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馳走:(其の準備の為に走り回る意から)食事を出す等して、客をもて成す事。又、其の為の料理。
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“格差社会”と呼ばれて久しい日本だが、子供の頃(小学校3~4年辺り位迄)は“一億総中流社会”という感じで、多くの家庭が「極貧では無いけれど、豊かという程の実感は無い。」という様相だった。だから、今でも使われる言葉では在るけれど、“御馳走”というのは、今以上に“ランクの高い使われ方”をしていた様に思う。
当時、御馳走とは“滅多に食べられない様な料理”を意味し、代表格としては(死語となってしまったが)ビフテキ(ビーフ・ステーキの略。)や寿司が挙げられるだろう。父の給料やボーナスが入った直後、「今日は御馳走だよ!」と偶に夕食で出されたのがビフテキ(外食で食べるなんて事は無かったと思う。)で、寿司なんていうのは1年に1回位、外で食べるといった感じで、本当に贅沢な料理だった。
だから、アニメ「ど根性ガエル」(動画)で、「寿司店店員の“梅さん”がバイクで出前に出て走り乍ら、アヴェックを冷やかしていると、電柱にぶつかって寿司桶を引っ繰り返してしまい、中の寿司が道に散蒔かれる。」という御決りの場面が出て来ると、「散蒔かれた寿司を拾い、洗って食べたいなあ。」なんて思ったもの。
回転寿司なんか無く、安く寿司が食べられるという時代では無かった。なので、「子供達だけで回転寿司に来て、普通に寿司を食べている。」なんていう光景は、隔世の感が在る。
今でも、“御馳走”という物が無い訳では無い。鰻重なんていうのも、そんな1つだろう。でも、昔の様に「“料理自体”が御馳走と呼ばれる物は大きく減り、逆に“料理に修飾語が付いた物”を御馳走と呼ぶケースが多くなった。」様に感じる。
どういう事かと言えば、例えば寿司自体は昔と比べると遥かに“一般化”したけれど、“銀座久兵衛の”とか“すきやばし次郎の”という修飾語が付いた寿司だと非常に御馳走。又、自分が子供の頃と比べると、牛肉は遥かに一般化し、ビーフ・ステーキも手頃な値段になったけれど、でも、“松阪牛の”といった修飾語が付くと、此れ又御馳走だし。