次郎の”という修飾語が付いた寿司だと非常に御馳走。又、自分が子供の頃と比べると、牛肉は遥かに一般化し、ビーフ・ステーキも手頃な値段になったけれど、でも、“松阪牛の”といった修飾語が付くと、此れ又御馳走だし。


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